甘粕正彦(読み)あまかすまさひこ

百科事典マイペディア 「甘粕正彦」の意味・わかりやすい解説

甘粕正彦【あまかすまさひこ】

陸軍軍人。仙台市出身。1912年陸軍士官学校卒。1923年東京麹町憲兵分隊長のとき,関東大震災混乱に乗じて無政府主義者大杉栄伊藤野枝らを絞殺甘粕事件),軍法会議で懲役10年の判決を受けるが,恩赦により3年で出所,陸軍機密費でフランスに渡る。1929年帰国し,大川周明の手引きで中国東北部へ渡り,関東軍に協力して満州事変などの裏で種々画策,〈満州国〉建設に関与する。満州国協和会中央本部総務部長・満州映画協会理事長などを歴任したが,敗戦自決。→甘粕事件

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「甘粕正彦」の意味・わかりやすい解説

甘粕正彦
あまかすまさひこ
(1891―1945)

大正時代の軍人、昭和時代の満州国要人。明治24年1月26日宮城県に生まれる。父は警察官。陸軍士官学校卒業後、けがのため憲兵に転科し、1921年(大正10)憲兵大尉となった。渋谷憲兵分隊長兼麹町(こうじまち)憲兵分隊長のとき、1923年9月の関東大震災にあい、大杉栄(おおすぎさかえ)らを殺害、同年軍法会議で懲役10年の判決を受けた。1926年10月に出獄し、翌1927年渡仏。帰国後、中国東北(満州)に渡り、関東軍の満州占領計画に協力した。1932年(昭和7)に満州国民政部警務司長、のち協和会中央本部総務部長、満州映画協会理事長などを歴任した。昭和20年8月20日自決。

[吉見義明]

『角田房子著『甘粕大尉』(中公文庫)』

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改訂新版 世界大百科事典 「甘粕正彦」の意味・わかりやすい解説

甘粕正彦 (あまかすまさひこ)
生没年:1891-1945(明治24-昭和20)

陸軍軍人,のち満州国の要人。仙台市生れ。1912年陸軍士官学校卒,21年憲兵大尉となる。23年9月東京麴町憲兵分隊長のとき,関東大震災の混乱に乗じてアナーキスト大杉栄らを殺害し,軍法会議で懲役10年の判決をうける(甘粕事件)。26年仮出所し,フランスに渡る。29年帰国後大川周明の手引きで満州に渡り,満州事変に際し裏面で関東軍に協力,のち満州国民政部警務司長,協和会中央本部総務部長,満州映画協会理事長などを歴任。敗戦直後の45年8月20日長春(当時は新京)で自決。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「甘粕正彦」の意味・わかりやすい解説

甘粕正彦
あまかすまさひこ

[生]1891.1.26. 宮城
[没]1945.8.20. 満州(現・中国東北部),新京
陸軍軍人,旧満州国要人。 1912年,陸軍士官学校卒業後,憲兵司令部副官などを経て,21年憲兵大尉となる。 23年9月 16日,麹町憲兵分隊長として無政府主義者大杉栄,大杉の妻で婦人運動家伊藤野枝,甥の橘宗一 (6歳) を連行し,絞殺した (甘粕事件) 。甘粕は軍法会議にかけられ,懲役 10年の判決を受けたが,3年後の 26年仮出所,30年中国に渡る。 31年の満州事変以後,軍の謀略・工作活動にたずさわり,満州国建設に関与した。のち,満州映画協会理事長などを歴任。 45年第2次世界大戦終結と同時に満州でピストル自殺した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「甘粕正彦」の解説

甘粕正彦 あまかす-まさひこ

1891-1945 大正-昭和時代前期の軍人。
明治24年1月26日生まれ。大正12年東京麹町(こうじまち)憲兵分隊長(憲兵大尉)となり,関東大震災の混乱に乗じて大杉栄,伊藤野枝らを殺害し,懲役10年の刑をうける(甘粕事件)。昭和4年満州(中国東北部)にわたり,満州国建国に関与。のち満州映画協会理事長。昭和20年8月20日新京(現長春)で自殺。55歳。宮城県出身。陸軍士官学校卒。
【格言など】大ばくちもとも子もなくすってんてん(満映理事長室の黒板にのこした辞世の句)

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