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遠山金四郎 とおやまきんしろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

遠山金四郎
とおやまきんしろう

[生]?
[没]安政2(1855)
江戸時代後期の江戸町奉行。景晋の子。名は景元。左衛門尉と称し,北町奉行南町奉行を経て大目付に進んだ。市井無頼の徒と交遊し,下情に通じた名判官とうたわれ,「遠山の金さん」として講談浪曲で知られる。

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デジタル大辞泉の解説

とおやま‐きんしろう〔とほやまキンシラウ〕【遠山金四郎】

[?~1855]江戸末期の町奉行。名は景元。左衛門尉(さえもんのじょう)と称した。小普請作事勘定などの奉行を経て、江戸の町奉行となり、名奉行といわれた。桜の入れ墨のある「遠山の金さん」は、講談などでの脚色。

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百科事典マイペディアの解説

遠山金四郎【とおやまきんしろう】

江戸後期の町奉行。名は景元(かげもと)。小普請奉行勘定奉行公事方を経て,1840年北町奉行。天保改革の主導者水野忠邦や南町奉行鳥居耀蔵とは親密ではなかったようでいったん大目付に移されたが,忠邦失脚後の1845年再度南町奉行。

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江戸・東京人物辞典の解説

遠山金四郎

1793〜1855(寛政5〜安政2)【幕臣芝居小屋を廃止から守った、庶民派の入墨北町奉行。 幕臣。名は景元。勘定奉行をへて1840年に北町奉行。天保改革にあたり、水野忠邦の芝居小屋廃止に反対、浅草猿若町への小屋移転だけに留めた。また、株仲間解散令でも忠邦と対立するなど、厳しい市中取り締まりに抵抗し、市政からはずされたが、1845年南町奉行に復帰した。若い頃は無頼生活を送り、入墨をしていたと言われる。大岡越前守に並ぶ名奉行として市井の評判を集め、講談化された。

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世界大百科事典 第2版の解説

とおやまきんしろう【遠山金四郎】

1793‐1855(寛政5‐安政2)
江戸末期の幕臣。幼名は通之進,名は景元(かげもと),号は帰雲。金四郎は通称。左衛門尉景晋(かげくに)の子(遠山家には金四郎を名のる者が少なくないが,景元がもっとも著名)。小納戸より小普請奉行,作事奉行,勘定奉行公事方を経て1840年(天保11)3月北町奉行となる。天保改革の株仲間解散に反対し,内命をうけながらしばらく握りつぶしていたため差控をうけたことがあり,老中水野忠邦や南町奉行の鳥居耀蔵とは親密でなかったようである。

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大辞林 第三版の解説

とおやまきんしろう【遠山金四郎】

?~1855) 江戸後期の幕臣。名は景元。金四郎は通称。左衛門尉とも。1840年江戸北町奉行、45年南町奉行。名奉行の評判高く、「遠山の金さん」の名で浪曲・講談に脚色される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

遠山金四郎
とおやまきんしろう

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