大賀典雄(読み)オオガノリオ

デジタル大辞泉 「大賀典雄」の意味・読み・例文・類語

おおが‐のりお〔おほガのりを〕【大賀典雄】

[1930~2011]実業家音楽家静岡の生まれ。ベルリン国立芸術大学を卒業後、東京通信工業(現ソニー)に入社コンパクトディスク開発などにたずさわり、社長会長、取締役会議長、名誉会長を歴任。音楽家としては東京フィルハーモニー交響楽団の会長を務めるなどし、カラヤン親交があった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大賀典雄」の意味・わかりやすい解説

大賀典雄
おおがのりお

[生]1930.1.29. 静岡,沼津
[没]2011.4.23. 東京
実業家,声楽家。1953年東京芸術大学音楽学部を卒業,同大学声楽部専攻科を修了後ドイツに留学,1957年ベルリン国立芸術大学を卒業した。東京芸術大学在学中に,テープレコーダの問題点を指摘したことをきっかけに 1953年東京通信工業(→ソニー嘱託となり,1959年正式に入社した。1964年に若くして取締役に就任,1982年社長兼最高執行責任者 COO,1989年最高経営責任者 CEO,1995年代表取締役会長,2000年取締役会議長に就任。2003~06年名誉会長。ハードウェアソフトウェアを「車の両輪」とする経営方針から,1968年 CBS・ソニーレコード(→ソニー・ミュージックエンタテインメント)を設立。1989年にコロンビア・ピクチャーズ・エンタテインメント買収して映画分野に,1993年にはソニー・コンピュータエンタテインメントを設立してゲーム分野に進出した。また,オーディオのデジタル化に努め,コンパクトディスク CD開発と普及功績を残した。1998年経済団体連合会副会長に就任。実業界入り後も音楽活動を続け,東京フィルハーモニー交響楽団会長・理事長も務めた。レジオン・ドヌール勲章(1996)をはじめ,世界各国から勲章を授与された。2001年勲一等瑞宝章受章,2011年従三位に叙された。

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百科事典マイペディア 「大賀典雄」の意味・わかりやすい解説

大賀典雄【おおがのりお】

経営者・実業家。静岡県生れ。東京芸術大学音楽学部卒業。大学在学中に東京通信工業(ソニー前身)のテープレコーダークレームをつけたことから工場長に認められ,同社嘱託(しょくたく)となる。1954年に東京芸術大学専攻科を修了し,嘱託の身でありながらドイツに留学,ベルリン国立芸術大学などで声楽を学ぶ。この時,ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の新指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンに出会う。以後カラヤンの死去まで,その関係は公私ともに続いた。1959年ソニーに入社。その後,CBS・ソニーレコード(現,ソニー・ミュージックエンタテインメント)社長を経て,1982年にソニー社長となる。日本電子機械工業会会長,経団連副会長,東京フィルハーモニー交響楽団の会長・理事長,東京文化会館館長なども務めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大賀典雄」の解説

大賀典雄 おおが-のりお

1930-2011 昭和後期-平成時代の経営者。
昭和5年1月29日生まれ。バリトン歌手として出発。昭和34年テープレコーダー製造部長としてソニーにスカウトされる。43年CBSソニー(現・ソニー・ミュージックレコーズ)設立に参画し,同社を業界トップに躍進させる。57年ソニー社長となり,コロンビア映画社などの買収で話題をよんだ。平成7年会長。10年経団連副会長。16年東京文化会館館長に就任。平成23年4月23日死去。81歳。静岡県出身。東京芸大卒。

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