日本映画。1936年(昭和11)作品。伊丹万作(いたみまんさく)監督。原作は志賀直哉(しがなおや)の同名小説。サイレント映画の末期1930年代初めに、「チョン髷(まげ)をつけた現代劇」とよばれたジャンルが生まれ、好評を博した。これは時代劇スターの片岡千恵蔵(かたおかちえぞう)主演により、稲垣浩(いながきひろし)監督や伊丹監督が創出したもので、当時流行(はや)った小市民映画の影響を受けた現代劇的な趣向の時代劇で、本作はその代表作である。すでにサイレント時代、『国士無双』(1932)で発揮されていた伊丹のユーモアとリベラルな持ち味はここでも健在。伊達(だて)騒動を下敷きにし、千恵蔵の密偵を主人公に、恋や友情をからめて騒動の舞台裏を描いた。トーキー初期のフランスの監督ルネ・クレール風の味わいも感じられ、洒脱(しゃだつ)な日本映画として評価された。武張った時代劇が多いなか、異色の作風が人気をよんだが、こうした作風は子息の伊丹十三(じゅうぞう)に受け継がれ、1980年代に開花することになる。
[千葉伸夫]
片岡千恵蔵主演,伊丹万作監督による1936年製作の異色時代劇。千恵蔵プロ作品。志賀直哉の短編小説の〈筋と主題〉を素材として伊丹自身が自由に脚色。眉がボヤーッと太く,色黒で,鼻のわきにほくろがあり,伊丹自身の言葉によればまさに〈千恵蔵にして千恵蔵にあらざる〉田舎侍を演じさせ(ただし,白塗二枚目で原田甲斐を二役で演じ,歌舞伎的な立回りを見せるシーンもある),ラスト・シーンで蠣太と小浪(毛利峯子)が向かい合って座っているところに,ワーグナーの《結婚行進曲》を流したり,当時画然と区別されていた〈時代劇〉と〈現代劇〉の境界を崩そうとした試みが見られる。伊丹自身は〈純文芸の映画化〉の流行を利用して,〈純映画的映画〉をつくったと語っている。腸捻転を起こした蠣太が,自分で腹を切って腸のねじれを直すという原作にもあるくだりを,切腹のパロディとして描くなど〈知的なギャグ〉〈朗らかなニヒリズム〉と評された伊丹作品ならではの諧謔(かいぎやく)味がある。ハリウッド帰りの特異な面相の〈悪役〉,上山草人がおっちょこちょいのあんまの安甲役を“怪演”した。
執筆者:宇田川 幸洋
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…10年間に22本の映画を撮ったが,すべて自作のシナリオによる。〈日本のルネ・クレール〉などと呼ばれたその〈知性の映像〉,内面のペシミズムとうらはらの軽妙洒脱(しやだつ)な語り口は,彼の映画のプリントとして現存している3本のうちの1本(しかも前半のほぼ1巻分が欠けているといわれる)《赤西蠣太》(1936)と《伊丹万作全集》第3巻所収の〈映画シナリオ集〉にわずかに片鱗がうかがえるのみで,名作といわれる《国士無双》(1932)もトーキー第1作の《忠次売出す》(1935)も現存していない(《赤西蠣太》のほかに現存するのは,戦国時代の経済破壊工作を描く奇抜なアイディアの《気まぐれ冠者》(1935)と,ビクトル・ユゴーの《レ・ミゼラブル》(1862)を翻案した《巨人伝》(1938))。 本名,池内義豊。…
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[小市民映画と鳴滝組]
世界大恐慌による不景気,戦争への歩みといった暗い世相の中,映画はサイレントからトーキーへと移り変わり,一方に検閲の強化もあって,時代劇は大きく変貌していく。その渦の一つの中心となったのは片岡千恵蔵プロダクションで,伊丹万作監督が《逃げ行く小伝次》《花火》などを経て,ほんものの剣聖がにせものに敗れるという話の《国士無双》(1932)で諧謔(かいぎやく)と風刺の精神を明朗かつ知的に打ち出し,《闇討渡世》(1932)では同じ姿勢で平手造酒の孤独を描いて,伊達騒動を背景にした《赤西蠣太》(1936)でその知的散文精神に基づく映画づくりを完成させる一方,稲垣浩監督《瞼の母》《一本刀土俵入り》(ともに1931),《弥太郎笠》(1932)などが,哀愁と明朗さに満ちた股旅もの映画のスタイルをつくり出した。いずれも片岡千恵蔵主演作品である。…
※「赤西蠣太」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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