ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「火薬陰謀事件」の解説
火薬陰謀事件
かやくいんぼうじけん
Gunpowder Plot
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1605年に起きたイギリス王ジェームズ1世に対する爆殺未遂事件。旧教的な王の即位により待遇改善を期待したイングランドの旧教徒は、王の国教擁護に失望し、ロバート・ケイツビーを首謀者とする一味は、議会開会式の日に王を議場もろとも吹き飛ばす計画をたて、実行責任者フォークスは議事堂地下室に火薬を運び込んだが、直前に密告者が出て発覚し、一味は逮捕、処刑された。フォークスの逮捕された11月5日は、現在もガイ・フォークス・デーとして記念されている。
[松村 赳]
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…イギリスで毎年11月5日に行われる民間行事。1605年,議会爆破とジェームズ1世殺害をねらったカトリック教徒による〈火薬陰謀事件Gun Powder Plot〉が露見し,その実行者とされるガイ・フォークス(1570‐1606)が逮捕された。それを記念して街頭で大きなかがり火を燃やし,ガイ・フォークスをかたどった奇怪なわら人形に花火をしかけて火中に投じ,陰謀の露見と国王の無事を祝う習俗が以後ながく行われている。…
…1603年イングランドのエリザベス1世の死後,血縁によりその王位を継いだ。〈主教なくして国王なし〉と称して英国国教会を絶対王政の支柱とする政策をとり,ピューリタンを排除するとともにカトリックをも取り締まったため,国王暗殺をねらったカトリックの〈火薬陰謀事件〉(1605)を引き起こした。外交においては当初は反スペインの伝統についたが,やがて親スペインに転じ,三十年戦争の勃発に際して娘の夫ファルツ選帝侯フリードリヒを見捨て,また晩年には息子のチャールズにスペイン王女を妃として迎えようと画策して,国民感情を裏切った。…
…1669年以来,定員100人であったが,近年さらに縮減された。議会爆破と国王暗殺をねらった火薬陰謀事件(1605)以来,国王の議会出席に際し慣行として議会丸天井の捜索を行っている。最後の実戦参加は1743年,オーストリア継承戦争の際である。…
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