改訂新版 世界大百科事典 「牽牛織女」の意味・わかりやすい解説
牽牛・織女 (けんぎゅうしょくじょ)
Qiān niú, Zhī nǚ
中国,神話伝説の中にみえる男女一対の神。おそらく元来は牽牛が男の仕事である農耕を,織女が女の仕事である養蚕紡織を象徴し,神話的宇宙観の中で二元構造をなす一対の神格であったものが,星座にも反映されたものであろう。星名は,牽牛がアルタイルAltair,織女がベガVega。この2神は,後には七夕(たなばた)の行事と結びついた恋愛譚の主人公となる。牽牛星と織女星とが並んで歌われる例はすでに《詩経》小雅・大東篇にみえるが,その背後にいかなる伝承があったのかはうかがいがたい。漢代の〈古詩十九首〉にも牽牛星と織女とが歌われ,当時すでに両者の間に恋愛と離別の物語があったことが知られる。魏晋南北朝時代(3~6世紀),《荆楚歳時記》や小説雑記類の中に,七夕の行事と結びついて牽牛・織女の物語が記録されている。
その大略は,彼らは天帝のはからいで結婚したが,仲よくばかりしていて仕事をなまけたため天帝の怒りを買い,分け隔てられて天漢(天の川)の両岸におり,1年に1度,七夕の夜に会合するというものである。会合に際しては織女が鵲(かささぎ)のかける橋を渡って天漢を越えるともされている。この物語は,すでに六朝時代から文人たちの詩題となっているほか,長い時代の中に変形をこうむり新しい要素を付加させて,現在も中国各地の民話の中に牛郎織女の物語として語り伝えられている。民話の中にはさまざまなバリエーションがあるが,白鳥処女説話と結合したものは,次のような粗筋である。西王母(王母娘娘)の末娘の織女が姉妹たちと水浴をする間に,飼牛の助言によってその天衣をぬすんだ牛郎が織女と結婚する。西王母は二人の結婚を怒って織女を天につれもどすが,牛郎は飼牛の助力で天に昇り織女と再会する。しかし西王母が簪(かんざし)で線を引くとそれが天漢となって二人を隔てる。こうした物語は民話のみならず伝統劇の題材ともなり,京劇の《天河配》,湖北省の黄梅戯(こうばいぎ)の《牛郎織女》などはこれを歌劇にしたものである。
→七夕
執筆者:小南 一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報