兵庫県神戸市中央区多聞通(たもんどおり)に鎮座。旧別格官幣社。楠木正成(くすのきまさしげ)(大楠公(だいなんこう))を主祭神に、正季(まさすえ)、正行(まさつら)(小楠公)、大楠公夫人以下一族殉難将士の霊を配祀(はいし)する。大楠公に対する尊敬は公の生前中にもみられたが、ことに江戸期の1692年(元禄5)徳川光圀(みつくに)が大楠公討ち死にの地湊川に「嗚呼(ああ)忠臣楠子之墓」と刻んだ墓碑を建てて以来、公を慕う精神は全国に流布した。明治維新なるや、1868年(慶応4、9月改元し明治1)明治天皇は勅令(湊川神社創祀御沙汰書(ごさたしょ))を出し、72年5月24日鎮祭されたのが現在の湊川神社である。例祭7月12日。宝物に大楠公着用と伝える段縅(だんおどし)腹巻一領(国重要文化財)、1335年(建武2)大楠公自筆の法華経(ほけきょう)奥書一幅(重文)などがある。
[平泉隆房]
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…69年には宣教使がおかれ,翌年には大教宣布の詔が下されて,祭政一致のイデオロギーによる国民教化の方針がいっそう明確にされた。また,東京招魂社(のちの靖国神社),楠社(のちの湊川神社)など新しい神社がつくられ,天長節,神武天皇祭などの祝祭日を定めて,全国的に遥拝式が行われたりした。 神祇官を中心とするこうした諸政策は,神道国教化政策と呼ばれている。…
…1868年(明治1),神祇官が再興され,71年には新しい官国幣社が定められたが,官幣社は歴代天皇・皇族をまつる神社と皇室の尊崇の厚かった神社,国幣社は延喜の制における国幣社と国土経営上重要な役割を果たした神社が列せられ,官幣社,国幣社ともに大・中・小の社格に分けられた。74年,楠木正成をまつる神戸の湊川(みなとがわ)神社が創建されると,祭神が皇族でも天神地祇でもなかったので,国家のために特に功労のあった人臣をまつる神社を別格官幣社に列する制度を75年に設け,祭祀は官幣小社に準ずることとした。同年,豊臣秀吉をまつる京都の豊国(とよくに)神社と,徳川家康をまつる日光の東照宮が別格官幣社となり,その後,年を追って増加し,1945年までに28社に達した。…
※「湊川神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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