デジタル大辞泉 「国士無双」の意味・読み・例文・類語
こくし‐むそう〔‐ムサウ〕【国士無双】
2 マージャンの役満貫の一。一と九の
[補説]作品名別項。→国士無双
伊丹万作監督のサイレント映画の〈幻の名作〉で,フィルムは現存しない。1932年製作の片岡千恵蔵プロダクション(千恵プロ)作品。原作は伊勢野重任(その後,千恵プロの専属となって山中貞雄や稲垣浩の作品の脚本を書いた)の《にせ者》。〈武士道華やか過ぎしころ〉という字幕で始まり,〈武芸十八般の本家本元,総元締,将軍家御指南番〉の上泉伊勢守(高勢実乗)がその名前をかたるにせ者(片岡千恵蔵)に敗れ,〈ほんものがにせものに負けたためしは,古今東西,歴史にない〉と修業を積んで挑戦したがふたたび敗れ,〈正しいものが正しくないものに負けた〉〈正しいものが勝つのではない。いつの世でも勝つものが正しい〉という痛烈な逆説の論理を展開する喜劇であり,〈武士道〉によって代表される封建的モラルに対する風刺でもある。そして〈勝ったものがにせものでいる必要はない。ほんものになってくれ〉〈拙者にはにせもほんものもない。勝つも負けるも自分があるだけだ〉という押問答の末,勝ったにせものの伊勢守は負けたほんものの伊勢守の娘(山田五十鈴)と手をたずさえて雪の中に消えていき,やがて2個の雪ダルマになってしまうという結末。〈時代劇から剣を奪え〉と主張して時代劇と現代劇の区別をのりこえようとした当時の若い映画作家たち(山中貞雄,稲垣浩,伊丹万作ら)による〈髷(まげ)をつけた現代劇〉という新しい時代劇の代表作の1本である。公開当時,とくに〈会話字幕〉の多いことが欠点の一つとして指摘されたが,1935年になってトーキー第1作《忠次売出す》をつくることになる伊丹万作がすでにトーキー移行を意識していたかと思われる作品である。
執筆者:柏倉 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
…10年間に22本の映画を撮ったが,すべて自作のシナリオによる。〈日本のルネ・クレール〉などと呼ばれたその〈知性の映像〉,内面のペシミズムとうらはらの軽妙洒脱(しやだつ)な語り口は,彼の映画のプリントとして現存している3本のうちの1本(しかも前半のほぼ1巻分が欠けているといわれる)《赤西蠣太》(1936)と《伊丹万作全集》第3巻所収の〈映画シナリオ集〉にわずかに片鱗がうかがえるのみで,名作といわれる《国士無双》(1932)もトーキー第1作の《忠次売出す》(1935)も現存していない(《赤西蠣太》のほかに現存するのは,戦国時代の経済破壊工作を描く奇抜なアイディアの《気まぐれ冠者》(1935)と,ビクトル・ユゴーの《レ・ミゼラブル》(1862)を翻案した《巨人伝》(1938))。 本名,池内義豊。…
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[小市民映画と鳴滝組]
世界大恐慌による不景気,戦争への歩みといった暗い世相の中,映画はサイレントからトーキーへと移り変わり,一方に検閲の強化もあって,時代劇は大きく変貌していく。その渦の一つの中心となったのは片岡千恵蔵プロダクションで,伊丹万作監督が《逃げ行く小伝次》《花火》などを経て,ほんものの剣聖がにせものに敗れるという話の《国士無双》(1932)で諧謔(かいぎやく)と風刺の精神を明朗かつ知的に打ち出し,《闇討渡世》(1932)では同じ姿勢で平手造酒の孤独を描いて,伊達騒動を背景にした《赤西蠣太》(1936)でその知的散文精神に基づく映画づくりを完成させる一方,稲垣浩監督《瞼の母》《一本刀土俵入り》(ともに1931),《弥太郎笠》(1932)などが,哀愁と明朗さに満ちた股旅もの映画のスタイルをつくり出した。いずれも片岡千恵蔵主演作品である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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