日本大百科全書(ニッポニカ) 「物神性」の意味・わかりやすい解説
物神性
ぶっしんせい
Fetischcharakter ドイツ語
資本主義社会は、社会的分業と生産手段の私的所有に基づく社会であり、労働は私的生産者によって相互に独立して営まれている。相互に独立して営まれている私的労働の生産物は必然的に商品形態をとる。これらの私的労働の複合体が社会的総労働を形成するが、この私的労働は直接的に社会的総労働の一環として行われているのではない。私的生産者は、彼らの労働生産物を相互に交換することによって初めて互いに社会的連関をもつのであり、彼らの私的労働は、この商品交換を媒介として初めて社会的総労働の一環であることを実証する。このような商品交換に基づく社会においては、生産者の私的労働の社会的連関は、彼らの諸労働そのものにおける人と人との直接に社会的な関係としてではなく、物と物との社会的連関として現象する。その結果、物(商品、貨幣、資本)がひとり歩きを始め、逆に人間を支配するようにみえてくる。こうした商品経済に不可避的な神秘的転倒的現象を、マルクスは、石とか木片などの物を崇(あが)める原始的な信仰になぞらえて、商品世界の物神性(または物神崇拝)とよんだ。
物神性は、経済的範疇(はんちゅう)が商品から貨幣へ、さらに資本へと上向していくにつれて深化発展していく。まず商品の物神性の場合、人間の諸労働の同等性が、労働生産物が価値として同等だという形をとり、人間的労働力の支出の時間的継続による度量は、労働生産物の価値の大きさという形をとり、さらに生産者たちの諸労働の社会的連関が労働生産物の社会的連関として現れる。商品物神はさらに貨幣物神へと深化発展する。すなわち商品はその価値を自分では表現できないで、他の商品との交換関係において他の商品の使用価値によってしか表現されえないが、商品世界の共同事業として商品世界から排除され、他の諸商品の価値表現の材料としての役割を独占するようになった商品が金である。こうして金は貨幣となるのであるが、そのとき金は他の商品がそれでもって価値を表現するがゆえに貨幣となるとはみえないで、金は生まれながらに貨幣であるがゆえに他の諸商品は金でもって一般的にそれらの価値を表現するかのようにみえてくる。これが貨幣の物神性である。さらに資本の物神性の場合には、利潤や利子などの源泉が資本家による労働者の剰余労働の搾取に基づく剰余価値ではなくて、生産手段そのものが諸価値を生み出すかのようにみえてくる。
これらの物神性は商品経済に不可避的な現象であって、これが理論的に解明されたからといって消滅することはないが、マルクスはその解明を通して資本主義の本質を明らかにしたのである。
[二瓶 敏]
『K・マルクス著『資本論』第1巻第1篇第1章(向坂逸郎訳・岩波文庫/岡崎次郎訳・大月書店・国民文庫)』