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浄蔵 ジョウゾウ

デジタル大辞泉の解説

じょうぞう〔ジヤウザウ〕【浄蔵】

法華経」妙荘厳王本事品に説く薬王菩薩の前身。過去世において光明荘厳国の王子として生まれ、父王の邪見を哀れみ、仏道を修し神通力を得て、ついに仏道に向かわせたという。
[891~964]平安中期の天台宗の僧。三善清行(みよしきよゆき)の子。宇多法皇の弟子。諸高山を遊歴修行し、平将門(たいらのまさかど)の乱にあたっては大威徳法を修した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

浄蔵 じょうぞう

891-964 平安時代中期の僧。
寛平(かんぴょう)3年生まれ。三善清行の子。天台宗。宇多法皇の弟子となり,玄昭に密教を,大恵に悉曇(しったん)をまなぶ。加持祈祷(かじきとう)をよくし,平将門(まさかど)を調伏したとか,死んだ父を蘇生(そせい)させたなどの話がおおい。康保(こうほう)元年11月21日死去。74歳。京都出身。著作に「胎蔵界浄蔵私記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

浄蔵

没年:康保1.11.21(964.12.27)
生年:寛平3(891)
平安中期の天台宗の僧。浄蔵貴所ともいう。三善清行の子。一説に母は嵯峨天皇の孫で,天人が懐中に入る夢を見て身ごもったという。4歳で千字文を読み,7歳で父を説得させて仏門に帰し,熊野,金峯山などの霊山を遍歴して苦行を積んだ。延喜2(902)年,12歳のときに宇多法皇に会い,弟子となる。清涼房玄昭のもとで受戒,三部大宝などを受け,大恵大法師について悉曇の音韻を習得する。19歳で比叡山横川に籠り毎日法華六部誦経,毎夜六千反礼拝を行う。加持の名手として国家的祈祷から貴人の病気治療までかなりの験徳を発揮したようで,入京した平将門を調伏したとか,死んだ父清行を蘇生させたとかいう霊験譚が多い。その他,天文,医学,卜筮,管弦,文章などにも才能を発揮したという。また,阿弥陀仏引接を期して念仏三昧を修し,康保1(964)年に74歳で東山の雲居寺に入滅したとき,西向きに正念していたとして往生伝にも載せられる。

(三橋正)

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世界大百科事典 第2版の解説

じょうぞう【浄蔵】

891‐964(寛平3‐康保1)
平安中期の天台密教僧。三善清行の子。12歳で叡山に登り受戒し,玄昭に師事して密教を,大慧に仕えて悉曇(しつたん)を学ぶ。909年(延喜9)菅原道真怨霊に悩んだ藤原時平護持祈念すると,2匹の青竜が時平の左右の耳から頭を出した話は有名である。940年(天慶3)横川首楞厳院(しゆりようごんいん)で平将門降伏の祈禱を修しその誅滅を予言した。また八坂法観寺の塔が傾いたのをまじないで復すなど幾多の呪的奇跡を演じた。

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世界大百科事典内の浄蔵の言及

【験者】より

…験者は,護法を使役して験競べをしたり,奇跡をあらわしたり,呪詛を行うこともあり,巫女や尸童(よりまし)に護法を憑(つ)けて託宣をさせたりもした。三善清行の子,浄蔵貴所は,その代表的存在である。【鈴木 正崇】。…

【三善氏】より

…ついで三善宿禰に朝臣の姓を賜ったのは903年(延喜3)ころで,当時,文章博士兼大学頭の清行などが活躍していた。清行の子は,文江と文明が文人官吏となり,浄蔵日蔵が出家しているが,それ以後直系の子孫に著名人は見えない。(2)漢族系 977年(貞元2)に近いころ,錦宿禰を改め三善朝臣の氏姓を賜った茂明や時佐は,〈漢の東海王の後,波能志より出づ〉と伝えている(《類聚符宣抄》)。…

※「浄蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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