深原村(読み)ふけらむら

日本歴史地名大系 「深原村」の解説

深原村
ふけらむら

[現在地名]小谷村大字北小谷きたおたり 深原

ひめ川右岸に落ち込む赤倉あかくら山の傾斜面に立地し、白井沢しらいざわ濁沢にごりざわが村を挟んで西流して姫川に入る。

村名深原の初見は、慶安二年(一六四九)の松本領の検地(山本鑑一氏蔵の検地帳)の時点で、それ以前寛永年代(一六二四―四四)の松本領主堀田正盛の時代までは、後の中谷なかや村・土谷つちや村とともに東小谷村を形成していた。枝郷には、李平すももだいら阿原あわら二村本村に隣接する。

享保一六年(一七三一)三月の小谷村村役人から上司の大町おおまち組大庄屋にあてた道橋の改修工事についての上申書(山田寛氏蔵)に「三坂峠道みさかとうげみち」の表現があり、深原村を経過して越と信濃をつなぐ古代の道の存在をにおわせている。

深原村
ふかわらむら

[現在地名]氷見市深原

北東は布施ふせ村、北西上久津呂かみくづろ村。集落十三じゆうさん谷の入口、平野を東にみる丘陵裾野にある。仏生寺ぶつしようじ川が集落の東側を流れる。布施村の枝郷であるが(元禄一四年「越中国郷帳」加越能文庫)正保(一六四四―四八)以前に布施村より分村した。正保郷帳の高四三五石余、田方二五町七反・畑方三町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の草高三六七石・免五ツ九歩、小物成は山役六匁・野役九匁(三箇国高物成帳)。寛保二年(一七四二)の百姓三一・頭振二(「高免等書上帳」折橋家文書)。天保四年(一八三三)の家数二八(「家数調理帳」同文書)産物として茣蓙・裏莚があげられる(三州旧蹟志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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