改訂新版 世界大百科事典 「田中伝左衛門」の意味・わかりやすい解説
田中伝左衛門 (たなかでんざえもん)
長唄囃子方。流祖は延享年間(1744-48)の森田座小鼓方西村弥平治といわれ,初世と2世は西村弥平治を数えるのか,あるいは田中伝左衛門を名のっていたのか明らかではない。(1)3世(?-1801(享和1)) 初名源助,前名田中佐太郎。1760年(宝暦10)伝左衛門を襲名する。3世の次男万吉は8世杵屋喜三郎の養子となり,のち9世杵屋六左衛門となる。(2)4世(?-1830(天保1)) 3世の長男。幼名与市,前名2世佐太郎。1799年(寛政11)伝左衛門を襲名,さらに1823年(文政6)に凉至(りようし)と改名する。(3)5世(?-1840(天保11)) 4世の門弟と思われるが明らかではない。初名源助,前名3世佐太郎。1823年4世の改名とともに伝左衛門を襲名する。(4)6世(?-1853(嘉永6)) 5世の門弟と思われるが,これも明らかではない。幼名長吉。源助,4世佐太郎を経て,1843年(天保14)ごろ伝左衛門を襲名する。筆録《芝居囃子日記》は長唄研究のための貴重な記録である。(5)7世(?-1860(万延1)) 前名5世佐太郎。1854年(安政1)ごろ伝左衛門を襲名する。6世との関係不明。(6)8世 生没年不詳。7世の長男。幼名長吉。源助から6世佐太郎を経て,1867年(慶応3)ごろ伝左衛門をつぐ。明治の初年病没したという。(7)9世(?-1909(明治42)) 7世の次男。幼名福蔵。源助,7世佐太郎を経て伝左衛門を襲名したといわれる。1895年(明治28)ごろ金沢へ移住,同地で病没したという。(8)10世(1880-1955・明治13-昭和30) 9世の門弟。幼名源助。のち柏扇之助に師事し,柏扇吉を名のる。1911年伝左衛門を襲名。帝国劇場の専属として活躍,43年凉月(りようげつ)と改名する。(9)11世(1907-97・明治40-平成9) 10世の次男。前名8世佐太郎。1946年伝左衛門を襲名する。中村吉右衛門一座や歌舞伎座の囃子部長として活躍するとともに,古曲の研究家としても著名で,能楽の造詣も深い。78年重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定。
執筆者:植田 隆之助
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報