コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

町火消 まちびけし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

町火消
まちびけし

江戸時代の町方の消防組織。町民や人足が町ごとに火事場に駆けつけた店 (たな) 火消 (1715設置) に始るといわれるが,あまり効力はなく,町火消が設置されるまでは,定火消 (じょうびけし) ,大名火消が消防の主力であった。明暦の大火後,町火消の組織化がはかられ,享保3 (18) 年町奉行大岡忠相により町火消の設置が定められた。いろは 47組の町火消ができたのは同4年頃で,同 15年には 47組を 10組に編成,のち本組が加わり 48組となった。各組ごとに頭取がおり,その下に頭,纏 (まとい) ,纏持ち,梯子持ち,平人 (ひらびと) ,人足の階級があった。消防夫を鳶 (とび) というのは,町がかえの鳶人足 (→鳶職 ) が平人となって消火にあたったことに由来する。担当区域は,主として町家に限られたが,のちには武家屋敷の消火にも進出,特に弘化1 (1844) 年の江戸城本丸の火災には大活躍をした。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

町火消【まちびけし】

火消の一つ。町方の火消しで江戸では明暦の大火の翌年の1658年に中橋(なかばし)から京橋までの23町が人足を常雇いしたことに始まる。1720年町奉行大岡忠相の答申に基づき整備され,いろは47組(のち48組)に編成された。
→関連項目新門辰五郎出初式火消町鑑目安箱

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

町火消
まちびけし

江戸における、定火消(じょうびけし)、大名火消など武家方の消防に対する町方の消防組織。町奉行の監督下に置かれ、いろは四十八組(初め四十七組)で知られる。[編集部]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の町火消の言及

【大岡忠相】より

…元文の貨幣改鋳(元文金銀)も彼の発議により,彼みずからの指揮のもとで,この目的のために実施したものである。また彼は物価問題はまずなによりも流通問題であるとして,流通界を問屋―仲買―小売という各段階ごとに組織し(日本的流通組織の確立),江戸市民を火災から守るために,町火消〈いろは四十七組〉をつくり,火災時の避難用地としての空地造りとその管理に力をいれた。また板ぶきの屋根を瓦ぶきにするなど,その不燃化に力をいれた。…

【享保改革】より

…しかし享保の飢饉直後から再び米価が下がり,36年(元文1)大岡らによる元文金銀新鋳は,慶長金銀の品位100に対し金60・銀58と銀品位を下げたので貨幣流通が円滑になり,物価問題は一応の解決がみられた。江戸の都市政策では頻発する大火に対して1720年,いろは48組の町火消組の設定(1730年10組に改定),類焼家屋再建時の瓦葺き強制と塗屋,蠣殻葺き奨励のため貸付けを行った。
[改革の評価]
 享保改革の成功は後世の幕府政治の模範とされ,寛政・天保の改革と併せ江戸幕府の三大改革と称される。…

【火消】より

…さらに1717年(享保2)幕府は各大名に,藩邸の近隣の町屋の消火への出動を義務づけた。これを各自火消といい,三町火消,近所火消ともよんだ。
[定火消]
 明暦の大火により大名火消程度では対応できないことを痛感した幕府は,その翌年の1658年(万治1)定火消を創設した。…

※「町火消」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

不義理

[名・形動]1 義理を欠くこと。また、そのさま。「多忙でつい不義理になる」2 人から借りた金や物を返さないでいること。「茶屋への―と無心の請求」〈逍遥・当世書生気質〉...

続きを読む

コトバンク for iPhone

町火消の関連情報