中国でのイスラム寺院の呼称で,西アジアのモスクに相当する。全国に散在するが,西北の寧夏回族自治区,甘粛省や内モンゴルなど回族集居地方にとくに多い。広州の懐聖寺,泉州の清浄寺など宋・元時代のものと見られるほかは,すべて明代以後に創建されたものである。歴史の古い寺はそれぞれの寺名をもっていたが,明代にはすべて礼拝寺と称せられた。イスラムを意訳した清真寺と呼称するのは清代からである。建築様式の外見は仏教寺院や道教道観とほとんど異ならないが,内部は偶像をいっさい排除するイスラム教義に従ってきわめて簡素で,礼拝のための広間が設けられるのみである。広間の奥に礼拝の方向を示す壁龕(へきがん)(モスクのミフラーブ)があり,いずれの清真寺でもメッカに向かって西向している。各寺には阿衡(アホン)と呼ばれる教長以下,数名の宗務者がおり,信者代表の郷長が信者の喜捨などで維持している。文化大革命期には礼拝なども制約を受けたようだが,近年は寺の修復も活発で,信仰活動の中心として機能している。
執筆者:愛宕 元
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…宋代には広州の懐聖寺,泉州の清浄寺のようなイスラムの礼拝寺(モスク。中国では清真寺という)も建てられ,中国人の間にも多少のイスラムへの改宗者もあったらしい。
[回回の発展]
13~14世紀のモンゴル帝国時代になると,多数のイスラム教徒が奴隷,兵士,職人,商人として元朝へ移住し,官吏として仕える知識人もあり,華北を中心に各地に散在し,回回と呼ばれた。…
…現在は芮城に移築)は唐の呂洞賓の祠に建てられた典型的な道観遺構で,かつての壮大な規模は失われたものの,無極門,三清殿,純陽殿,重陽殿と中軸線にならぶ元代1262年から建立の建築群が現存し,とくに華麗な壁画で知られる。
[イスラム寺院]
イスラムは唐代に伝えられたといい,とくに元代以降はさかんになり,各地に漢名を清真寺という礼拝寺院が数多く建てられた。年代の古い遺構としては広東省広州の懐聖寺光塔が,年代に諸説あるが,ミナレットの原型を忠実に伝えた,螺旋階段をもつ塼造尖塔として代表的。…
※「清真寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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