町火消(読み)まちびけし

精選版 日本国語大辞典 「町火消」の意味・読み・例文・類語

まち‐びけし【町火消】

〘名〙 江戸時代武家消防隊に対し、町人が自治的に設けた消防組。江戸と大坂に設けられ、江戸では、いろは四七字によって組を分け、本所深川には別に一から一六組までがあり、計六三組。各組とも頭取の下に頭(かしら)・纏持(まといもち)梯子持(はしごもち)・平人・人足の五階級があった。大坂は、雨・川・波・滝・井の五組に分けられていた。
談義本銭湯新話(1754)一「町火消(マチヒケシ)の纏挑灯同然な」

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百科事典マイペディア 「町火消」の意味・わかりやすい解説

町火消【まちびけし】

火消の一つ。町方火消しで江戸では明暦の大火の翌年の1658年に中橋(なかばし)から京橋までの23町が人足を常雇いしたことに始まる。1720年町奉行大岡忠相答申に基づき整備され,いろは47組(のち48組)に編成された。消防夫は各町抱(かかえ)の鳶(とび)人足で組ごとに市中民家の消防に当たった。江戸っ子の典型として勢を張り,定火消大名火消縄張りを侵すこともあった。
→関連項目新門辰五郎出初式火消町鑑目安箱

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「町火消」の意味・わかりやすい解説

町火消
まちびけし

江戸時代の町方の消防組織。町民や人足が町ごとに火事場に駆けつけた店 (たな) 火消 (1715設置) に始るといわれるが,あまり効力はなく,町火消が設置されるまでは,定火消 (じょうびけし) ,大名火消が消防の主力であった。明暦の大火後,町火消の組織化がはかられ,享保3 (18) 年町奉行大岡忠相により町火消の設置が定められた。いろは 47組の町火消ができたのは同4年頃で,同 15年には 47組を 10組に編成,のち本組が加わり 48組となった。各組ごとに頭取がおり,その下に頭,纏 (まとい) ,纏持ち,梯子持ち,平人 (ひらびと) ,人足の階級があった。消防夫を鳶 (とび) というのは,町がかえの鳶人足 (→鳶職 ) が平人となって消火にあたったことに由来する。担当区域は,主として町家に限られたが,のちには武家屋敷の消火にも進出,特に弘化1 (1844) 年の江戸城本丸の火災には大活躍をした。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「町火消」の解説

町火消
まちひけし

近世都市で町方が負担した消防組織。江戸では明暦の大火の翌1658年(万治元)に日本橋南地域で火消組合が成立,1718年(享保3)の町火消設置令と20年のいろは47組の設定によって,全域で恒常的な組織が確立。30年には47組を大組10組に編成,のち48組・大組8組となった。組には頭取・纏持(まといもち)・梯子持(はしごもち)・平(ひら)の職階がある。元来は駆付として各町の召使・店借層が人足を勤めたが,消火活動能力の問題から早期に日用によって代替され,専業の抱鳶(かかえとび)が誕生した。当初の消火対象は町方に限られたが,のち大名火消・定(じょう)火消の範囲にも進出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「町火消」の意味・わかりやすい解説

町火消
まちびけし

江戸における、定火消(じょうびけし)、大名火消など武家方の消防に対する町方の消防組織。町奉行の監督下に置かれ、いろは四十八組(初め四十七組)で知られる。

[編集部]

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旺文社日本史事典 三訂版 「町火消」の解説

町火消
まちびけし

江戸時代の町方の消防組織
1718年から,町奉行大岡忠相 (ただすけ) が町人自衛の店火消を発展させ,「いろは48組」など約1万人の消防組を編成,町の費用で江戸の消防にあたらせた。組ごとに纒 (まとい) をもち,武家の定火消・大名火消の領域にも進出し活動した。

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世界大百科事典(旧版)内の町火消の言及

【大岡忠相】より

…元文の貨幣改鋳(元文金銀)も彼の発議により,彼みずからの指揮のもとで,この目的のために実施したものである。また彼は物価問題はまずなによりも流通問題であるとして,流通界を問屋―仲買―小売という各段階ごとに組織し(日本的流通組織の確立),江戸市民を火災から守るために,町火消〈いろは四十七組〉をつくり,火災時の避難用地としての空地造りとその管理に力をいれた。また板ぶきの屋根を瓦ぶきにするなど,その不燃化に力をいれた。…

【享保改革】より

…しかし享保の飢饉直後から再び米価が下がり,36年(元文1)大岡らによる元文金銀新鋳は,慶長金銀の品位100に対し金60・銀58と銀品位を下げたので貨幣流通が円滑になり,物価問題は一応の解決がみられた。江戸の都市政策では頻発する大火に対して1720年,いろは48組の町火消組の設定(1730年10組に改定),類焼家屋再建時の瓦葺き強制と塗屋,蠣殻葺き奨励のため貸付けを行った。
[改革の評価]
 享保改革の成功は後世の幕府政治の模範とされ,寛政・天保の改革と併せ江戸幕府の三大改革と称される。…

【火消】より

…さらに1717年(享保2)幕府は各大名に,藩邸の近隣の町屋の消火への出動を義務づけた。これを各自火消といい,三町火消,近所火消ともよんだ。
[定火消]
 明暦の大火により大名火消程度では対応できないことを痛感した幕府は,その翌年の1658年(万治1)定火消を創設した。…

※「町火消」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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