明治〜昭和期の医学者 東北大学総長。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
大正・昭和期の医学者。結核の臨床的研究・予防につとめた。長野県生れ。東京帝大医科大学卒。青山胤通(あおやまたねみち)に師事,アメリカ,ついでドイツに留学し内科学,医化学,免疫学を研究。1913年帰国し,東北帝大医学専門部教授となり,同校昇格に伴い,15年東北帝大教授。同大学付属病院長,東北大学総長などを歴任し,41年付属抗酸菌病研究所を創設し初代所長となった。結核の治療と予防について日本における指導的な立場にあり,その水準を高めた。とくに結核の病理学的研究,BCGの研究,人工気胸の改善などに功績があるが,第2次大戦後は厚生省結核療法研究協議会委員長として結核の化学療法の発展・定着に寄与した。初期にはインシュリンの研究がある。46年退官,52年文化勲章受章。学士院会員。仙台名誉市民。
執筆者:長門谷 洋治
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医学者。長野県生まれ。東京帝国大学医科大学を卒業(1906)、ついで内科学教室で青山胤通(たねみち)に師事した。1908年(明治41)からアメリカとドイツに留学、1913年帰国し、東北帝国大学医学専門部教授となり、1915年同大学医科大学教授。1940年(昭和15)東北帝国大学総長に選任され、1941年同大学抗酸菌研究所を創設してその初代所長となった。結核菌の研究、ひいてはその治療と予防に指導的役割を果たし、アイナー、ストマイ、パスの三つの薬を使う、いわゆる結核の三者療法を提唱、その治療効果を臨床的・病理組織的に研究した。インスリンの抽出の研究もある。1952年(昭和27)文化勲章を受章。
[大鳥蘭三郎]
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