田中勝介(読み)タナカショウスケ

デジタル大辞泉 「田中勝介」の意味・読み・例文・類語

たなか‐しょうすけ【田中勝介】

江戸初期の貿易商京都の人。慶長15年(1610)日本へ漂着した前ルソン総督ドン=ロドリゴメキシコへの出発同行翌年帰国太平洋を横断した最初日本人生没年未詳。名は「勝助」とも。

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朝日日本歴史人物事典 「田中勝介」の解説

田中勝介

生年:生没年不詳
近世初期の京都の商人。初めて太平洋を横断した日本人。慶長14(1609)年に上総岩和田(千葉県御宿町)の海岸で乗船が座礁した前スペイン総督ロドリゴ・デ・ビベロ・イ・ベラスコが翌年,アカプルコへ帰航する際,後藤庄三郎光次(家康側近・財政家)の仲介で徳川家康から濃毘須般(新イスパニア=メキシコ)へ渡航を許された。同16年5月7日,他の22人の日本人と共にメキシコの副王の答礼使で金銀島探検の使命を帯びたセバスティアン・ビスカイノに伴われて浦賀に帰国。ビスカイノによれば洗礼名をフランシスコ・デ・ベラスコといい,渡海中は善良な態度で尊敬を集めた。帰国後,家康に葡萄酒,羅紗を献上したことが,『駿府記』慶長16年7月22日条にみえる。<参考文献>村上直次郎訳注「ドン・ロドリゴ日本見聞録」「ビスカイノ金銀島探検報告」(異国叢書7巻)

(春名徹)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中勝介」の意味・わかりやすい解説

田中勝介
たなかしょうすけ

生没年不詳。江戸初期の京都の町人。1610年(慶長15)に幕府の船でノビスパニア(メキシコ)に渡った。勝介のことは『駿府記(すんぷき)』とスペイン大使セバスティアン・ビスカイノの『金銀島探検報告』にごく短い記述がみられるのみである。彼は1610年8月、幕府が前年日本で遭難した前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴらをノビスパニアへ日本船で送還する際に同行し、かの地でキリシタンの洗礼を受け、羅紗(らしゃ)、ぶどう酒などを入手して、翌11年スペイン大使ビスカイノの船で帰朝した。大使は、勝介が性質善良で日本人仲間から尊敬されていたと報じている。太平洋を横断した最初の日本人であった。駿府で徳川家康に報告したのちの動静は不明である。

[松田毅一]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「田中勝介」の解説

田中勝介
たなかしょうすけ

生没年不詳。近世初期の京都商人。キリシタン,洗礼名はフランシスコ・デ・ベラスコ。上総国岩和田で遭難した前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴが1610年(慶長15)に帰国する際,同行してメキシコに渡った。翌年メキシコ副王の答礼使ビスカイノの乗船サン・フランシスコ号に便乗し,他の22人の日本人とともに帰国した。彼らの渡航は徳川家康のメキシコ貿易計画推進の一環とみられるが,メキシコではあまり歓迎されなかった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中勝介」の解説

田中勝介 たなか-しょうすけ

?-? 江戸時代前期の商人。
京都の人。慶長15年(1610)徳川家康の命で,前年上総(かずさ)(千葉県)に漂着したフィリピン前総督ビベロの送還船に同行,ノビスパン(現メキシコ)にわたる。通商交渉は成立せず,翌年答礼使ビスカイノの船で帰国した。太平洋を横断した最初の日本人。名は勝助とも。

田中勝介 たなか-かつすけ

たなか-しょうすけ

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旺文社日本史事典 三訂版 「田中勝介」の解説

田中勝介
たなかしょうすけ

生没年不詳
江戸初期の京都の商人
「勝助」とも書く。1610年,徳川家康の命で,前年上総(千葉県)に漂着した前ルソン総督ドン=ロドリゴの帰国に同行し,ノビスパン(メキシコ)に渡り通商をはかったが失敗。翌年,答礼使ヴィスカイノと帰国。日本人で最初に太平洋を横断した。

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