田中芳男(読み)たなかよしお

精選版 日本国語大辞典 「田中芳男」の意味・読み・例文・類語

たなか‐よしお【田中芳男】

  1. 幕末・明治初期の博物学者。男爵信濃国(長野県)飯田生まれ。はじめ蕃所調所物産学に仕え慶応三年(一八六七)パリ万国博に出品。維新後、官吏として殖産興業尽力ウィーンオーストリアの万国博で日本紹介につとめ、また、ビワの品種改良なども行なった。主著「有用植物図説」。天保九~大正五年(一八三八‐一九一六

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20世紀日本人名事典 「田中芳男」の解説

田中 芳男
タナカ ヨシオ

明治期の博物学者,男爵 農商務省農務局長;大日本山林会長;貴院議員(勅選)。



生年
天保9年8月9日(1838年)

没年
大正5(1916)年6月22日

出生地
信濃国飯田(長野県飯田市)

別名
幼名=芳介

経歴
18歳の時名古屋に出て尾張藩の藩儒塚田某に漢学を、本草家の伊藤圭介に博物学を学んだ。文久元年(1861年)幕府の蕃書取調所物産学出役となり、海外から送られてきた植物類の試験栽培や国内の産物調査を担当。慶応3年(1867年)パリ万国博覧会に出張。明治維新後文部省に勤め、明治4年ウィーン万博参加が決まり5年文部大丞の町田久成と共に博覧会事務局御用掛を兼務。一方同年政府は博物館建設を計画、田中は大学南校に設けられた物産局担当となり、町田の片腕として博物館建設に尽力した。同年末博覧会事務官専一となった。14年農商務省農務局長、16年元老院議官、18年東京学士会会員、23年勅選貴院議員、39年帝国学士院会員を歴任。物産学とは鉱物、植物、動物を対象の博物学で、田中はその道に精通、大日本山林会長、大日本農会、水産会各顧問を務め産業界に貢献した。大正4年男爵。訳纂書に「動物学初編 哺乳類」「有用植物図説」などがあり、他に約60年間に渡って催し物のチラシや商品ラベルなど様々な紙片をスクラップした「捃拾帖」98冊を残した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中芳男」の意味・わかりやすい解説

田中芳男
たなかよしお
(1838―1916)

殖産功労者。長野県飯田(いいだ)の生まれ。1851年(嘉永4)名古屋に出て、伊藤圭介(けいすけ)に師事し、蘭学(らんがく)、本草(ほんぞう)学を学び、1861年(文久1)師とともに江戸に移り、翌年蕃書調所(ばんしょしらべしょ)に採用された。1866年(慶応2)自ら採集した昆虫標本56箱を持参して、パリの万国博覧会に参加、約10か月パリに滞在して各地の博物館などを視察して帰国、開成所を経て文部省博物局に出仕、ここを本拠として博物館の開設、博覧会の開催を推進指導し、また、リンネ、ド・カンドルの分類学の紹介、『動物学』の編訳など、大学創立前の西欧生物学の導入、普及に寄与した。1898年(明治31)には植物病理研究所の設立を建議した。

[佐藤七郎]


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改訂新版 世界大百科事典 「田中芳男」の意味・わかりやすい解説

田中芳男 (たなかよしお)
生没年:1838-1916(天保9-大正5)

幕末・明治期の植物学者。信州飯田の出身。文明開化期,教育・殖産の発展に貢献。医師の三男として生まれ,1856年伊藤圭介に師事して医学・博物学を学ぶ。62年蕃書調所(ばんしよしらべしよ)に出仕後,66年パリでの万国博覧会に出品のため渡仏。明治新政府でも,ウィーン,フィラデルフィアの万国博覧会に派遣され,新知識を吸収した。駒場農学校(1878年創立,東大農学部の前身)や上野の山に博物館,動物園を創設,また公園を作るほか,セイヨウリンゴや田中ビワ(枇杷)を広めた。蔵書約6000冊は東京大学に田中文庫として保存されている。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「田中芳男」の解説

田中芳男

没年:大正5.6.22(1916)
生年:天保9.8.9(1838.9.27)
幕末明治期の博物学者,農務官僚。幼名芳介。信濃国飯田(飯田市)の医者田中如水,津真子の3男。伊藤圭介に入門,医学,博物学を学ぶ。文久2(1862)年蕃書調所物産学出役,慶応3(1867)年パリの万国博覧会に幕命により自ら作成した昆虫標本50箱余を携えて参加。明治1(1868)年開成所御用掛,舎密局設立に当たる。このとき舎密局を博物館とすることを建議するも実現せず,上野の博物館,動物園設立に尽力。内国勧業博覧会審査官,オーストリア,アメリカなど万国博覧会事務官を歴任,殖産興業に力を尽くす。14年農商務省農務局長,博物局兼勤。大日本農会,山林会,水産会の創設に貢献。東京学士会院会員,貴族院議員,男爵。<著作>『垤甘度爾列氏植物自然分科表』『泰西訓蒙図解』『動物学初篇哺乳類』『動物訓蒙初篇哺乳類』『有用植物図説』<参考文献>みやじましげる『田中芳男伝』

(佐藤達策)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中芳男」の解説

田中芳男 たなか-よしお

1838-1916 幕末-明治時代の博物学者,官僚。
天保(てんぽう)9年8月9日生まれ。田中義廉(よしかど)の兄。伊藤圭介(けいすけ)に師事。蕃書調所(ばんしょしらべしょ)にはいり,慶応3年パリ万国博覧会に参加。維新後は文部省,内務省,農商務省で博覧会開催や博物館の建設,殖産興業につくす。駒場農学校の創立,大日本水産会,大日本農会の設立などにも貢献。貴族院議員。大正5年6月22日死去。79歳。信濃(しなの)(長野県)出身。著作に「有用植物図説」など。

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百科事典マイペディア 「田中芳男」の意味・わかりやすい解説

田中芳男【たなかよしお】

幕末から明治期の植物学者。信州飯田の生れ。伊藤圭介に師事して蘭学・本草学を学ぶ。1862年蕃所調所(ばんしょしらべどころ)に出仕,1866年パリの万国博覧会に出品のため渡仏。駒場農学校や上野に博物館,動物園を創設,またセイヨウリンゴや田中ビワ(枇杷)を広めた。

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世界大百科事典(旧版)内の田中芳男の言及

【上野動物園】より

…4年後宮内省に移管されたが面積は1ha,飼育動物は400点ほどの小規模なものであった。近代化のための文化施設として博物館や動物園が設立されるにあたっては幕末の遣欧使節団に加わった武士たち,なかでも田中芳男らの力に負うところが多い。田中はヨーロッパ各地の動物園を視察しているが,わけてもパリのジャルダン・デ・プラントのメナジュリーménagerie(動物飼育展示場)から多くを学んだと思われる。…

【ビワ(枇杷)】より

…この品種は在来のビワに比べて果実が大きく品質がよいため,明治の初期以降しだいに近隣に普及し,長崎県茂木地方で栽培が盛んになり,同地方は現在でも茂木ビワの特産地となっている。一方,茂木と並び称される大果品種の田中は1879年に田中芳男が長崎から種子を東京にもち帰って播種(はしゆ)し,その実生中から選抜,育成したものである。これも,もとは中国系のビワである。…

※「田中芳男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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