生体工学(読み)セイタイコウガク(その他表記)biological engineering

デジタル大辞泉 「生体工学」の意味・読み・例文・類語

せいたい‐こうがく【生体工学】

バイオニクス

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「生体工学」の意味・わかりやすい解説

生体工学
せいたいこうがく
biological engineering
bioengineering

工学理論や技術を積極的に応用して生体構造や機能を解明するとともに、その成果を生かして、新しい技術を開発することを目的とした学問分野である。すなわち、生体工学は生体系と工学系の間にあって両分野(双方向)の橋渡しをするもので、その範囲は広く、内容も流動的である。

[鈴木良次]

生体工学と生体系・工学系

工学の理論や技術が生体の解析に役だつという考えは、デカルトの「動物機械論」の例にもみられるように古くからあったが、1947年、アメリカ、マサチューセッツ工科大学のN・ウィーナーの提唱した「サイバネティックス」cyberneticsは、生体系と工学系の境界領域の学問形成に大きな影響を与えたといえる。「サイバネティックス」は、情報やシステムの概念を科学や技術の対象とすることの重要性を提起した科学技術思想であり、20世紀後半の科学技術を特徴づける情報科学、システム科学の基礎となったといえる。その対象は生体系にとどまらず、広く自然や社会システムを包含するものであるが、翌1948年に出版されたウィーナーの著書『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』の副題にみられるように、動物の体内での情報処理と制御の仕組みが、当時急速に発達してきた制御理論や通信理論によって解明できるという期待をもったものであった。これは、生体工学が行う双方向の橋渡しのうちの、工学系から生体系への流れを示すものといえる。この点を強調した研究をとくに、バイオサイバネティックスbiocyberneticsとよぶことがある。これに対し、生体工学のもう一つの向きの橋渡し、すなわち、生体系の知識を工学系に活用しようとする流れをバイオニクスbionicsあるいはバイオミメティックスbiomimeticsとよんでいる。前者は生体の情報処理、後者は生体の構造や材料に着目した研究である。

 世界的にみると、生体工学の研究は1960年ころから活発に行われるようになり、日本でも1962年(昭和37)に日本エム・イー学会(現、日本生体医工学会)の設立をみたあと、日本バイオメカニクス学会、日本神経回路学会など、生体工学関係の学会が続々と結成された。また、既存の学会においても、生体工学関係の部会や研究会が数多く組織され、活発な活動が行われているが、生体工学の二つの向きの流れは不均衡で、工学系から生体系、とくに当初から臨床医学への応用が著しい。

[鈴木良次]

生体工学の対象

生体工学がこれまで対象としてきた生体系の機能のおもなものをあげると次のようになる。

(1)視覚、聴覚、味覚、嗅覚(きゅうかく)、触覚などの感覚による物の形、音声、味、においなどのパターン識別の機能
(2)記憶、学習、思考、判断など脳の高次機能
(3)手足・身体の運動や発声の機能
(4)循環系、呼吸系、消化排泄(はいせつ)系などでの流体を含む物質の輸送機能
(5)自律神経系による生体調節の機能
(6)感覚細胞および筋肉などの効果器官におけるエネルギー変換の機能
(7)皮膚、骨格など生体材料の物理的・電気的特性
(8)生体の形態・構造と機能の関係
(9)生体の発生、分化、成長と消滅過程など形態形成、生体の自己組織・自己修復の機能
(10)遺伝と進化の過程、社会形成の過程
 これらのうち、神経系における情報処理を対象としたものを「神経情報工学」、運動、形態と機能など力学的特性に着目したものを「バイオメカニクス」biomechanics、物性を対象としたものを「生体物性学」などとよんでいる。さらに、臨床応用を包含して「医用生体工学」という表現が使われている。

 ところで、生体工学は、生物学と同じく生物の構造や機能を対象とするが、研究の手法に違いがある。生物学では、生体そのものを対象とした分析的手法がとられるのに対し、生体工学では、おもにモデルを用いた構成的手法がとられる。その典型例の一つは、神経情報工学で使われている神経回路モデルである。脳や神経系の構成単位である神経細胞の数学モデルをつくり、これを組み立ててできるシステムの機能を調べ、それが生体の機能と一致すれば、このとき使った構成原理が生体でも使われていると考える。この手法は、心臓の機能の解析にも使われている。生体のもつ複雑な機能が構成的手法で研究できるようになったのは、理論だけでなく、計算機やメカトロニクスの急速な発達に負うところが大きい。ヒューマノイドロボット(人間型ロボット)の研究や、2005年からスイスを中心に開始され、2013年から本格化したヒューマン・ブレイン・プロジェクト(人間の脳の仕組みを解明するプロジェクト。開始当初の名称はブルー・ブレイン・プロジェクト)は象徴的な例ではあるが、「どのように部品を組み合わせてシステム全体を構成するか」が実は大きな課題として残されている。

[鈴木良次]

『N・ウィーナー著、池原止戈夫・彌永昌吉他訳『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』第2版(1962・岩波書店)』『甘利俊一著『神経回路網の数理――脳の情報処理様式』(1978・産業図書)』『鈴木良次著『生物情報システム論』(1991・朝倉書店)』『川人光男著『脳の計算理論』(1996・産業図書)』『日本機械学会編・刊『機械工学便覧 デザイン編β8 生体工学』(2007)』『レイ・カーツワイル著、井上健監訳、小野木明恵・野中香方子・福田実訳『ポスト・ヒューマン誕生――コンピュータが人類の知性を超えるとき』(2007・NHK出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生体工学」の意味・わかりやすい解説

生体工学
せいたいこうがく
bioengineering

生物工学,バイオニクスともいう。生物のもっているすぐれた機能を人工的につくって,技術的問題の解決に応用する学問。サイバネティクスの思想を工学的に発展させようとするものともいえる。 1960年アメリカで多数の専門分野の異なった科学者たちが集って開いたシンポジウムに対して,アメリカ空軍航空宇宙医学研究所の J.スチールがバイオニクス・シンポジウムと名づけたのが始り。バイオニクスは古代ギリシア語の「生命の単位」という意味の単語ビオン bionから造った言葉。生物学者の研究によって,生物のすぐれた感覚や神経系統がきわめて小さいところに効率よくまとめられていることがわかった。その詳細なメカニズムについても,明らかにされつつあり,ミクロ技術の進歩と連動したマイクロマシンという新分野も誕生した。また,生体中で有効に働いている進化型のアルゴリズムを情報工学分野へ応用する試みも盛んになっている。

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世界大百科事典(旧版)内の生体工学の言及

【生物工学】より

…生物学・医学と工学との境界領域に位置する。生体工学,バイオエンジニアリング,バイオニクスbionicsとも呼ばれる。分子生物学,生物物理学,生理学,解剖学,心理学などを基礎学問とし,遺伝子工学細胞工学,発生工学,医用工学,人間工学制御工学人工知能などの幅広い応用分野をもつ。…

※「生体工学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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