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源翁心昭 げんのう しんしょう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源翁心昭 げんのう-しんしょう

1329-1400 南北朝-室町時代の僧。
嘉暦(かりゃく)4年2月19日生まれ。曹洞(そうとう)宗。能登(のと)(石川県)総持寺峨山韶碩(がさん-じょうせき)の法をつぐ。伯耆(ほうき)(鳥取県)退休寺,下野(しもつけ)(栃木県)泉渓寺,陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)示現寺などをひらいた。那須の殺生(せっしょう)石(九尾狐)の悪霊をのぞいたことで知られる。応永7年1月7日死去。72歳。越後(えちご)(新潟県)出身。法名は別に能照,玄妙。諡号(しごう)は能照法王禅師。

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朝日日本歴史人物事典の解説

源翁心昭

没年:応永7.1.7(1400.2.2)
生年:元徳1.2.19(1329.3.20)
南北朝・室町初期に活躍した曹洞宗の禅僧。諱は能照,玄妙。道号は玄翁ともいう。越後(新潟県)荻村の人。陸上寺の善法師について出家し,能登(石川県)総持寺の峨山韶碩の法を嗣ぐ。伯耆(鳥取県)退休寺,下野(栃木県)泉渓寺,安穏寺,会津(福島県)示現寺などを開いた。また下野那須野の殺生石を退治,教化したことで名高く,神人化度にちなむ神異僧として知られる。諡号は能照法王禅師,法王大寂禅師。<参考文献>広瀬良弘『禅宗地方展開史の研究』,石川九山「中世曹洞宗の地方発展と源翁心昭」(『印仏研究』31巻1号)

(佐藤秀孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

源翁心昭
げんのうしんしょう
(1329―1400)

南北朝時代の禅僧。源翁能照(のうしょう)、玄翁玄妙(げんみょう)とも。法王(翁)大寂禅師と称する。越後(えちご)(新潟県)荻(おぎ)村に生まれ、5歳で陸上寺に入り、16歳で剃髪(ていはつ)。18歳(一説に19歳)のときに曹洞(そうとう)宗の能登(のと)(石川県)総持寺峨山韶碩(がざんじょうせき)に学び、その法を嗣(つ)ぐ。1357年(正平12・延文2)伯耆(ほうき)(鳥取県)八橋(やはし)郡に保長氏の援助で退休寺を開き、ついで60年に下野(しもつけ)(栃木県)那須(なす)郡に泉渓寺を、71年(建徳2・応安4)下総(しもうさ)(茨城県)結城(ゆうき)に結城朝光(ともみつ)の助力で安穏寺(あんのんじ)を、さらに74年(文中3・応安7)には会津(福島県)耶麻(やま)郡に慶徳寺を、75年(天授1・永和1)白河に常在院、ついで熱塩(あつしお)の真言宗寺院を改宗し示現寺(じげんじ)を開いた。また85年(元中2・至徳2)には、人畜を害するという那須の殺生石(せっしょうせき)を破砕して妖怪(ようかい)を去らせたと伝える。応永(おうえい)7年正月7日没。なお、殺生石の故事により、石を割る道具を「げんのう」と称するようになったという。[廣瀬良弘]

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