戦国・安土(あづち)桃山時代の武将。通称長左衛門。初め備中(びっちゅう)国(岡山県)高松城主石川久孝の家臣であったが、主家の内紛に乗じて自ら城主となり、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に属し毛利(もうり)氏の備中平定を助けた。1582年(天正10)織田氏の将羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉から、信長方に属して中国征討の先鋒(せんぽう)たらば備中・備後(びんご)(広島県東部)を与えるとの信長の書を受けたが、宗治はこれを退けた。よって秀吉の来攻にあい、高松城水攻めのなかでよく抵抗し、毛利勢の支援を受けた。たまたま織田信長の死の急報に接した秀吉は、これを秘してただちに毛利氏と講和したが、6月4日、その条件に従って宗治は兄の月清(げっせい)入道とともに自決し、城中の軍兵(ぐんぴょう)をことごとく救った。
[福尾猛市郎]
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
戦国時代の武将。豊臣秀吉の水攻めで自刃した備中高松城(岡山市)の城主。小早川隆景に属して戦功をたてた。秀吉の中国征伐がはじまる1577年(天正5)以後,秀吉は宗治に織田信長への荷担を再三勧めたが応じなかった。82年岡山に軍を進めた秀吉のもとへ本能寺の変が報じられるや秀吉は,宗治を自刃させることにより毛利氏と講和を結ぼうとした。宗治は同年6月4日(日時に異説あり)兄月清入道らとともに自刃した。
執筆者:外園 豊基
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