浅尾工左衛門 (あさおくざえもん)
歌舞伎俳優。屋号は金田屋。(1)初世(1758-1824・宝暦8-文政7) 初名は竹田仁三郎,大坂の竹田子供芝居の出身。朝井工左衛門と称したが,1794年(寛政6)実悪の初世浅尾為十郎(浅尾宗家)の門に入り,浅尾姓となる。師為十郎をまねて,敵役系の脇役を専門とし,実悪の他に,半道(はんどう),親仁(おやじ)方を兼ねた。1803年(享和3)《恋飛脚大和往来》で孫右衛門など七役早替りを演じ,好評を博し,名人上手と呼ばれる。《伊賀越》の平作,《野崎村》の久作など世話に適していた。(2)2世(1786-1845・天明6-弘化2) 初名は市川力松で子供芝居の出身。2世大谷友右衛門の門弟で,大谷友次と称する。3世柴崎林左衛門をついだ後,1832年(天保3),大坂の中の芝居で工左衛門を襲名。初世と同じで,実悪系であるが,半道,親仁方,老女方を兼ね,世話に適していた。なお,3世以降,大正期の6世まで続いた。
執筆者:向井 芳樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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浅尾 工左衛門(4代目)
アサオ クザエモン
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 別名
- 初名=浅尾 丑之助,前名=市川 鬼升,市川 鬼丸
- 生年月日
- 嘉永6年 3月20日
- 出生地
- 筑前国博多(福岡県 福岡市)
- 経歴
- 養父は歌舞伎俳優・3代目浅尾工左衛門。万延1年(1860年)浅尾丑之助の名で初舞台を踏む。養父の没後、市川右団次に入門し、明治14年市川鬼升と改名して大阪で活躍。のち東京に上り、市川鬼丸を経て44年養父の名跡を継いで4代工左衛門を襲名した。上方風の芸で知られ、「寺子屋」の松王・源蔵など4役や「忠臣蔵」の大星由良之助などを演じて高い評価を得た。晩年は老け役や敵役を主とした。
- 没年月日
- 大正13年 4月14日 (1924年)
- 家族
- 養父=浅尾 工左衛門(3代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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浅尾 工左衛門(4代目)
アサオ クザエモン
明治・大正期の歌舞伎俳優
- 生年
- 嘉永6年3月20日(1853年)
- 没年
- 大正13(1924)年4月14日
- 出生地
- 筑前国博多(福岡県福岡市)
- 別名
- 初名=浅尾 丑之助,前名=市川 鬼升,市川 鬼丸
- 経歴
- 養父は歌舞伎俳優・3代目浅尾工左衛門。万延1年(1860年)浅尾丑之助の名で初舞台を踏む。養父の没後、市川右団次に入門し、明治14年市川鬼升と改名して大阪で活躍。のち東京に上り、市川鬼丸を経て44年養父の名跡を継いで4代工左衛門を襲名した。上方風の芸で知られ、「寺子屋」の松王・源蔵など4役や「忠臣蔵」の大星由良之助などを演じて高い評価を得た。晩年は老け役や敵役を主とした。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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浅尾工左衛門(初代) あさお-くざえもん
1758-1824 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
宝暦8年生まれ。初代浅尾為十郎の門にはいり,寛政6年浅尾工左衛門を名のる。実悪(じつあく)のほか,半道方(はんどうがた),親仁方(おやじがた)をかねた。「恋飛脚」で7役早替わりを演じて好評を博した。この名は大正時代まで6代をかぞえる。文政7年8月22日死去。67歳。初名は竹田仁三郎。前名は2代中山太四郎,朝井工左衛門。俳名は鬼丸,鬼玉。屋号は金田屋。
浅尾工左衛門(2代) あさお-くざえもん
1786-1845 江戸時代後期の歌舞伎役者。
天明6年生まれ。大坂子供芝居の出身。2代大谷友右衛門の門にはいり,天保(てんぽう)3年2代目を襲名。実悪(じつあく)を主に,親仁方(おやじがた),老女役を得意とした。弘化(こうか)2年9月11日,一説に6月18日死去。60歳。初名は市川力松。前名は初代大谷友次,3代柴崎林左衛門。俳名は鬼丸。屋号は金田屋。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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