湊城跡(読み)にやーとぐすくあと

日本歴史地名大系 「湊城跡」の解説

湊城跡
にやーとぐすくあと

[現在地名]笠利町用安

グスク跡。ミナトグスクともいう。用安ようあん集落の西側、隆起珊瑚礁の海岸に南面しており、標高四〇メートルを最高地点とする北東から南西に延びる尾根を主体とする。当城内の崖に与湾大親のトフル墓と伝えるものがあり、昭和四四年(一九六九)開発のため掘崩され消滅したが、その際人骨、琉球系の器、穴のあいた飾石などが出土している。「中山世譜」によるとこの与湾大親は住民からの信頼が厚く、そのため古見こみ間切の我利爺がこれを嫉んで尚清王に与湾大親が謀反を企んでいると偽情報を流した。


湊城跡
みなとじようあと

[現在地名]三国町今新

千手寺せんじゆじ城ともよばれ、今新いましん辺りにあったと思われるが正確な跡地は不明。南朝方脇屋義助の臣畑時能が拠った城という。「太平記」巻二一(任遺勅被成綸旨事付義助攻落黒丸城事)に、次のように記される。

<資料は省略されています>

また暦応三年(一三四〇)九月日付の、北朝方石河頼景の軍忠状(天野文書)に同年八月三日、「三国湊押寄千手寺城大手、致合戦忠勤、打破城」とあり、同日付の得江頼員軍忠状(得江文書)にも「押寄三国湊千手寺城西面、渡堀塀致戦功、攻落彼城了矣」とみえる。


湊城跡
みなとじようあと

[現在地名]西淡町湊里 城の内

三原川河口、湊地区の南後背段丘上の字城の内しろのうちにある。安宅氏一族の居城と伝えられる(味地草)。三原川を挟んで約五〇〇メートル北に叶堂かなど城がある。当城跡は周囲を土塁で囲まれ、三郭で構成されていたと思われるが、現在は民家の拡張に伴って東側の郭の詳細が不明となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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