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染付 そめつけ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

染付
そめつけ

陶磁用語。白地の素地に酸化コバルト (→呉須 ) を用いて下絵付けを施し,さらにガラス質の透明をかけて焼き,文様藍色に発色させた陶磁器の日本における呼称。中国では青花 (せいか) または釉裏青という。元代から始り,主要な陶磁技法として発展し,朝鮮,日本,東洋諸国,ヨーロッパの陶芸にも大きな影響を与えた。日本では江戸時代初期に有田で焼かれてから盛んになった。

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百科事典マイペディアの解説

染付【そめつけ】

中国では青花。白色の素地に酸化コバルトを顔料として文様を描き,ガラス質の透明な(うわぐすり)をかけて焼いた陶磁器。一般には磁器の製品をさす。藍青(らんせい)色や青紫色を呈し,染織の藍(あい)染に色彩が似ているのでこの名称が起こったといわれる。
→関連項目安南焼伊万里焼景徳鎮窯呉須呉須手古染付酒井田柿右衛門祥瑞瀬戸焼姫谷焼釉裏紅

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世界大百科事典 第2版の解説

そめつけ【染付】

白色の胎土で成形した素地に,酸化コバルト(呉須)の顔料で絵付し,その上にガラス質の透明釉(釉(うわぐすり))をかけ,1300~1350℃前後の火度で焼きあげた陶磁器の日本での呼称。磁器に用いられる場合が多く,文様は上釉の下で藍青色に発色し,染物藍染(あいぞめ)に色彩効果が似ているため,江戸時代初期ごろからこう呼ばれた。中国では青花(青い文様の意),また釉裏青と呼ばれる。 染付は中国で元代に大成され,以後中国陶磁の主要な陶技として発展し,安南(ベトナム),朝鮮,日本など東アジアやヨーロッパの陶芸にも大きな影響を与えた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

染付
そめつけ

陶磁器の装飾技法の一つで、その製品をもさす。白地に藍青(らんせい)色の絵文様のあるもので、中国では青花(チンホワ)(または釉裏青(ゆりせい))とよび、朝鮮半島では青華白磁、英語ではblue and whiteまたはunderglazed blueと称する。白色胎の器面に筆で呉須(ごす)・茶碗(ちゃわん)薬(以上日本)、あるいは回々(かいかい)青(中国・朝鮮半島)とよばれる酸化コバルトを主成分とする顔料で文様を描き、その上に透明釉(ゆう)をかけ、強力な還元炎(1300~1350℃)で焼成した加飾陶磁器である。
 世界で初めて染付を発明したのは中国、ペルシアのいずれかとみられている。ペルシアでは9世紀に錫(すず)白釉の釉下にコバルトで文様を表す染付陶器が試みられたことは確実であり、中国では10世紀には存在していたようだが、ペルシアに先行すると断定することはできない。ペルシアではその後文様の一部に染付を用いることはあっても、大きな発展がみられなかったのに対し、中国では14世紀の元(げん)代後期に画期的なくふうが江南の景徳鎮(けいとくちん)窯(江西省)で進められ、純良の白磁胎に清冽(せいれつ)な青の文様がくっきりと浮かび上がる染付磁器が開発された。俗に「元の染付」とよばれるものがそれで、西アジア伝来の釉薬(蘇麻離青(スマリチン)など)を使って細密画風に竜、蓮池(れんち)藻魚、波濤(はとう)などの文様を大胆かつ細心に濃藍で表す魅力は、とくに外国の貴紳に注目された。東洋はもちろん、西は東アフリカに至る世界各地に輸出されて大好評を博した。ベトナムではすぐその直模が行われ、日本では瀬戸窯が、朝鮮半島では高麗青磁(こうらいせいじ)の窯が、それぞれ従来の技法で形や文様をまねたものをつくりだし、ペルシアのメシェド窯やトルコのイズニーク窯では、16世紀になってから景徳鎮窯の染付磁器を盛んに模倣している。
 しかし元代につくられた景徳鎮窯の染付磁器は、当の中国では文人や宮中で高い評価を得ることもなく、明(みん)代の15世紀初頭に初めて官窯が手を染めてから様式化も進み、宮廷御器として認知された。以後いよいよ洗練されて精妙さと卓抜な発色を得た染付磁器は、名実ともに中国陶磁の代表的存在となり、明清(みんしん)陶磁の基幹となった。
 朝鮮半島で染付磁器を焼造する気運がおこるのは、李朝(りちょう)の15世紀中ごろである。すでに白磁づくりに習熟していた官窯の広州窯(京畿(けいき)道広州郡)などでは、16世紀初頭までには確かに宮廷画師か絵付専門の絵師が染付磁器の絵付に携わるようになっているが、当初は顔料の回々青の入手に困難を極めたようである。そして17世紀には、秋草文などに代表される李朝独特の清雅な絵模様の染付様式が完成した。
 日本では17世紀の初めごろ、それまで輸入されていた中国の染付磁器に刺激されて伊万里(いまり)焼(佐賀県有田町)が初めて染付磁器を手がけた。この初期の染付は「初期伊万里」とよばれ、その雄渾(ゆうこん)で愛憐(あいれん)な絵模様の評価は高い。1659年(万治2)にヨーロッパ輸出が開始されると、陶技は一段と洗練され、和様と中国様の染付様式も確立され、ついで鍋島(なべしま)藩窯、京都、瀬戸などでも製作が始まり、江戸後期には全国各地で焼かれるようになった。
 ヨーロッパでは西アジアの染付陶器の技法を受けて、イタリアのマジョリカ焼やオランダのデルフト窯において陶胎染付が16~17世紀にくふうされ、18世紀後半からは本格的な磁器焼成が始められて近代陶芸の一つの柱となった。[矢部良明]
『藤岡了一・長谷部楽爾編『世界陶磁全集14 明』(1976・小学館) ▽矢部良明著『名宝日本の美術26 染付と色絵磁器』(1980・小学館)』

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世界大百科事典内の染付の言及

【陶磁器】より

…その契機は佐賀県有田における磁器の発生と,京都における色絵陶器(京焼)の焼造であって,江戸時代の窯業は瀬戸・美濃,有田,京都の3地域を中軸に展開した。1616年(元和2),李参平によって有田の白川天狗谷窯で,日本で初めての染付磁器の焼造が開始された。当初は李朝風の素朴な染付磁器であったが,寛永末年から正保年間(1640年代)にかけて,明末の染付,赤絵の影響を受け,酒井田柿右衛門によって赤絵の焼造が始められると,有田の窯業は急速な成長をみた。…

【ベトナム陶磁器】より

… 1225年にチャン(陳)氏王朝がリ王朝にとってかわると,いっそう中国の仿製陶磁器生産に力を入れた。中国では元代にコバルトで絵付けを行った染付(青花)が生まれたが,ベトナムでもいちはやく染付を生産している。ただベトナムの染付は素地に白化粧を施しており,高台内には鉄銹(さび)がベッタリと塗られている。…

【李朝白磁】より

…白磁は,白の清潔感を愛する李朝人に最も好まれた。青花白磁つまり染付が出現した後も,《光海君日記》にみえるように,17世紀の前半ごろ,一時は染付が王世子用であるのに対して,白磁が王の専用品として規定されたことさえあった。白磁【西谷 正】。…

【李朝美術】より

…前期を太祖元年から仁祖末年(1392‐1649),中期を孝宗元年から英祖27年(1650‐1751),後期を英祖28年から高宗20年(1752‐1883)とする説が有力である。前期には良質な白磁が生まれ,青花(染付)も現れ,粉青沙器(ふんせいしやき)(三島手(みしまで))が盛行した時期であるが,この期を代表するものは高麗象嵌青磁の流れをくむ粉青沙器である。これは白土で器面を化粧する技法と施文法に特徴があり,日本では三島手とよばれ,彫三島(ほりみしま),刷毛(はけ)目,彫刷毛目,絵刷毛目,粉引(こひき)などと分類されている。…

※「染付」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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