駿府記(読み)すんぷき

百科事典マイペディア 「駿府記」の意味・わかりやすい解説

駿府記【すんぷき】

1611年−1615年の日記で,駿府在城時代の徳川家康を中心とする政治情勢などが記される。1巻。筆者家康側近後藤光次(ごとうみつつぐ)とも林羅山(はやしらざん)ともいわれるが,不詳。記述豊臣氏との関係や外交宗教学問文芸などにわたり,近世初期研究上の根本史料とされる。《史籍雑纂》所収。→駿府城

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改訂新版 世界大百科事典 「駿府記」の意味・わかりやすい解説

駿府記 (すんぷき)

駿府隠居中の徳川家康をめぐる政治情勢を記した日記。1611年(慶長16)8月1日から15年(元和1)12月29日までの約4年半に及ぶ。筆者は駿府在職中の後藤庄三郎(光次)か林道春(羅山)といわれるが不詳。1巻。ほぼ同じ内容のものに後藤庄三郎の筆録とされる《駿府政事録》(《改訂史籍集覧》所収)がある。慶長末年の豊臣氏との関係,キリシタン禁制,貿易,宗教,学問,文芸にふれた近世初期の貴重な史料。《史籍雑纂》所収。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「駿府記」の意味・わかりやすい解説

駿府記
すんぷき

江戸時代初期の記録。一巻。『駿府政事録』ともいう。徳川家康が将軍職を秀忠(ひでただ)に譲って駿府(静岡市)に引退したのち1611年(慶長16)から死の4か月前の1615年(元和1)12月までの家康の動静漢文体で記したもの。記主は後藤庄三郎(しょうざぶろう)(光次(みつつぐ))とも林道春(どうしゅん)(羅山(らざん))とも伝えられているが、いずれにしても家康の側近でかなりの教養の持ち主であったことは確かである。それだけに記事の信憑(しんぴょう)性はきわめて高く、この期の研究上重要な史料である。『史籍雑纂(ざっさん)』2、『戦国史料叢書(そうしょ)』家康史料集、『新訂増補史籍集覧』10(脱漏)所収。

高木昭作

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「駿府記」の意味・わかりやすい解説

駿府記
すんぷき

記録。慶長 16 (1611) 年8月1日から元和1 (15) 年 12月 29日までを記す。1巻。著者後藤庄三郎光次とも林羅山ともいわれるが明らかでない。徳川家康が駿府へ隠退したあとの政治情勢,外国貿易,宗教,文芸などを知る好史料。『史籍雑纂』所収。

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