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有島生馬 ありしま いくま

美術人名辞典の解説

有島生馬

洋画家・小説家。神奈川県生。小説家有島武郎の弟、里見弴の兄。名は壬生馬、別号に十月亭。東京外大卒。洋画を藤島武二に師事し、二科会創立したが、抽象派に反発してのち一水会を創立した。「白樺」の創刊に加わり、小説には『蝙蝠の如く』『嘘の美』などがある。また翻訳・美術随筆にも腕をふるう。芸術院会員。文化功労者。昭和49年(1974)歿、91才。

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百科事典マイペディアの解説

有島生馬【ありしまいくま】

洋画家。本名壬生馬(みぶま)。横浜市生れ。兄は有島武郎,弟は里見【とん】。1904年東京外国語学校卒。藤島武二に師事,1905年イタリアに渡り,パリでも修業,後期印象派の影響を受け,1910年に帰国。
→関連項目海老原喜之助白樺派東郷青児

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

有島生馬 ありしま-いくま

1882-1974 大正-昭和時代の洋画家,小説家。
明治15年11月26日生まれ。有島武の次男。有島武郎(たけお)の弟。里見弴(とん)の兄。藤島武二に洋画をまなび,ヨーロッパに留学後「白樺」の同人となり,セザンヌを紹介した。二科会,一水会を創立。昭和10年帝国美術院会員,39年文化功労者。昭和49年9月15日死去。91歳。神奈川県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。本名は壬生馬(みぶま)。小説に「蝙蝠(こうもり)の如く」,随筆集に「美術の秋」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ありしまいくま【有島生馬】

1882‐1974(明治15‐昭和49)
洋画家,小説家。初代横浜税関長有島武の次男として横浜に生まれる。本名壬生馬(みぶま)。兄に有島武郎,弟に里見弴がいる。東京外国語学校イタリア語科を卒業して,藤島武二に師事。1905年イタリアに渡り,ローマでカロリュス・デュランに師事した後,パリでR.コラン,プリネーに学び,彫刻の修業もする。07年のセザンヌの回顧展に感銘を受け,以降アカデミックな様式を離れ,後期印象派の作風に親しむ。10年帰国し,滞欧作70点を発表。

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大辞林 第三版の解説

ありしまいくま【有島生馬】

1882~1974) 洋画家・小説家。横浜生まれ。本名、壬生馬みぶま。武郎の弟、里見弴の兄。東京外国語学校卒。欧州留学後「白樺」に参加、セザンヌほか後期印象派の紹介に努めた。小説「蝙蝠の如く」「噓の果」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

有島生馬
ありしまいくま

[生]1882.11.26. 横浜
[没]1974.9.15. 鎌倉
洋画家,小説家。本名壬生馬。学習院を経て,1904年東京外国語学校を卒業。藤島武二に師事して油絵を学ぶ。 05年渡欧しローマとパリで学ぶ。 07年パリで「セザンヌ回顧展」を見て感動し,10年帰国後雑誌『白樺』でセザンヌを紹介。また帝展の沈滞したアカデミズムを批判して 14年二科会を創立。しかし 35年に帝国美術院会員となったのを機に二科会を脱退,翌年一水会の創立に参加した。有島武郎を兄に里見 弴を弟にもち,文筆にもすぐれ,西洋近代絵画思潮を日本に紹介した功績は大きい。 64年文化功労者。主要作品『パイプを吸う男』 (1908) ,『鬼』 (14,東京都美術館) など。また,小説には『ボーヂェの森』 (11) ,『嘘の果 (み) 』 (19~20) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

有島生馬
ありしまいくま
(1882―1974)

洋画家、文筆家。横浜市に生まれる。本名壬生馬(みぶま)。小説家の有島武郎(たけお)の弟、里見(とん)の兄。1904年(明治37)東京外国語学校イタリア語科を卒業。すぐ藤島武二に洋画を学び、翌1905年渡欧してローマの国立美術学校、のちパリで学ぶほか各国を旅行する。1910年帰国して『白樺(しらかば)』誌の創刊同人となり、セザンヌほか欧州新美術の紹介に努める。1914年(大正3)同志と二科会を創立して出品のほか、小説『蝙蝠(こうもり)の如(ごと)く』(1910~1911)、『南欧の日』(1916)、『嘘(うそ)の果(はて)』(1919)を発表、また翻訳、美術評論など幅広く活躍する。1935年(昭和10)帝国美術院会員、日本ペンクラブ初代副会長となり、翌1936年同志と一水会を創立。第二次世界大戦後は日展理事を務め、鎌倉近代美術館ほかで回顧展を開いた。1964年(昭和39)文化功労者となる。代表作に『ケーベル博士像』『熊谷守一(くまがいもりかず)肖像』『大震記念』『微笑』など。[小倉忠夫]
『『有島生馬全集』全3巻(1997・日本図書センター)』

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世界大百科事典内の有島生馬の言及

【印象主義】より

…この傾向は,黒田の弟子の岡田三郎助,和田英作(1874‐1959),湯浅一郎(1868‐1931),中沢弘光(1874‐1964),藤島武二らに受け継がれ,青木繁も,一時印象派風の海浜風景を描いた。明治末年になると,南薫造(みなみくんぞう)(1883‐1950),有島生馬,山下新太郎(1881‐1966)らの新帰朝者たちによってさらに刺激が与えられ,明るい色彩,大きな筆触を特色とする印象派風の外光表現は,日本洋画の確固とした一つの流れとなった。印象主義の運動および理論については,黒田,久米のほか,森鷗外,島村抱月らによって紹介され,1910年には,高村光太郎の〈緑色の太陽〉が《スバル》誌上に発表されて,日本における印象主義宣言といわれた。…

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