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王艮 おうこんWang Gen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

王艮
おうこん
Wang Gen

[生]成化19(1483)
[没]嘉靖19(1540)
中国,明の儒学者。江蘇省安豊場の人。字は汝止。心斎先生と呼ばれた。王陽明の高弟。王畿とともに王学左派中心人物泰州学派の泰斗。王学の庶民化をはかった。著書『王心斎先生全集』。

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世界大百科事典 第2版の解説

おうこん【王艮 Wáng Gèn】

1483‐1540
中国,明代の思想家。字は汝止,号は心斎。王心斎と呼びならわされる。江蘇泰州の人。製塩業者の子に生まれた彼は独学であったが,38歳の時に王守仁に師事した。王門長老の一人。良知現成論を唱えて王畿と共に〈二王〉と並称された。素王意識による淮南格物説を主張し,孝悌を人倫回復の原点として強調し,下層社会への教化に情熱を燃やし,門下に破格の思想家が輩出した。この学派を泰州学派すなわち王学左派という。【吉田 公平】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

王艮
おうごん
(1483―1540)

中国、明(みん)代の庶民思想家。初名は銀、のちに艮と改名。字(あざな)は汝止(じょし)、号は心斎。江蘇(こうそ)省泰州(たいしゅう)安豊場の人。製塩業者の家に生まれ、のちに商業を行って富を得、学問に志す。38歳で王守仁(しゅじん)(陽明)に会見して感化され、自らも講学活動を行う。王畿(おうき)(竜渓)とともに二王と称された王門左派の領袖(りょうしゅう)。救世済民を目ざす実践主義を唱え、陽明の致良知説を庶民の立場に即してとらえ、人はすべて聖賢であり、万民の日用現在こそが道にほかならぬとして、学問を士大夫(したいふ)の独占から解放しようとした。講筵(こうえん)には庶民も参列し、心斎の情熱によって特徴ある学派が形成された。泰州学派とよばれる。後世、儒教規範から逸脱する者も現れたと非難されたが、心斎の淮南(わいなん)格物説は清(しん)代でも高く評価された。陽明没後、陽明学派の維持に貢献した点も忘れられない。[佐野公治]

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世界大百科事典内の王艮の言及

【王学左派】より

…その際,(1)実存する人間の現姿,(2)個人の自立と社会活動の関係,をいかに把握するか,換言すれば,王守仁の(1)良知の自己実現による個人の自立,(2)万物一体の仁,真誠惻怛(そくだつ)の愛に促されて教化安養し大同社会を建設すること,この2点が論争主題であった。 さて王守仁直伝の高弟には,王艮(おうこん),王畿,欧陽崇一(南野),銭徳洪(緒山),鄒守益(東廓),羅洪先(念奄),聶豹(じようひよう)(双江)がいる。このうち王艮・王畿の二王は良知心学の本質をより徹底化した。…

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