田口卯吉(読み)タグチウキチ

デジタル大辞泉 「田口卯吉」の意味・読み・例文・類語

たぐち‐うきち【田口卯吉】

[1855~1905]経済学者・文明史家。江戸の生まれ。号、鼎軒ていけん。「東京経済雑誌」を創刊自由貿易を唱えて政府経済政策批判。明治27年(1894)より衆議院議員。「群書類従」「国史大系」を編集・刊行。著「日本開化小史」など。

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精選版 日本国語大辞典 「田口卯吉」の意味・読み・例文・類語

たぐち‐うきち【田口卯吉】

  1. 経済学者。江戸の生まれ。号は鼎軒。大蔵省翻訳局の官費生となり、「日本開化小史」などを著わす。また「東京経済雑誌」を創刊して、自由主義経済学を樹立し、日本のアダム=スミスと称された。「群書類従」「国史大系」の刊行、「大日本人名辞書」「日本社会辞彙」の編纂なども行なった。安政二~明治三八年(一八五五‐一九〇五

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「田口卯吉」の意味・わかりやすい解説

田口卯吉
たぐちうきち
(1855―1905)

明治期の経済学者、史論家、法学博士。出版などの経営も行う。安政(あんせい)2年4月29日、江戸目白台の徒士(かち)屋敷で生まれる。卯年卯月の生まれにちなんで名づけられた。名は鉉(みつ)、字(あざな)は子玉(しぎょく)、号を鼎軒(ていけん)という。姉に鐙子(とうこ)(1848―1886。明治女学校校長木村熊二(1845―1927)に嫁す)がある。維新に際しては徳川家に従って静岡の沼津に移り、1871年(明治4)上京、大蔵省に出仕、翻訳局などに勤める。1877年には『日本開化小史』全6巻の刊行を開始(1882年完成)、1878年には『自由交易日本経済論』をまとめ、1879年には『東京経済雑誌』を発行(初め月刊、のち月2回刊、旬刊、週刊となる)して、経済雑誌社をおこす。ここを中心に、さらに『支那開化小史(しなかいかしょうし)』『大日本人名辞書』『日本開化之性質』『日本社会事彙(じい)』を刊行、一方、歴史研究の個人雑誌『史海』(1891年5月発刊、1896年廃刊)も刊行し、久米邦武(くめくにたけ)の祭天古俗論に賛成する。『群書類従』『続群書類従』の出版に努め、さらに日本史研究の基本史料として『国史大系』『続国史大系』を編纂(へんさん)・刊行し、歴史研究の先駆、啓蒙(けいもう)的史論の中心となった。新聞・雑誌においては、イギリスのコブデン、スミス、リカードを尊敬するとして、経済自由論の立場から、政府の経済政策に対する批判を展開。他方、実際活動の面でも東京府会議員、衆議院議員などに当選し、とくに南洋諸島進出に関心を示した。明治38年4月13日、慢性萎縮腎(いしゅくじん)と中耳炎のために死去。谷中(やなか)墓地に葬られる。

[松島榮一 2016年9月16日]

『『鼎軒田口卯吉全集』全8巻(1927~1929・大島秀雄/複製版・1990・吉川弘文館)』『大久保利謙編『明治文学全集14 田口鼎軒集』(1977・筑摩書房)』


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朝日日本歴史人物事典 「田口卯吉」の解説

田口卯吉

没年:明治38.4.13(1905)
生年:安政2.4.29(1855.6.13)
江戸の徳川家の御家人田口樫郎と町子の次男に生まれる。本名は鉉,号は鼎軒。卯年の卯月に生まれたことから通称卯吉という。幼少期に父と兄を失い,赤貧のうちに育った。明治維新(1868)によって徳川家が静岡に転封されるに伴い沼津に移り,沼津兵学校でフランス式兵学を学ぶ。医学学習を命じられて上京し,東大予備門に入ったが,授業への不満から退学。明治5(1872)年大蔵省翻訳局に入り洋書翻訳に当たったことが経済学を学ぶ契機となった。翻訳従事のかたわら諸新聞に政治論,経済論を投書,10年沼間守一らが創立した嚶鳴社に参加した。また同年,日本文明の開化を自由主義的立場から叙述した『日本開化小史』第1巻を出版し文名を高めた。 11年に官を辞し翌12年1月雑誌『東京経済雑誌』を発刊した。モデルは英国の経済雑誌『ECONOMIST』にあり,当初は渋沢栄一の択善会の援助を受けたが,のちに自立し独立で経営した。『東京経済雑誌』では,自由主義的な経済論,財政論を展開し政財界に影響を与えるとともに,各種の経済統計や市況を掲載し合理的根拠に立つ経済的思考の必要性を啓蒙した。特に13年に保護主義的経済論に立つ犬養毅の『東海経済新報』と論争を交えたことは著名である。15年自由党の創刊した『自由新聞』に客員として参加し経済関係の論説を担当した。また両毛鉄道株式会社創立に参加したり,南方開拓のための南島商会を設立するなど自ら実業に乗り出したが,成功はしなかった。経済論とならぶ田口の関心は歴史にあり,24年雑誌『史海』を発刊,25年久米邦武の「神道は祭天の古俗」を転載し大論議のきっかけをつくった。大規模な歴史資料集『国史大系』や『群書類従』の出版を実現するなど歴史学の発達に貢献するところは大きい。27年の初当選以来死去まで衆院議員を務め政界でも活躍した。彼の言論には自由主義的思考が一貫しており,明治期を代表する経済論,政論の論客であった。<著作>『鼎軒田口卯吉全集』全8巻<参考文献>塩島仁吉編『鼎軒田口先生伝集』

(有山輝雄)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田口卯吉」の解説

田口 卯吉
タグチ ウキチ


肩書
衆院議員,両毛鉄道社長

本名
田口 鉉

別名
字=子玉 号=田口 鼎軒(タグチ テイケン)

生年月日
安政2年4月29日(1855年)

出生地
江戸・目白台(東京都文京区)

学位
法学博士〔明治32年〕

経歴
明治2年沼津で小学校、ついで勝海舟の兵学校に学び、4年大学予備門、退学後尺振八の私立共立学舎で医学を研究。5年大蔵省翻訳局に入り、洋書翻訳に当たる。7年紙幣寮に勤務。10年嚶鳴社に参加。同年から「日本開化小史」を執筆、文名を高めた。自費出版し25年完成。12年「東京経済雑誌」を創刊、自由主義の立場で政府の経済政策を批判。17年には「大日本人名辞書」の編纂に着手、19年完了。24年「史海」を発行、史学の科学的研究に貢献した。また「国史大系」や「群書類従」を編纂刊行。この間、東京株式取引所肝煎、東京府会、市会各議員、20年両毛鉄道社長を務め、27年には衆院議員に当選した。著書は他に「自由貿易日本経済論」「支那開化小史」(全5巻)「日本開化の性質」「日本之意匠及情交」「楽天録」、「鼎軒田口卯吉全集」(全8巻、同人社)がある。

没年月日
明治38年4月13日

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改訂新版 世界大百科事典 「田口卯吉」の意味・わかりやすい解説

田口卯吉 (たぐちうきち)
生没年:1855-1905(安政2-明治38)

明治時代の自由主義経済学者。号は鼎軒(ていけん)。幕臣の子として江戸に生まれる。最初医学を志したが,大蔵省翻訳局上等生徒となり,英語,経済学を修め,《日本開化小史》(1877-82)や《自由貿易日本経済論》(1878)を著す。1879年,《東京経済雑誌》を創刊して終生主筆を務め,自由主義経済学の紹介と指導にあたり,政府の経済政策を批判した。同時に,実業界,政界においても,83年に東京株式取引所肝煎,86年の両毛鉄道株式会社設立,80年以降の東京府会ならびに市会議員,さらに94年からの衆議院議員など幅広く活躍した。他方,史学雑誌《史海》(1891-96)の刊行をはじめとして,《群書類従》(1894),《国史大系》(1901),《続国史大系》(1904)などの大部の史料叢書を覆刻・編集し,歴史学の発達のうえでも多大の貢献をなしとげた。《鼎軒田口卯吉全集》(全8巻)がある。
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百科事典マイペディア 「田口卯吉」の意味・わかりやすい解説

田口卯吉【たぐちうきち】

経済学者,史学者,政治家。号は鼎軒(ていけん)。江戸の人。初め医学を志したが,1874年−1878年大蔵省翻訳局に出仕して英語,経済学を修め,保護貿易を排して自由主義経済を主張する《自由貿易日本経済論》や自由主義文明史論《日本開化小史》で文名をあげる。1879年《東京経済雑誌》を創刊,終生主筆を務める一方,《国史大系》《群書類従》の編集覆刻などでも活動。実業界でも1886年に両毛鉄道株式会社を設立するなど活躍。東京府会議員にもなり,1894年以後衆議院議員。
→関連項目黒板勝美国民之友バックル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田口卯吉」の意味・わかりやすい解説

田口卯吉
たぐちうきち

[生]安政2(1855).4.29. 江戸
[没]1905.4.13. 東京
経済学者,歴史家。幼名は鉉,号は鼎軒。幕臣の子に生れ,12歳のとき徒士 (かち) 見習となり父祖の跡を継いだ。 15歳で沼津兵学校に学び,また尺振八 (せきしんぱち) の共立学舎で医学を学んだ。明治5 (1872) 年大蔵省翻訳局上等生徒となり,経済学,開化史を研究。のち紙幣寮に勤務。自由主義経済論の立場から『自由貿易日本経済論』を著わし自由放任と自由貿易政策を主張して,政府の経済政策を批判し,辞職。 1879年イギリスの『エコノミスト』に範をとり,『東京経済雑誌』を創刊して主筆となった。鉄道敷設,鉱山試掘など実業界で活躍する一方,政界でも,94年衆議院議員となった。歴史に関心をもち,『日本開化小史』 (77~82) を著わすとともに,史学の雑誌『史海』 (91) の発行,『群書類従』や『国史大系』 (97~1904) ,『大日本人名辞書』『日本社会事彙』 (1890~91) の編集,出版などで,史学界に貢献した。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「田口卯吉」の解説

田口卯吉
たぐちうきち

1855.4.29~1905.4.13

明治期の経済学者・歴史家。幕府徒(かち)の子として江戸に生まれる。名は鉉(みつ),鼎軒(ていけん)と号す。卯吉は通称。維新後大蔵省翻訳局で経済学を学ぶ。1877年(明治10)から「日本開化小史」を刊行。79年「東京経済雑誌」を刊行,自由主義経済の立場から自由貿易を主張し,犬養毅(いぬかいつよし)の主宰する「東海経済新報」の保護貿易主義と論争した。また「群書類従」「国史大系」などを刊行し,歴史学にも貢献した。実業界でも両毛鉄道の経営,東京株式取引所などに関係。東京府会議員・東京市会議員をへて94年衆議院議員に当選,終生その職にあり,反藩閥・中立の立場を貫いた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田口卯吉」の解説

田口卯吉 たぐち-うきち

1855-1905 明治時代の日本史学者,経済学者,政治家。
安政2年4月29日生まれ。大蔵省勤務のかたわら「日本開化小史」をあらわす。明治12年「東京経済雑誌」を創刊,自由主義経済をとなえ,また「大日本人名辞書」「国史大系」などを編集。一方政財界でも活躍し,両毛鉄道社長,東京府会・市会議員,衆議院議員(当選6回)などをつとめた。明治38年4月13日死去。51歳。江戸出身。名は鉉。字(あざな)は子玉。号は鼎軒。

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旺文社日本史事典 三訂版 「田口卯吉」の解説

田口卯吉
たぐちうきち

1855〜1905
明治時代の経済学者・歴史家
号は鼎軒 (ていけん) 。江戸の生まれ。幕臣出身。蘭学を修め,明治新政府では大蔵省に入り経済学を研究。退官後は '79年『東京経済雑誌』を刊行,自由主義経済学者として知られた。'94年衆議院議員に当選し政界にも活躍。また『日本開化小史』の発表,雑誌『史海』の発刊,『国史大系』の編集など歴史学にも貢献した。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「田口卯吉」の解説

田口 卯吉 (たぐち うきち)

生年月日:1855年4月29日
明治時代の歴史家;経済学者;実業家。衆議院議員
1905年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田口卯吉の言及

【国史大系】より

…明治以前の日本史を理解するために必要な史籍の叢書。啓蒙史家のひとり田口鼎軒(卯吉)編。17巻。1897‐1901年刊。次いで《続国史大系》15巻を刊行した(1902‐04)。《古事記》《日本書紀》から《徳川実紀》までを収録。国史の大きな系(たていと)にしたいという意気込みで,新造語〈大系〉を書名につけた。田口は,予約募集当初,通行本を翻刻しただけの簡便な出版を考えていたが,大学を卒業したばかりの黒板勝美の意見を入れ,厳密な校訂を施すことにし,その実務を黒板にあたらせた。…

【自由新聞】より

…これに対抗して,自由党が新たに日刊新聞として発行したのが,《自由新聞》である。株式会社組織として同志から資金を募集し,編集・発行には社長の板垣退助以下馬場辰猪,中江兆民,田口卯吉,末広鉄腸(重恭)など自由党の有力活動家,理論家が当たった。藩閥政府や政商,改進党などを攻撃し,自由民権運動を鼓吹する紙面づくりで自由党の支持者に広く読まれた。…

【東京経済雑誌】より

…明治・大正期の経済雑誌。1879年に自由主義経済学を信奉する田口卯吉が創刊,死去するまで主宰した。内外の経済情報や経済問題の論説を掲載したほか,政治・社会問題にも鋭い分析を行った。…

【日本開化小史】より

田口卯吉著。和装本6巻。…

※「田口卯吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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