最新 心理学事典 「生得的解発機構」の解説
せいとくてきかいはつきこう
生得的解発機構
innate releasing mechanism(英),angeborener Auslösemechanismus(独)
ティンバーゲンは,トゲウオの複雑な求愛行動や攻撃行動に注目し,数多くの実験研究を行なった。雄のトゲウオは,自分の縄張りに他の雄が侵入すると激しい攻撃を行なう。雄の姿のどのような特徴が攻撃行動を誘発するかを調べるために,さまざまな種類の模型が,縄張りにいる雄に見せられた。その結果,実物の雄にそっくりだが腹が赤くない模型にはまったく攻撃が行なわれなかった。しかし,実物とはまったく似ていない単純な平たい楕円形をした腹部が赤い模型には攻撃が行なわれた。すなわち,攻撃行動を引き出す鍵刺激は,雄のような形ではなく,大ざっぱに魚の形をした腹部が赤い対象であった。
繁殖期の雄は腹部が赤くなる。この婚姻色は超正常刺激supernormal stimulusの一つと考えられる。超正常刺激とは,実物ではありえないほど刺激特徴を極端に誇張した偽物のほうが,生物を引きつけて本能行動を誘発するものをいう。たとえば,ティンバーゲンが実験を行なったミヤコドリは,通常3個の卵を産んで保温するが,そばに5個の卵をかためて置くと,そちらを抱こうとする。ほかにセグロカモメの餌乞い反応など,さまざまな事例が知られている。
生得的解発機構には,カイコガのフェロモンのように末梢の感覚器だけで処理が完結するものも存在する。シュナイダーSchneider,D.(1957)は,カイコガの雄の触覚は,雌の性フェロモンにのみ選択的に応答するように特殊化していることを見いだした。
しかし,鍵刺激を抽出するために,このような感覚器官の特殊化が生じることはまれである。たとえば,トゲウオの眼は他の雄の赤い腹を見るために特殊化しているわけではなく,求愛行動のために作る複雑な構造の巣材となる水草や小石など詳細な視覚情報を網膜から得ている。赤い腹を選択し,雄の姿や大きさなどを無視するためには,より高次な神経回路が関与している。
ヒキガエルが空腹時に,視野内を移動する小さな物体を発見すると,その方向に向き直り,そっと忍び寄って両眼で対象をとらえ,舌をすばやく伸ばして対象をつかんで飲み込み,前肢で口をぬぐう。この一連の行動も生得的解発機構の一例である。カエルは,視角で4~8°の範囲の大きさの対象が一定の速度で移動するときに捕食を行なう。しかし形は横長でなければならず,縦長の対象には反応しない。横長の対象(虫刺激)が長辺に平行な方向で動いたときのみ,この行動が解発される。
一連の処理は,網膜での刺激受容から始まり,視神経を経て,中脳の視蓋で完遂する。網膜の視細胞で刺激を受容し,網膜内の双極細胞,アマクリン細胞で情報が修飾,統合されて,神経節細胞を経て視神経から視蓋へ至る。視蓋の神経細胞には,虫刺激に特異的に反応し,かつ捕食行動と密接な関係を示すものがある。この神経細胞を電気刺激すると,あたかも虫を発見したかのように架空の虫に定位し,前肢で口をぬぐうまでの一連の捕食行動を完遂させる。 →本能
〔川合 伸幸〕
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