だんまり
歌舞伎の演出の型の一つ。暗闇の場面,何人かの人物が終始無言で,ものをさぐり合い,奪い合う立回りを様式化したもの。独特の下座音楽を用い,ゆっくりとしたテンポの舞踊的な動きをする点に特色がある。音楽性,絵画性,舞踊性を格別に重んじる点で,荒事と並んで江戸歌舞伎の体質を象徴する演出様式といってよい。〈時代〉様式による〈時代だんまり〉と,〈世話〉様式による〈世話だんまり〉の別がある。
〈時代だんまり〉の歴史は古いが,いつから行われはじめたのかは不詳である。通説では1780年(安永9)江戸中村座の顔見世狂言《翻錦壮貌(きてかえるにしきのわかやか)》の一番目三建目に初世中村仲蔵の六部と5世市川団十郎の上総五郎兵衛が暗がりの立回りをする場面があったのに始まるという。これは《江戸芝居年代記》の記述にもとづいているのだが,確証のある立説ではない。こうした演出の祖型は,さかのぼって元禄期(1688-1704)以来の〈暗がりの仕合い〉〈やみ打の仕合い〉に認めることができる。安永期(1772-81)の江戸歌舞伎において顔見世狂言の仕組みの一類型となって演出の洗練を見,寛政末期(1800年ころ)以後さかんに行われるに至ったものと考えられる。顔見世狂言の中で行われたものを〈顔見世だんまり〉と呼び,その性質を応用して地方興行などの開幕劇に演じるものを〈お目見得だんまり〉と名づける。
〈時代だんまり〉の場面は,人跡まれな深山,曠野,荒涼たる古御所など,座頭(ざがしら)役者の扮する大百日鬘(かつら)に四天(よてん)姿の大盗賊を中心に,狩倉姿の殿様,お姫様,廻国の修験者,若侍などいろいろな役柄の人物が,それぞれ特徴のある扮装で登場,白旗や家の重宝の類を手探りで拾ったり,奪い合ったりする。伴奏に大薩摩のほか,忍び三重,山おろしなどの下座音楽を多用し,役者は美しい見得の数々を連続的に見せるなど,全体に古風さを強調する演出になっている。代表的なものに《宮島のだんまり》《藤橋のだんまり》《鞍馬山のだんまり》《市原野のだんまり》などがある。これらはいずれも一日の狂言の一場面として初演されたものであるが,独立して後世に伝わり,一幕物の狂言として上演されることがある。
〈世話だんまり〉は1807年(文化4)3月江戸中村座の《さるわか栄曾我》に始まるとされるが,これも確証はなく,実際にはすでに寛政ごろに行われており,化政期(1804-30)に様式的な洗練を見たとするのが正しかろう。《東海道四谷怪談》隠亡堀の場のだんまりは,その代表である。《十六夜清心(いざよいせいしん)》の大川端,《盲長屋梅加賀鳶》のお茶の水,《天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)》(《河内山》)の根岸道,《神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)》(《め組の喧嘩》)の八ツ山下などのだんまりは名場面といってよい。〈世話だんまり〉は陰惨な殺し場や怪異のあとに設定され,幕切れに煙草入れ,簪(かんざし)などの証拠品を落とし,別の人物が拾うといった仕組みになることが多い。この場で残された謎を後の場で解決するのが作劇の約束で,これを〈だんまりほどき〉と呼ぶ。〈世話だんまり〉は筋の展開と緊密に結びついているため,〈時代だんまり〉のようにそれだけで独立して上演されることはない。
執筆者:服部 幸雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
だんまり
歌舞伎(かぶき)の特殊演出。ときには狂言の名としても用いる。暗闇(くらやみ)のなかで、たいせつな宝物や手紙をめぐって幾人かの人物が探り合いの立回りをする場面を様式化したもの。いっさい台詞(せりふ)を使わないのが特色。多く深山幽谷の場面で、座頭(ざがしら)の俳優が扮(ふん)する大盗賊をはじめ、さまざまの階級の男女が登場する。大薩摩(おおざつま)の情景描写が終わると浅黄幕を切って落とし、下座(げざ)音楽にあわせてゆっくりとした舞踊的な演技を行う。1日の狂言の筋とはあまり関係がなく、いろいろな役柄の俳優の顔見世(かおみせ)的な性格が濃い。『鯨(くじら)のだんまり』『宮島のだんまり』『鞍馬山(くらまやま)のだんまり』などは有名で、独立の一幕物として上演することも多い。本来は時代物の狂言だけについていたものだが、寛政(かんせい)期(1789~1801)以降、世話物にもだんまりの一場面を設けることが始まり、これを「世話だんまり」という。『四谷(よつや)怪談』の「隠亡堀(おんぼうぼり)」はその典型的な例である。世話だんまりは筋の展開と結び付いており、この場で残った謎(なぞ)を後の場で解決するように構成するのが普通で、この仕組みを「だんまりほどき」とよんだ。
[服部幸雄]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
だんまり
歌舞伎演出の一種。暗やみの中でさぐり合いながら争うさまを様式的に演じること。登場人物は原則として無言なので,黙りから転じた語らしい。種類は多いが,大別して,俳優を紹介する意味で独立の幕として演じる〈時代だんまり〉と,世話物の一場面として作られた〈世話だんまり〉がある。
→関連項目大薩摩節|パントマイム
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
だんまり
歌舞伎の演出の一つ。「暗闘」とも書く。暗闇のなかで,互いに無言で探り合う動作を様式的に見せるもの。その萌芽は享保期 (1716~36) にあるが,安永1 (72) 年から発達した。種類も多く,「時代だんまり」は山中の辻堂などで盗賊,修験者,若侍,女賊,家老などが,白旗やお家の重宝などを探り合うもので,さまざまの形の見得 (みえ) を交え大薩摩や下座音楽を多く使った演出をとる。「世話だんまり」は世話狂言の一節に行われ,狂言の展開を左右する品物が落されたり,拾われたりする。ほかに「お目見得だんまり」「艶 (つや) だんまり」「おかしみのだんまり」などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
だんまり
暗闇の中の演技。何人かの人物がせりふなしで探り合いをする様式。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
世界大百科事典(旧版)内のだんまりの言及
【歌舞伎】より
…江戸末期の〈生世話〉も徹底した写実主義の演劇になったわけではなかった。たとえば,正面を向いてする演技,[見得],[立回り],[だんまり]といった様式,大道具,小道具,化粧,扮装などは,いずれも絵画的もしくは彫刻的な景容の美しさを目標とし,下座の音楽や効果,ツケの類は写実性をめざすものではなく,情緒的な音楽性をねらい,あるいは擬音を様式化して誇張したものである。どんな場面の,どんな演技・演出も,舞台に花があり,絵のように美しい形に構成されていなければならない。…
【見得】より
…〈柱巻きの見得〉は建物の柱または薙刀(なぎなた)のようなものに手と足をかけてきまる見得。見得を連続的に演じるのを目的とした〈[だんまり]〉の場合は,座頭が演じることになっている。別に《鳴神》,《千本桜》の覚範などに見られる。…
※「だんまり」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」