改訂新版 世界大百科事典 「道守荘」の意味・わかりやすい解説
道守荘 (ちもりのしょう)
日本古代の東大寺領荘園。越前国足羽郡道守村にあり,現在の福井市街の西方,足羽川と日野川の合流点付近に位置した。同荘は749年(天平勝宝1)4月勅による墾田施入・占定に始まり,後に同郡大領生江東人(いくえのあずまひと)が大領就任以前に私の功力で開いた墾田100町を功徳料として東大寺に寄進し荘域を拡大した。766年(天平神護2)には東人はさらに7町余の墾田を寄進し,また荘域内の百姓墾田の買得や口分田の交換などにより34町余の荘域の拡大,一円化を図った。正倉院に現存する同年の開田地図によれば200町以上の荘域を占め,950年(天暦4)の記録には326町2段55歩と見える。しかし翌年の足羽郡庁の報告によればすでに荒廃・没落して久しいことがわかる。その経営には生江東人の下で生江息嶋・長浜といった一族の果たした役割が大きかった。開田地図は縦144cm,横194cmの麻布に,荘域内を縦横に走る溝渠,1坪ごとの土地の状況,建物の立ち並ぶ庄所などが描かれ,荘園の内部状況や位置を知る上で重要な史料である。
→東大寺開田図
執筆者:館野 和己
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報