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和歌山県の熊野地方に鎮座する熊野本宮(ほんぐう)大社(旧称は熊野坐(にます)神社、通称は本宮)、熊野速玉(はやたま)大社(旧称は熊野早玉神社、通称は新宮)、熊野那智(なち)大社(旧称は飛滝権現(ひろうごんげん)、熊野夫須美(ふすみ)神社、熊野那智神社、通称は那智山)の総称。熊野三所(さんしょ)権現ともよばれた。3社とも院政期(1086~1179)以降、家都御子(けつみこ)大神、速玉大神、熊野夫須美大神を祀(まつ)っている。平安初期に新宮・本宮を中心に修験(しゅげん)道場が開かれ、延喜(えんぎ)年間(901~923)にさらに那智が加えられ、この3社が知られるとともに、11世紀末の永保(えいほう)・応徳(おうとく)年間(1081~87)ころ、熊野三山の呼称が一般となり、本宮の本地阿弥陀如来(あみだにょらい)、新宮の本地薬師(やくし)如来、那智の本地観音菩薩(かんのんぼさつ)を一体としての熊野信仰が発達した。1090年(寛治4)白河(しらかわ)上皇の熊野御幸を機会に三山検校(けんぎょう)職が置かれ、全山管理の別当(べっとう)も補された。さらに続いた上皇および女院以下の熊野御幸で、その宗教的権威を高め、経済的にも保証されるに至り、御師(おし)が発達するとともに、熊野権現として全国に勧請(かんじょう)された。なお、霊場「熊野三山」は、2004年(平成16)「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。
[鎌田純一]
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熊野三所権現とも。熊野本宮大社(和歌山県田辺市)・熊野速玉大社(同新宮市)・熊野那智大社(同那智勝浦町)の総称。自然信仰に由来し,神仏習合により阿弥陀信仰や補陀落(ふだらく)渡海信仰と結びつき,霊場化を進めた。院政期の院・貴族の熊野詣をきっかけに熊野信仰が広まり,鎌倉時代以降は武士や庶民にまで及んだ。有力者は檀那として御師(おし)に把握され,師檀関係が成立。この関係ははじめは特定の結びつきをもっていたが,しだいに御師間で売買・譲与が行われるようになった。檀那の熊野詣に際しては先達が案内役を務める一方,各地の檀那に牛王(ごおう)宝印や守札などの配布も行った。1090年(寛治4)以降,熊野三山は形式上は園城寺の僧が兼帯する検校(けんぎょう)の支配下にあったが,実際には現地を統轄する別当が支配した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…クマノとは霊魂の籠(こも)る地との意味があるらしく,早く《日本書紀》神代巻に,伊弉冉(いざなみ)尊が火神を生むとき灼(や)かれて死んだので,紀伊国の熊野に葬ったとある。やがてこの地に熊野三山と称される霊場が開かれると,神秘的な伝承が数多く発生し,死者の霊は遠隔の地からもこの熊野へ行くものだとか,熊野へ行けば死者の霊に会えるとかの信仰を生んだ(熊野信仰)。山岳が重畳し,交通きわめて不便であったにもかかわらず,熊野灘に臨む海岸美に,瀞(どろ)峡,那智滝などの景勝地や,湯ノ峰,湯ノ川などの温泉の存在も手伝って,熊野三山参詣のためにはるばる足を運ぶ人が,古代末期から中世にかけて増大した(熊野詣(くまのもうで))。…
…和歌山県の熊野山(熊野三山,熊野三所と呼ぶことが多い)を中心とした民俗的信仰。熊野地方は近畿の南端に突出した山岳地帯であるが,ふもとには大河がうねって流れ,しかも洋々たる大海を見渡すことのできる地である。…
…熊野夫須美大神とも称し,千手観音を本地とした。 以上の三社がいわゆる熊野三山であり,その霊威は平安末期以後全国的にあがめられた。三社がそれぞれ共通の三所権現(本宮,新宮,那智)をまつったというのも特色の一つで,しかも四所明神などの眷属神,五所王子やいわゆる九十九王子などの王子神(御子神)を含む多数の神格の集合体となったのも特色である。…
※「熊野三山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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