K.マルクスの後期思想における基本的な概念装置の一つ。〈物化Verdinglichung〉ないし〈物象化〉という概念は,マルクス以後,彼とは独立に,G.ジンメル,H.リッケルト,M.ウェーバーなどにおいても用いられている。マルクスの場合,この概念は,後継者たちにおいて永らく忘れられていたが,ルカーチ,わけてもその著《歴史と階級意識》(1923)によって復活され,マルクスの基本的概念装置として有名になった。ルカーチがこの概念を復活させえたのは,彼のよく知っていたジンメル,リッケルト,ウェーバーの用語法を媒介にしてのことと思われるのだが,この経緯がルカーチ流の物象化概念とマルクス本来の物象化概念とのあいだにずれを生じさせ,そのことがまた,マルクスの物象化概念の理解に一定の混乱をもたらすゆえんともなった。
ジンメル,リッケルト,ウェーバーが物化ないし物象化と呼ぶのは,精神的なものが事物的なものに化する,人格的なものが物象的(=非人格的)なものに成る,といった事態であり,そこでは〈主体的なものの客体的なものへの転成〉の構図で考えられている。ルカーチは,この構図を承けることによって,後期マルクスの物象化概念をその線で理解しただけでなく,ヘーゲルやヘーゲル左派の〈疎外論〉,すなわち,精神的なものの事物的なものへの外化,主体的なものの客体的なものへの自己疎外という論理をも彼流の物象化論に包摂してしまった。その結果,初期マルクスがヘーゲル左派と共有していた疎外論と,後期マルクスがそれを止揚して確立した物象化論との区別性があいまいになり,ヘーゲル主義的な〈主体-客体の弁証法〉という構図内で両者が連続化されることになった。このルカーチの影響もあり,また,マルクスのテキスト解釈が一義的でないこともあって,今日でも,物象化を疎外の特殊形態とみたり,逆に,疎外を物象化の特殊形態とみたりするマルクス理解が一掃されるまでには至っていない。
近年のマルクス研究では,しかし,初期の疎外論と後期の物象化論とのあいだにはパラダイム・チェンジが介在すること,したがって,疎外論と物象化論とを同工異曲のものとみるのは誤りであることがしだいに認められるようになってきている。もちろん,物象化論は疎外論を弁証法的に止揚して成立したものであるから,両者は無関係ではない。また,初期にも物化という言葉の使われている例があり,後期にも疎外という言葉が術語(テクニカル・ターム)としての語義を脱色してではあるが何回か使われてもいる。しかし,初期の疎外論が〈主体=実体の自己外化と自己回復〉という近代哲学流の図式で発想されているのに対して,後期の物象化論は,このような〈主-客図式〉を超克した地平において,〈関係の存在論的第一次性〉の了解に立脚して構築されており,そこにはパラダイム・チェンジが画されている。
後期マルクスのいう物象化とは,人々の社会的関係(この関係は裸の主体的関係ではなく,そもそもの初めから事物的契機も媒介的・被媒介的に介在している)が,当事者たちの日常的意識にとっては,〈物と物との関係〉ないし〈物の具(そな)えている性質〉ないしはまた〈自立的な物象〉の相で現前化する事態を指す。ここに〈人々の社会的関係〉というさい,人々とはもちろん単なる肉体的存在ではなく,いわゆる意識をそなえて行動する主体であること,したがって,単なる認知的・意識的な関係態ではなく,実践的な関係態が問題であることはいうまでもない。が,当の〈対自然的かつ相互間的な人々の関係〉は,単なる主体的なものではなく,根源的な関係的存在であることに留意を要する。マルクスは,人々の一定の歴史的・社会的な諸関係が,そのつどの具体相において,当事者たちの日常的意識やそれを追認する体制内在的な俗流学問知にとって,物象化されて現象する事態を分析してみせる。彼は商品・貨幣・資本の物神性(物神崇拝)といった経済現象の場での物象化だけでなく,社会的諸制度なるものの物象化,政治的その他の権力の物象化,法その他の規範の物象化,文化的諸価値の物象化,ひいては,もろもろの社会的法則や歴史的動態の物象化などをも批判的に解明する途をひらいたのであった。
物象化論の概念装置は,人々の意識に現前する日常的現実をありのままに見定めつつ,しかもそこにおける物象化的錯視を批判し,事柄の真相を指摘する機能をはたす。それは物象化という背後的過程に無自覚な旧来の社会科学や歴史科学の短見を退け(例えば,社会現象の存在構造や運動法則を自存的な対象的存在とみなす科学主義の排却),人々が物象化された舞台的状況に内存在し,物象化現象を再生産しつつ,日常的に営んでいる現実的な関係行為にさかのぼって社会的・歴史的・文化的現象を究明する新しい方法論を確立する。それはまた,物象化の機構に無自覚な社会変革の戦略を批判し(例えば,貨幣というものを廃止しさえすれば貨幣経済ひいては資本主義制度を廃棄できると考えるたぐいの空想的社会主義や,国家というものを無くせば政治悪を除去できると考えるアナーキズムの克服),課題を実現するためには社会的人間関係の在り方をどのように再編制しなければならないかを解明する。と同時に,それは大衆運動それ自身の物象化された展開相をたどることを展望しつつ,共産主義革命の戦略・戦術をも理論的に基礎づけるものとなっている。
→疎外
執筆者:廣松 渉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
人間の形成する社会関係およびそこに参与する主体が、ある一定のメカニズムを介してあたかもモノのように立ち現れてくる現象を表す用語。一般に、物化Verdinglichung(ドイツ語)ないし物象化とよばれているものは、およそ次の三つのレベルに整理できる。
(1)人間そのものの物化。これは人間が奴隷商品とか機械体系の一部として繰り込まれているような事態をさす。(2)人間行動の物化。諸個人の自由意志ではどうにもできなくなっている人の流れとか、群集化された人の動きとか、行動様式の習慣的固定化のように、自己の行動が個々の人間ではコントロールできないという意味で物とみられる。(3)人間の能力の物化。人間の精神を物的に定在化させたものとして考えられている芸術作品や、投下労働価値説でいう商品価値などがこれにあたる。
K・マルクスは『資本論』において、人間と人間の共同的関係が物の性質のように倒錯視されたり、人間と人間との共同的な関係が物と物との関係であるかのように倒錯視される現象を問題にした。人間と人間の関係といっても、それは人間的対象活動における協労関係であり、それがある屈折を経て物の性質や物と物との関係であるかのように仮現する事態をさす。このような事態がなぜ、またはいかにして生ずるかについてを歴史の法則性として把握するのがマルクスの物象化論である。
[似田貝香門]
『廣松渉著『物象化論の構図』(1983・岩波書店)』▽『K・マルクス著、向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…神的なものの流出(プロティノス),父なる神の受肉(三位一体論),イデアの分有・臨在(プラトン),普遍の個における内在(普遍論争)という伝統的な諸類型に対して,ヘーゲルはつねに有機的・生動的媒介を説く。そこには,個人が自己を放棄して普遍を支えるという普遍と個との疎外による媒介,社会的関係を個体化・実体化した観念的な幻想が社会的に妥当する結果,観念性が社会的現実性の構成要素になるという物象化論による媒介という,〈普遍問題〉に対する社会的アプローチも見られ,マルクスの《資本論》に強い影響を与える。 ヘーゲル哲学は,絶対的に自立的な真理の体系的な自己展開を確立して,デカルト以来の哲学理念に完成した表現を与えた。…
※「物象化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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