猿払村(読み)さるふつむら

日本歴史地名大系 「猿払村」の解説

猿払村
さるふつむら

面積:五九〇・〇〇平方キロ

大正一三年(一九二四)宗谷村から分村して成立した宗谷郡の村。宗谷支庁の東部オホーツク海側に位置し、北から西は稚内市、西は天塩郡豊富とよとみ町、南は浜頓別はまとんべつ町と天塩郡幌延ほろのべ町。村の面積としては北海道で一番広く、日本では三番目である。村域の約三二・二三パーセントが山林で、宅地は〇・三二パーセントである(平成一三年度「宗谷の統計」)。海岸線を国道二三八号が通り、北部を東西に主要道道豊富―猿払線が横断する。豊富町との境界をなす幌尻ぽろしり(ポロシリ山、四二六・八メートル)は、天塩山地北端をなす高さ二〇〇―四〇〇メートルの宗谷丘陵の中央部に位置する。東側は猿払に流れ出る猿払川・狩別かりべつ川、西側はサロベツ原野に流れ出るサロベツ川の源となっている。明治二年(一八六九)八月北見国宗谷郡に属し、同年九月加賀金沢藩の支配地となった。翌三年六月開拓使直轄となる。明治一一年猿払村が成立したが、同四二年宗谷村・泊内とまりない村と合併して宗谷村となる。

猿払村
さるふつむら

[現在地名]宗谷郡猿払村鬼志別東町おにしべつひがしまち鬼志別西町おにしべつにしまち鬼志別南町おにしべつみなみまち鬼志別北町おにしべつきたまち知来別ちらいべつ小石こいし浜鬼志別はまおにしべつ豊里とよさと芦野あしの狩別かりべつ猿払さるふつ浜猿払はまさるふつ浅茅野あさじの浅茅野台地あさじのだいち上猿払かみさるふつ

明治一一年(一八七八)一〇月に成立した宗谷郡の村。明治一二年七月、宗谷村外五ヶ村戸長役場の管轄下となる。この時の戸口三戸・一一人(猿払村史)。同二一年稚内村外五ヶ村戸長役場、同三三年宗谷・泊内とまりない・猿払三村戸長役場の管轄下となった。同二四年の戸数五、男七・女五(徴発物件一覧)、同三六年の戸口は一六戸・二五人(「町村別戸口表」市立函館図書館蔵)。明治一八年サハリン(樺太)のロシア囚徒九人が脱獄して当地に漂着した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「猿払村」の意味・わかりやすい解説

猿払〔村〕
さるふつ

北海道北部にある村。地名はアイヌ語のサルプツ (葦原河口の意) に由来する。北東はオホーツク海に面し,海岸線沿いに砂丘が連続。内陸部は排水不良な重粘土,泥炭地から成る低湿地やポロ沼,キモマ沼のような沼地が広がり,奥地の丘陵地帯に続いている。酪農沿岸漁業が中心。針葉樹に囲まれたカムイト沼や,沼の周囲にエゾカンゾウが咲き乱れるモケウニ沼があり,北オホーツク道立自然公園に属する。国道 238号線が通る。面積 589.99km2。人口 2611(2020)。

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