田中義麿(読み)タナカ ヨシマロ

20世紀日本人名事典 「田中義麿」の解説

田中 義麿
タナカ ヨシマロ

大正・昭和期の遺伝学者 九州大学名誉教授。



生年
明治17(1884)年10月6日

没年
昭和47(1972)年7月1日

出生地
長野県

学歴〔年〕
東北帝国大学農科大学〔明治42年〕卒

学位〔年〕
農学博士〔大正6年〕,理学博士

経歴
東北帝大農科大学(現・北大農学部)動物学教室助手を経て、明治44年助教授就任。大正2年、日本で最初の遺伝学の講義を担当。8年から11年にかけて欧米留学。帰国後、九州帝大助教授となり、13年教授に就任。昭和20年定年退官し、24年から31年にかけて国立遺伝学研究所研究第一部長をつとめ、32年日本学士院の会員となった。カイコを用いての遺伝現象の研究を主とし、著書に「蚕の遺伝講話」「遺伝学」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中義麿」の意味・わかりやすい解説

田中義麿
たなかよしまろ
(1884―1972)

遺伝学者。長野県の生まれ。東北帝国大学農科大学を卒業して九州帝国大学教授となる(1924)。農学部長を務めて退官(1945)。福岡県立農業専門学校校長(1947~1949)。のち国立遺伝学研究所第一部長を務めた(1949~1956)。カイコの遺伝学的研究で世界的に知られ、なかでもカイコの性染色体式がZW‐ZZであること、またカイコの雌では遺伝子組換えがおこらないことを発見した。日本遺伝学会創立者の一人で、会長も務めた(1939~1940)。日本学士院会員(1957年以降)。堅実篤学学風で多くの子弟を育てた。著書は多いが、『遺伝学』『蚕学』『家蚕遺伝学』『基礎遺伝学』などが代表的著作である。

田島弥太郎

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「田中義麿」の意味・わかりやすい解説

田中義麿 (たなかよしまろ)
生没年:1884-1972(明治17-昭和47)

遺伝学者。長野県生れ。東北帝大農科大学(現,北海道大学農学部)を卒業し,同助教授(1911)。日本で初めて遺伝学を講義(1913)し,欧米留学後九州帝大農学部教授(1924),国立遺伝学研究所部長(1949)。この間,主としてカイコの伴性遺伝を研究。人類遺伝にも関心示し,優生学運動にも関連,国立遺伝学研究所設置に貢献した。日本遺伝学会創立に寄与した一人。主著に《遺伝学》(1934)。子の田中克己もまた人類遺伝学第一人者で,その主著に《遺伝学》(1934)がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中義麿」の解説

田中義麿 たなか-よしまろ

1884-1972 大正-昭和時代の遺伝学者。
明治17年10月6日生まれ。母校東北帝大農科大学(現北大農学部)の助教授をへて,大正13年九州帝大教授。昭和24年国立遺伝学研究所研究第一部長。カイコの遺伝研究をとおして近代遺伝学の基礎をきずき,日本育種学会,日本遺伝学会の創立にかかわった。昭和47年7月1日死去。87歳。長野県出身。著作に「遺伝学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中義麿」の解説

田中 義麿 (たなか よしまろ)

生年月日:1884年10月6日
大正時代;昭和時代の遺伝学者。九州大学教授
1972年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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