日本大百科全書(ニッポニカ) 「王艮」の意味・わかりやすい解説
王艮
おうごん
(1483―1540)
中国、明(みん)代の庶民思想家。初名は銀、のちに艮と改名。字(あざな)は汝止(じょし)、号は心斎。江蘇(こうそ)省泰州(たいしゅう)安豊場の人。製塩業者の家に生まれ、のちに商業を行って富を得、学問に志す。38歳で王守仁(しゅじん)(陽明)に会見して感化され、自らも講学活動を行う。王畿(おうき)(竜渓)とともに二王と称された王門左派の領袖(りょうしゅう)。救世済民を目ざす実践主義を唱え、陽明の致良知説を庶民の立場に即してとらえ、人はすべて聖賢であり、万民の日用現在こそが道にほかならぬとして、学問を士大夫(したいふ)の独占から解放しようとした。講筵(こうえん)には庶民も参列し、心斎の情熱によって特徴ある学派が形成された。泰州学派とよばれる。後世、儒教規範から逸脱する者も現れたと非難されたが、心斎の淮南(わいなん)格物説は清(しん)代でも高く評価された。陽明没後、陽明学派の維持に貢献した点も忘れられない。
[佐野公治 2016年2月17日]