日本大百科全書(ニッポニカ) 「源翁心昭」の意味・わかりやすい解説
源翁心昭
げんのうしんしょう
(1329―1400)
南北朝時代の禅僧。源翁能照(のうしょう)、玄翁玄妙(げんみょう)とも。法王(翁)大寂禅師と称する。越後(えちご)(新潟県)荻(おぎ)村に生まれ、5歳で陸上寺に入り、16歳で剃髪(ていはつ)。18歳(一説に19歳)のときに曹洞(そうとう)宗の能登(のと)(石川県)総持寺峨山韶碩(がさんじょうせき)に学び、その法を嗣(つ)ぐ。1357年(正平12・延文2)伯耆(ほうき)(鳥取県)八橋(やはし)郡に保長氏の援助で退休寺を開き、ついで1360年に下野(しもつけ)(栃木県)那須(なす)郡に泉渓寺を、1371年(建徳2・応安4)下総(しもうさ)(茨城県)結城(ゆうき)に結城直光(なおみつ)(1329―1395)の助力で安穏寺(あんのんじ)を、さらに1374年(文中3・応安7)には会津(福島県)耶麻(やま)郡に慶徳寺を、1375年(天授1・永和1)白河に常在院、ついで熱塩(あつしお)の真言宗寺院を改宗し示現寺(じげんじ)を開いた。また1385年(元中2・至徳2)には、人畜を害するという那須の殺生石(せっしょうせき)を破砕して妖怪(ようかい)を去らせたと伝える。応永(おうえい)7年正月7日没。なお、殺生石の故事により、石を割る道具を「げんのう」と称するようになったという。
[廣瀬良弘 2017年7月19日]