田中 伝左衛門(11代目)
タナカ デンザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 専門
- 歌舞伎囃子
- 肩書
- 田中流家元(11代目),歌舞伎囃子協会会長 重要無形文化財保持者(歌舞伎音楽・囃子)〔昭和53年〕
- 本名
- 奥瀬 孝(オクセ タカシ)
- 別名
- 前名=田中 佐太郎(8代目)(タナカ サタロウ)
- 生年月日
- 明治40年 7月17日
- 出生地
- 東京市 本郷区(東京都 文京区)
- 経歴
- 物心がついた時には叔母・杵屋勘代に長唄を習い、6歳で父・10代目田中伝左衛門に入門、歌舞伎囃子を師事。大正4年帝国劇場に見習格で初出演、6年初舞台。9年8代目田中佐太郎を襲名。この頃から2代目望月太左吉に師事し、長唄囃子の古典手法を学ぶ。14年帝国劇場専属となる。また能楽囃子に興味を持ち、昭和7年から能楽囃子の修業に専念し、観世武雄(2代目観世喜之)や大蔵六蔵(大倉流13代家元)に入門。長唄囃子研究所を設立。16年歌舞伎に復帰。21年11代目伝左衛門を襲名、田中流家元を継ぎ、古典の復活と能楽手法を融和した新しい田中手法を完成。初代中村吉右衛門一座、6代目中村歌右衛門付きの囃子部長を務める。39年歌舞伎囃子協会設立、初代会長に就任。53年人間国宝。58年国立劇場歌舞伎音楽研修で講師を務める。歌舞伎囃子の研究家としても知られた。著書に「囃子 十一世田中伝左衛門聞書」「囃子とともに」などがある。
- 所属団体
- 歌舞伎囃子協会,長唄協会(相談役),伝統歌舞伎保存会(理事)
- 受賞
- 紫綬褒章〔昭和45年〕 モービル音楽賞(邦楽部門)〔昭和49年〕,演劇功労者〔昭和50年〕
- 没年月日
- 平成9年 3月16日 (1997年)
- 家族
- 父=田中 伝左衛門(10代目),兄=田中 涼月(2代目),三女=田中 佐太郎(9代目),孫=田中 源助(歌舞伎長唄囃子方)
- 親族
- 叔母=杵屋 勘代,三女の夫=亀井 忠雄(能楽葛野流大鼓方)
田中 伝左衛門(10代目)
タナカ デンザエモン
- 職業
- 歌舞伎長唄囃子方
- 肩書
- 田中流10世家元
- 本名
- 赤田 礼三郎
- 別名
- 前名=田中 源助,柏 扇吉(カシワ センキチ),俳名=田中 涼月(タナカ リョウゲツ)(初代)
- 生年月日
- 明治13年 2月2日
- 出生地
- 東京都
- 経歴
- 明治25年、9代目伝左衛門に入門し田中源助を名乗って、東京歌舞伎座に出勤。その後5代目尾上菊五郎の弟子分となり初代柏扇吉と改名する。44年田中伝左衛門を襲名し、帝国劇場の専属となる。昭和に入って初代中村吉右衛門一座の鳴物主任をつとめ、18年初代涼月を名乗ったが、21年家督を譲り、29年芸界を引退した。
- 没年月日
- 昭和30年 2月22日 (1955年)
- 家族
- 父=三遊亭 金朝(落語家),長男=田中 涼月(2代目),二男=田中 伝左衛門(11代目)
田中 伝左衛門(9代目)
タナカ デンザエモン
- 職業
- 長唄囃子方
- 本名
- 田中 福蔵
- 別名
- 前名=田中 源助,田中 佐太郎(7代目)(タナカ サタロウ)
- 経歴
- 7代目田中伝左衛門の二男として生まれる。兄は8代目田中伝左衛門。明治22年東京歌舞伎座の開場に伴い座付囃方として出演していたが、28年金沢に移住して稽古専門の生活に入り、以後没するまで金沢に住んだ。
- 没年月日
- 明治42年 11月11日 (1909年)
- 家族
- 父=田中 伝佐衛門(7代目),兄=田中 伝佐衛門(8代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
田中伝左衛門 (たなかでんざえもん)
長唄囃子方。流祖は延享年間(1744-48)の森田座小鼓方西村弥平治といわれ,初世と2世は西村弥平治を数えるのか,あるいは田中伝左衛門を名のっていたのか明らかではない。(1)3世(?-1801(享和1)) 初名源助,前名田中佐太郎。1760年(宝暦10)伝左衛門を襲名する。3世の次男万吉は8世杵屋喜三郎の養子となり,のち9世杵屋六左衛門となる。(2)4世(?-1830(天保1)) 3世の長男。幼名与市,前名2世佐太郎。1799年(寛政11)伝左衛門を襲名,さらに1823年(文政6)に凉至(りようし)と改名する。(3)5世(?-1840(天保11)) 4世の門弟と思われるが明らかではない。初名源助,前名3世佐太郎。1823年4世の改名とともに伝左衛門を襲名する。(4)6世(?-1853(嘉永6)) 5世の門弟と思われるが,これも明らかではない。幼名長吉。源助,4世佐太郎を経て,1843年(天保14)ごろ伝左衛門を襲名する。筆録《芝居囃子日記》は長唄研究のための貴重な記録である。(5)7世(?-1860(万延1)) 前名5世佐太郎。1854年(安政1)ごろ伝左衛門を襲名する。6世との関係不明。(6)8世 生没年不詳。7世の長男。幼名長吉。源助から6世佐太郎を経て,1867年(慶応3)ごろ伝左衛門をつぐ。明治の初年病没したという。(7)9世(?-1909(明治42)) 7世の次男。幼名福蔵。源助,7世佐太郎を経て伝左衛門を襲名したといわれる。1895年(明治28)ごろ金沢へ移住,同地で病没したという。(8)10世(1880-1955・明治13-昭和30) 9世の門弟。幼名源助。のち柏扇之助に師事し,柏扇吉を名のる。1911年伝左衛門を襲名。帝国劇場の専属として活躍,43年凉月(りようげつ)と改名する。(9)11世(1907-97・明治40-平成9) 10世の次男。前名8世佐太郎。1946年伝左衛門を襲名する。中村吉右衛門一座や歌舞伎座の囃子部長として活躍するとともに,古曲の研究家としても著名で,能楽の造詣も深い。78年重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
田中伝左衛門
たなかでんざえもん
歌舞伎囃子方(かぶきはやしかた)、田中流の家元名。田中流は江戸中期の西村弥平次(やへいじ)(弥平治とも)よりおこり、次代も弥平次と称したという。そして、1749年(寛延2)森田座の顔見世番付に名を現す田中源助(?―1801)が佐太郎の名を経て田中伝左衛門を名のったが、同人は弥平次の弟子か縁者だったらしく、この伝左衛門を3世と数えている。以後かならずしも実子相続ではなかったが、江戸時代を通じ8世まで継承された。なかでは、江戸後期歌舞伎囃子界の貴重な記録『芝居囃子日記』を残した6世(?―1853)が著名。明治期になり、1895年(明治28)に9世(?―1909)が金沢へ移住し、歌舞伎界から伝左衛門の名跡は中絶した。
[小林 責]
(1880―1955)本名赤田礼三郎。1892年(明治25)9世の門弟となり田中源助を名のったが、師の金沢移住に伴い5世尾上(おのえ)菊五郎の弟子分となって柏扇吉(かしわせんきち)と改名。1911年(明治44)田中家の親戚(しんせき)にあたる杵屋(きねや)六左衛門家の勧めで田中伝左衛門を襲名、開場した帝国劇場の専属となった。のち初世中村吉右衛門(きちえもん)一座の囃子主任を勤め、43年(昭和18)に俳名凉月(りょうげつ)を名のる。
[小林 責]
(1907―97)本名奥瀬孝。10世の次男。前名、8世佐太郎。1946年(昭和21)11世襲名。64年歌舞伎囃子協会を設立して初代会長に就任。78年歌舞伎音楽(囃子)部門として初の重要無形文化財各個指定(人間国宝)の認定を受ける。能楽囃子の造詣(ぞうけい)が深く、歌舞伎囃子の研究者としても知られる。嗣子(しし)は三女の9世佐太郎(1948― )。兄に2世凉月(1904―1979)があった。
[小林 責]
『11世田中伝左衛門・今尾哲也著『囃子……十一世田中伝左衛門聞書』(1983・玉川大学出版部)』▽『『囃子とともに……十一世田中伝左衛門著作集』(1984・田中伝左衛門氏の喜寿を祝う会)』
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田中 伝左衛門(11代目)
タナカ デンザエモン
昭和・平成期の歌舞伎長唄囃子方 田中流家元(11代目);歌舞伎囃子協会会長。
- 生年
- 明治40(1907)年7月17日
- 没年
- 平成9(1997)年3月16日
- 出生地
- 東京・本郷
- 本名
- 奥瀬 孝
- 別名
- 前名=田中 佐太郎(8代目)(タナカ サタロウ)
- 主な受賞名〔年〕
- 紫綬褒章〔昭和45年〕,モービル音楽賞(邦楽部門)〔昭和49年〕,演劇功労者〔昭和50年〕
- 経歴
- 物心がついた時には叔母・杵屋勘代に長唄を習い、6歳で父・10代目伝左衛門に入門。大正4年帝国劇場に見習格で初出演、14年同劇場専属となる。この頃から能楽囃子に興味を持ち、昭和7年能楽小鼓方の大倉流13代家元・大倉六蔵に弟子入りする。昭和21年11代目伝左衛門を襲名、田中流家元を継ぎ、古典の復活と能楽手法を融和した新しい田中手法を完成。39年歌舞伎囃子協会設立、初代会長に就任。53年人間国宝。歌舞伎囃子の研究家としても知られた。著書に「囃子十一世田中伝左衛門聞書」「囃子とともに」などがある。
田中 伝左衛門(10代目)
タナカ デンザエモン
明治〜昭和期の歌舞伎長唄囃子方 田中流10世家元。
- 生年
- 明治13(1880)年2月2日
- 没年
- 昭和30(1955)年2月22日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 赤田 礼三郎
- 別名
- 前名=田中 源助,柏 扇吉(カシワ センキチ),俳名=田中 涼月(タナカ リョウゲツ)(1代目)
- 経歴
- 明治25年、9代目伝左衛門に入門し田中源助を名乗って、東京歌舞伎座に出勤。その後5代目尾上菊五郎の弟子分となり初代柏扇吉と改名する。44年田中伝左衛門を襲名し、帝国劇場の専属となる。昭和に入って初代中村吉右衛門一座の鳴物主任をつとめ、18年初代涼月を名のったが、21年家督を譲り、29年芸界を引退した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
田中伝左衛門(3世)
たなかでんざえもん[さんせい]
[生]?
[没]1801
長唄囃子方。囃子の家柄としては,望月家とともに最も伝統ある名跡。初名源助,寛延3 (1750) 年江戸森田座の大鼓打としてその名がみえる。翌年佐太郎となり,宝暦 11 (1761) 年伝左衛門を襲名。以来,田中家では代々,源助,佐太郎は伝左衛門の控え名となった。長男は父業を継いで4世伝左衛門となり,次男は8世杵屋喜三郎の養子となって,のち9世杵屋六左衛門となった。なお,流祖は延享年間 (1744~48) の小鼓打西村弥平治の子孫とも門弟ともいわれ,明らかではない。1,2世については未詳。
田中伝左衛門(11世)
たなかでんざえもん[じゅういっせい]
[生]1907.7.17. 東京
[没]1997.3.16. 東京
長唄囃子方。 10世伝左衛門 (1880~1955) の実子。本名奥瀬孝。 1946年佐太郎を経て 11世を襲名。父に師事して歌舞伎囃子を学ぶとともに,長唄,観世流謡曲,葛野流大鼓,大倉流小鼓,金春流太鼓,森田流笛を修めた。また,劇場出勤のかたわら 1964年歌舞伎囃子協会を設立し,囃子の研究に精進した。同協会初代会長。 1978年重要無形文化財保持者 (人間国宝) に認定された。
田中伝左衛門(6世)
たなかでんざえもん[ろくせい]
[生]?
[没]1853
長唄囃子方。5世伝左衛門 (?~1840) の門弟と思われるが詳細は未詳。『中村座囃子日記』を述作し,後年,根岸の勘五郎 (3世杵屋勘五郎 ) の長唄研究のために貴重な文献を残した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
田中伝左衛門(4代)
没年:天保1.12.22(1831.2.4)
生年:生年不詳
江戸中・後期の歌舞伎囃子方。3代目伝左衛門の長男。初名,与市。安永4(1775)年,2代目佐太郎となり,寛政11(1799)年,4代目伝左衛門を襲名。文政6(1823)年,実子に5代目伝左衛門を譲り,俳名の凉至を名乗る。弟の万吉(3代目伝左衛門の次男)が,杵屋宗家8代目喜三郎の養子となり,のち9代目杵屋六左衛門を相続したため,今日に至るまで田中家と杵屋六左衛門家は親戚の関係を結んでいる。
田中伝左衛門(6代)
没年:嘉永6.8.10(1853.9.12)
生年:生年不詳
江戸後期の歌舞伎囃子方。5代目伝左衛門の門弟らしい。初名長吉,源助。前名,4代目佐太郎。天保13,14(1842,43)年ごろ6代目伝左衛門を襲名。歌舞伎囃子の故実や江戸後期の囃子界の状況を記した貴重な手記『芝居囃子日記』を残した。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
田中伝左衛門(10代) たなか-でんざえもん
1880-1955 明治-昭和時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治13年2月2日生まれ。落語家三遊亭金朝の次男。9代伝左衛門の弟子。のち5代尾上菊五郎の弟子分となり柏扇吉(初代)を名のる。明治44年10代を襲名。帝国劇場の専属囃子方,ついで初代中村吉右衛門一座の囃子頭をつとめた。昭和30年2月22日死去。75歳。東京出身。本名は赤田礼三郎。初名は源助。俳名は凉月。
田中伝左衛門(11代) たなか-でんざえもん
1907-1997 昭和-平成時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
明治40年7月10日生まれ。10代田中伝左衛門の次男。8代佐太郎をへて昭和21年11代を襲名。初代中村吉右衛門一座,6代中村歌右衛門付きの囃子部長をつとめる。39年歌舞伎囃子協会を設立,初代会長。53年人間国宝。平成9年3月16日死去。89歳。東京出身。本名は奥瀬孝。著作に「囃子とともに」。
田中伝左衛門(4代) たなか-でんざえもん
?-1831* 江戸時代中期-後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
3代田中伝左衛門の長男。9代杵屋(きねや)六左衛門の兄。江戸の人。2代佐太郎をへて寛政11年4代を襲名。文政6年子に5代をゆずり,俳名の凉至(りょうし)を名のった。天保(てんぽう)元年12月22日死去。本名は与市。
田中伝左衛門(3代) たなか-でんざえもん
?-1801 江戸時代中期-後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
4代田中伝左衛門,9代杵屋(きねや)六左衛門の父。西村弥平治の弟子とも子孫ともいう。初名は田中源助。寛延2年江戸森田座の顔見世番付に大鼓(おおつづみ)打として名がみえる。佐太郎をへて宝暦10年3代を襲名した。享和元年10月16日死去。
田中伝左衛門(6代) たなか-でんざえもん
?-1853 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
江戸の人。5代との関係は不明。4代佐太郎をへて天保(てんぽう)13-14年ごろに6代を襲名。当時の囃子界の状況や歌舞伎囃子の故実などをつたえる「中村座囃子日記」をのこした。嘉永(かえい)6年8月10日死去。
田中伝左衛門(9代) たなか-でんざえもん
?-1909 明治時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
7代田中伝左衛門の次男。8代の弟。源助,7代佐太郎をへて9代を襲名。東京歌舞伎座の座付きだったが,明治28年金沢にうつり,歌舞伎界にもどらなかった。明治42年11月11日死去。本名は福蔵。
田中伝左衛門(5代) たなか-でんざえもん
?-1840 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
4代田中伝左衛門の子。江戸の人。2代源助,3代佐太郎をへて,文政6年5代を襲名した。天保(てんぽう)11年10月27日死去。
田中伝左衛門(8代) たなか-でんざえもん
?-? 江戸後期-明治時代の歌舞伎囃子(はやし)方。
7代田中伝左衛門の長男。江戸の人。源助,6代佐太郎をへて慶応3年(1867)8代を襲名。明治の初年に病没した。本名は長吉。
田中伝左衛門(7代) たなか-でんざえもん
?-1860 江戸時代後期の歌舞伎囃子(はやし)方。
江戸の人。6代との関係は不明。5代佐太郎をへて,嘉永(かえい)6年7代を襲名した。万延元年7月20日死去。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
田中 伝左衛門(11代目) (たなか でんざえもん)
生年月日:1907年7月10日
昭和時代;平成時代の歌舞伎囃子方。歌舞伎囃子協会会長
1997年没
田中 伝左衛門(11代目) (たなか でんざえもん)
生年月日:1907年7月17日
昭和時代;平成時代の歌舞伎長唄囃子方
1997年没
田中 伝左衛門(10代目) (たなか でんざえもん)
生年月日:1880年2月2日
明治時代-昭和時代の歌舞伎囃子方
1955年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の田中伝左衛門の言及
【芝居囃子日記】より
…歌舞伎囃子方6世[田中伝左衛門]の筆録。成稿年代不詳。…
※「田中伝左衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」