田中路子(読み)タナカ ミチコ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「田中路子」の解説

田中 路子
タナカ ミチコ


職業
声楽家

専門
ソプラノ

本名
デ・コーバ ミチコ

生年月日
明治42年 7月15日

出生地
東京市 神田区(東京都千代田区)

学歴
東京音楽学校(東京芸術大学)声楽科予科中退

経歴
日本画家・田中頼璋長女として生まれる。友人と東京音楽学校を受験し、合格。この時、不合格となった友人は後に文学座創立に参加し、杉村春子の名で知られる大女優となった。昭和5年同校在学中にオーストリア留学、6年40歳年上のウィーンのコーヒー王・ユリウス・マインル2世と結婚。「蝶々夫人」などを演じてヨーロッパで“東洋歌姫”として名声を博し、11年オーストリア映画「恋は終わりぬ」、12年フランス映画「ヨシワラ」に主演。同作で共演した早川雪洲と浮き名を流したが、やがてドイツの名優ビクトル・デ・コーバと出会い、16年前夫ユリウス・マインル2世を媒酌人として結婚。ベルリン北西部の大邸宅で暮らし、第二次大戦中は指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンなどナチスから逃れてきた芸術家・映画人を数多くかくまった。戦後西ドイツに住み、大賀典雄小沢征爾、若杉弘ら日本の音楽留学生の支援に力を注ぎ、“芸術担当の民間大使”と呼ばれた。37年東京の日比谷公会堂で引退公演を行う。61年自身の一生舞台化した「歌に生き恋に生き」に特別出演するために来日した。

受賞
勲四等宝冠章〔昭和57年〕

没年月日
昭和63年 5月18日 (1988年)

家族
夫=デ・コーバ ビクトル(俳優),父=田中 頼璋(日本画家)

伝記
国際社会で活躍した日本人―明治〜昭和13人のコスモポリタン日本人歌手ここに在り!―海外に雄飛した歌い手の先人たち 植木 武 編江本 弘志 著(発行元 弘文堂文芸社 ’09’05発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「田中路子」の解説

田中 路子
タナカ ミチコ

昭和期の声楽家(ソプラノ)



生年
明治42(1909)年7月15日

没年
昭和63(1988)年5月18日

出生地
東京・神田

本名
デ・コーバ ミチコ

学歴〔年〕
東京音楽学校声楽科予科中退

主な受賞名〔年〕
勲四等宝冠章〔昭和57年〕

経歴
昭和5年東京音校在学中にウィーン国立音楽学校に留学。6年ウィーンのコーヒー王のユリウス・マインルと結婚、12年にはフランス映画「ヨシワラ」に出演。その後、演劇界の大御所デ・コーバと再婚し、東洋の情熱の歌姫といわれた。西独に住み、大賀典雄、小沢征爾、若杉弘ら日本の音楽留学生らを支援して芸術担当の民間大使と呼ばれた。その半生は「ミチコ・タナカ 男たちへの讃歌」として出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中路子」の解説

田中路子 たなか-みちこ

1909-1988 昭和時代のソプラノ歌手。
明治42年7月15日生まれ。田中頼璋(らいしょう)の娘。昭和5年ウィーン国立音楽学校へ留学,翌年オーストリアのコーヒー王マインルと結婚。歌劇「蝶々夫人」,映画「恋は終りぬ」「ヨシワラ」などに出演する。16年ドイツの俳優デ=コーバと再婚,戦後は日独親善につとめた。昭和63年5月18日死去。78歳。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)中退。本名はミチコ=デ=コーバ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田中路子」の解説

田中 路子 (たなか みちこ)

生年月日:1913年7月15日
昭和時代の声楽家
1988年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android