出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
静岡県南部にある市。2004年(平成16)榛原(はいばら)郡の御前崎、小笠(おがさ)郡の浜岡(はまおか)の2町が合併、市制施行して成立。国道150号が通じる。市域は遠州灘(えんしゅうなだ)と駿河(するが)湾を分ける形で海に張り出し、南の遠州灘沿いには砂丘が発達している。また、県最南端の岬である御前崎に向かって一帯は、牧ノ原台地の延長にあたり、標高30~49メートルほどの隆起海食台地である。御前崎の東の沖合い約3キロメートルには暗礁があり、古くから航行上の難所であった。江戸時代から灯明(とうみょう)番所が置かれていたが、1874年(明治7)に洋式の灯台が完成、現在も白亜の塔形をした御前埼灯台(国の重要文化財)が岬の最南端に立つ。御前崎港は重要港湾に指定(1975)され、大型コンテナ船の接岸できる多目的国際ターミナルをもち、物流の拠点となっている。マグロ、カツオなどの遠洋漁業も盛んである。農業はメロン、トマト、イチゴなどの施設園芸、花卉(かき)栽培を中心に行い、北部では茶の栽培が盛ん。また市内には、池新田、白羽(しろわ)などの工業団地、中部電力の浜岡原子力発電所がある。御前崎遠州灘県立自然公園に含まれる。国指定の天然記念物として、「白羽の風蝕礫(ふうしょくれき)産地」、「御前崎のウミガメ及びその産卵地」があり、御前崎海岸には毎年アカウミガメが産卵にやってくる。面積65.56平方キロメートル、人口3万1103(2020)。
[編集部]
静岡県御前崎市にある岬。岬端(こうたん)は県の最南端にあたり、駿河(するが)湾と遠州灘(えんしゅうなだ)とを分けるように突出する。一帯は牧ノ原台地の延長にあたり、標高30~40メートルほどの隆起海食台地で、第三紀層の相良(さがら)層群の上に白羽礫(しろわれき)層とよばれる海成の円礫層が堆積(たいせき)している。海岸沿いには波食台や岩礁も露出し、宝永地震(ほうえいじしん)(1707)や安政地震(あんせいじしん)(1854)に際しては隆起運動もみられた。東の沖合い3キロメートルほどに御前岩などのある沖御前暗礁があって、航行上の難所であるので、岬端部に江戸時代、灯明(とうみょう)番所が置かれ、イギリス人技師ヘンリー・ブラントンRichard Henry Brunton(1841―1901)によって1872年(明治5)工事着工、1874年に洋式の御前埼灯台(国の重要文化財)が完成した。特別地域気象観測所、無線航路標識などの施設もある。台地周辺ではツバキ、ヤマモモなど暖地性照葉広葉樹の林相に特色があるが、冬の西風が強く、砂丘も発達し、台地西向斜面には風食礫である三稜石(さんりょうせき)があり、「白羽の風食礫産地(しろわのふうしょくれきさんち)」として国指定天然記念物。また、御前崎海岸には毎年アカウミガメが産卵に訪れ、「御前崎のウミガメ及びその産卵地」は国指定の天然記念物である。御前崎遠州灘県立自然公園に指定されている。
[北川光雄]
静岡県最南端の榛原郡(はいばらぐん)にあった旧町名(御前崎町(ちょう))。現在は御前崎市の東南端を占める一地区。1955年(昭和30)御前崎村と白羽(しろわ)村が合併して町制施行。2004年(平成16)浜岡(はまおか)町と合併、市制施行して御前崎市となる。旧御前崎町は、国道150号が通じ、区域南端を形成する岬の御前崎は、遠州灘(えんしゅうなだ)と駿河(するが)湾を分ける隆起海食台地である。東方沖合い約3キロメートルに暗礁があり古くから遭難船が多く、現在は白亜の灯台が岬に立つ。マグロ、カツオの遠洋漁業が盛んで、メロン、トマト、花卉(かき)栽培も行う。御前崎港は重要港湾に指定(1975)され、おもに木材や貨物などの集積を行っている。また、潮干狩もできる。
[川崎文昭]
静岡県南部の市。2004年4月御前崎町と浜岡(はまおか)町が合体して成立した。人口3万4700(2010)。
御前崎市南東端の旧町。旧榛原郡所属。人口1万1569(2000)。遠州灘と駿河湾とを分ける御前崎に位置する。農業と漁業の町で,温暖な気候を生かして,メロン,トマトなどの園芸作物や茶,タマネギ,スイカなどが栽培される。漁場にも恵まれ,カツオ,シラスなどの沿岸・近海漁業が行われ,遠洋漁業も盛んである。1968年御前崎遠州灘県立自然公園に指定された前後から,御前埼灯台(1874初点)付近を中心に県下有数の観光地に発展,古くからの漁港である御前崎港も避難港として整備され,その後,地方港湾,国際貿易港,重要港湾へと進展を続けている。遠州灘に面した海岸は砂丘が続き,天然記念物の三稜石もみられる。
御前崎市中西部の旧町。旧小笠郡所属。人口2万4490(2000)。北部は牧ノ原台地南端にあたり,新野(にいの),朝比奈,比木などの集落が点在し,茶の産地になっている。遠州灘に臨む南部は浜岡砂丘が広がり,池新田と佐倉の2集落が国道150号線に沿って発達する。主集落の池新田は慶長年間(1596-1615)に新野池を干拓した新田である。農業人口の減少や兼業化が進むなかで農業は都市近郊型へと移行し,茶や畜産とともに,温暖な気候と砂地を生かしたイチゴ,スイカなどの施設園芸が行われる。食品加工や繊維工業が立地するほか,電機や輸送機械工場も誘致されている。砂地試験場,ねむの木学園(1997年掛川市に移転),中部電力浜岡原子力発電所などがある。佐倉北部の池宮神社境内の桜ヶ池周辺は桜の名所として知られ,秋の彼岸の中日には納櫃(のうひつ)祭が行われる。
執筆者:萩原 毅
静岡県最南端,御前崎市にある岬。駿河湾南西に突出して遠州灘とを分ける。一帯は標高約40mの隆起海食台で基盤は新第三系の相良層群からなり,表面には白羽礫層(しろわれきそう)と呼ばれる風食礫(三稜石)をのせ,周囲は急崖で限られる。白羽の風食礫は1943年天然記念物に指定された。海岸に沿って形成された波食台は地震の際の隆起運動を示し,台地面の断層地形は変動の跡を示す。沖合には沖御前岩礁があり,大陸棚が広く発達している。冬季の西風が強く,遠州灘からの砂が台地上にも吹き上がって御前崎砂丘を形成した。飛砂を防ぐためにクロマツを植林するとともに,風向と斜交して人工斜砂丘で固定し,耕地化が進んだ。かつてはサツマイモの産地で西風を利用したむし切干しは特産であったが,現在は茶園が広い。暖地性照葉樹林のグミ,ツバキなどの植生や台地上の屋敷森にかこまれる集落景観にも特色がある。南部海岸はアオウミガメの産卵地としても知られる。岬端部は湾口部にあるため1874年に洋式白色の御前埼灯台が建てられ,測候所,無線航路標識などもある。1948年避難港として建設を始めた御前崎港は,71年国際貿易港として開港し,75年には重要港湾に指定され,また海岸に沿う道路(臨湾道路など)も整備された。御前崎遠州灘県立自然公園にふくまれ,ホテルや民宿なども建設されてきた。
執筆者:北川 光雄
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