平安中期の天台密教僧。三善清行の子。12歳で叡山に登り受戒し,玄昭に師事して密教を,大慧に仕えて悉曇(しつたん)を学ぶ。909年(延喜9)菅原道真の怨霊に悩んだ藤原時平を護持祈念すると,2匹の青竜が時平の左右の耳から頭を出した話は有名である。940年(天慶3)横川首楞厳院(しゆりようごんいん)で平将門降伏の祈禱を修しその誅滅を予言した。また八坂法観寺の塔が傾いたのをまじないで復すなど幾多の呪的奇跡を演じた。960年(天徳4)の内裏火災を予言し,寛修法師の後ろ姿からその死期を推断適中せしめ,成道,東光,長谷諸寺の災厄をいいあてるなど,易筮卜占(えきぜいぼくせん)にすぐれ,大峰,熊野にも修練を重ねた密教行者であった。963年(応和3)入寂説がある。
執筆者:村山 修一
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(三橋正)
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…験者は,護法を使役して験競べをしたり,奇跡をあらわしたり,呪詛を行うこともあり,巫女や尸童(よりまし)に護法を憑(つ)けて託宣をさせたりもした。三善清行の子,浄蔵貴所は,その代表的存在である。【鈴木 正崇】。…
…ついで三善宿禰に朝臣の姓を賜ったのは903年(延喜3)ころで,当時,文章博士兼大学頭の清行などが活躍していた。清行の子は,文江と文明が文人官吏となり,浄蔵と日蔵が出家しているが,それ以後直系の子孫に著名人は見えない。(2)漢族系 977年(貞元2)に近いころ,錦宿禰を改め三善朝臣の氏姓を賜った茂明や時佐は,〈漢の東海王の後,波能志より出づ〉と伝えている(《類聚符宣抄》)。…
※「浄蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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