日本に伝えられたインド文字のほとんどが「悉曇」だったので、日本では一般に「悉曇」=「梵字」ととらえられている。厳密にいえば、「悉曇」は六世紀頃のグプタ文字から派生したシッダマートリカー文字であって、現在サンスクリットを書くのに用いられているデーヴァナガリー文字とは異なる。
日本に伝来した梵語(ぼんご)(サンスクリット)についての学問、およびそれに用いられた文字のことをもいう。悉曇Siddhamという名称は、梵語の音を表にしたもの(字母表という)の頭初に、nama sarvajñāya siddhamと書いて、その字母表の成立を祝福する習慣があったことから出たとされる。梵語字母表はもちろんインドで作成され、子供の学習に用いられたものであるが、中国では南北朝時代に、『涅槃経(ねはんぎょう)』文字品(ぼん)の解釈に伴って盛んに研究されるようになった。唐代には語学としても研究され、智広(ちこう)の『悉曇字記』はことに発音に詳しい。唐代中期以後、密教が盛んとなるにつれ、音声神秘観が重視されて、梵語のままに唱える真言・陀羅尼(だらに)が盛行した。その教風・教義が平安初期に日本に渡来し、密教の隆盛とともに悉曇の学も勃興(ぼっこう)した。入唐八家(にっとうはっけ)(最澄、空海、常暁、円行、円仁(えんにん)、恵運(えうん)、円珍、宗叡(しゅうえい))はいずれも悉曇に関係はあったようであるが、なかでも空海は真言宗の悉曇、円仁は天台宗の悉曇の祖となった。これらの時代の悉曇を集大成したのが安然(あんねん)の『悉曇蔵』である。その後、真言・天台の各宗各派においてその学は継承され、院政時代の天台の学僧明覚によってさらに音声学的に研究され、しだいに中国語学と一体となって韻学というべきものが形成されるようになった。ここから国語研究の機運がおきたのである。明治以後は西欧の梵語学と交替するが、日本における語学研究の基礎を開いた功は大としなければならず、現代のサンスクリット語学でも、古代に東方へ伝播(でんぱ)したこの学の存在を無視することはできない。
[馬渕和夫]
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サンスクリットのsiddhaṃの音訳。シッダムとは〈完成せるもの〉の義で,狭義にはサンスクリットの母音文字を指すが,広義には母音を伴って発音される子音文字およびそれらの合成字も含まれた。したがって,サンスクリット文字を悉曇と称するが,一般的にはサンスクリット文字,専門的には悉曇と使い分けられる傾向にあった。また,悉曇字母(シッダ・マートリカーSiddha-mātṛkā)という固有の文字の名称でもある。シッダ・マートリカー文字は,6世紀のグプタ文字から発展した変種で,筆記体としては法隆寺の貝葉写本がその代表例とされている。悉曇学とは,中国,日本において,サンスクリット文字に対してなされた文字,音声の学をいう。《大般涅槃経(だいはつねはんぎよう)》の〈文字品(もんじぼん)〉(ないしはそれに相当する部分)に対する注解の形をとって始まった。唐の智広の《悉曇字記》は,この方面における現存最古の専著であり,日本の安然《悉曇蔵》(880)は,初期の悉曇学説を収録していて有用である。
執筆者:慶谷 寿信
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