田頭村(読み)でんどうむら

日本歴史地名大系 「田頭村」の解説

田頭村
でんどうむら

[現在地名]西根町田頭

鹿角かづの街道に沿い、東は大更おおぶけ村、南はまつ川を隔てて平笠ひらかさ村、西は寄木よりき(現松尾村)、北は平館たいらだて村と野駄のだ(現松尾村)。もと葛巻氏支流の田頭氏の所領で、天正一九年(一五九一)九戸政実の乱後、当村で一千石を領したが(「系胤譜考」盛岡市中央公民館蔵)、元和元年(一六一五)家督相続した祐則が幼少であったため当村知行地を没収され、寛永六年(一六二九)中野吉兵衛元康領となった。このほか元和九年には源勝げんしよう(現盛岡市)が当村内に三七石余を与えられ、上野与三郎が同七年に田頭・野駄両村に五〇〇石を与えられ(岩手史叢)、厨川兵部少光忠も寛永二年当村に三〇〇石ないし五〇〇石を与えられ(参考諸家系図)、同四年一二月一五日舟越与兵衛も総高一五〇石のうち五石を得ている(「南部利直知行宛行状」盛岡舟越文書)


田頭村
たんどうむら

[現在地名]神石町田頭

現神石町の西南端に位置し、南は木津和きつわ(現三和町)、東は阿下あげ(現三和町)、北はまき村、西は甲奴こうぬ小塚おづか村・小堀こほり(現上下町)。南西へ開けた地形で西城路が通る。福桝ふくます川の水源地帯の一つでもある。地名田頭は田堵(田頭・田刀)に由来するか。

元和五年(一六一九)の備後国知行帳によれば三五四石余、元禄一三年(一七〇〇)備前検地で四〇四石余となる。福山藩水野家断絶後は幕府領、享保二年(一七一七)以降豊前中津藩領。元禄一三年の田頭村御検地水帳(神石町役場蔵)によれば村内の大明神谷だいみようじんだにに「城のくぼ・きやうがいち(京垣内)・宮迫・とりい免・油免」、竹の元谷たけのもとだにに「大本がいち・堂免・かど田」、下り谷くだりだにに「矢の坪・弓ば・堂免・かど田」、寺谷てらだにに「といのおく・とりい免・市場・まとば」、ぬくい谷ぬくいだに(現在「抜湯谷」と書く)に「上川内・かちやおく・かど田・そうし免・ぬくゆ山どい」などの地名があり、「どい」という地名が竹藪と荒神社地に付いている。


田頭村
たがみむら

豊見城とうみぐすく間切の西部にあった村。康熙三七年(一六九八)五月一六日の辞令書(田名家文書)に「豊見城間切田頭里主所者儀(間)筑登之親雲上」がみえる。「中山伝信録」巻四の豊見城のうちに村名が記される。明治六年(一八七三)の琉球藩戸籍総計(琉球藩雑記)に村名はみえず志茂田すむだ村が載り、一八八〇年の県統計概表には田頭村とある。志茂田村を領する地頭職は田頭を名乗る(任姓屋我家家譜など)


田頭村
たがしらむら

[現在地名]寺泊町田頭

北は夏戸なつど村、南は松田まつだ村と島崎しまざき(現和島村)、東は五分一ごぶいち村、西は郷本ごうもと村。丘陵を背後にして沖積平地に面した集落。丘陵の谷間に月崎つきさき万能寺まんのうじたに火生石ひいけいしの枝村が点在する。明応六年(一四九七)一二月二一日の志駄景義譲状(西条文書)には吉竹よしたけ・夏戸の境界線について「南者、柳山ヨリ、田首山ノ大緒嶺ヲ見当、又田首山後谷ノ堺絃領トヲトヲリテ」とみえる。


田頭村
たがしらむら

[現在地名]相知町大字田頭

厳木きゆうらぎ川右岸の村。

藩政初期から元禄の初めまでは、田之頭村と称したことが指出帳に記される。元禄年間(一六八八―一七〇四)の正保絵図には「田頭」と記される。現在も田の頭とよぶ人が多い。

藩政初期ここはまきんの宿しゆくとも称せられた宿場であり、夫役にかり出され苦しんだ。だが大久保氏時代から宿場は相知村に変更され、佐賀往還も、その頃から対岸へと変わった。口伝によれば、かつてこの地から湯が湧き出ていたので湯の頭ともよばれ、また田の頭とよばれる以前は、牧の内まきのうちといわれたという。


田頭村
たのかしらむら

[現在地名]福井市かしら

石畠いしばたけ村の西方、丹生山地北辺の赤石あかいし(火打山)北麓に位置する。福井藩領。村名は正保郷帳にみえ、田方九五石余・畠方二一石余。赤石山に産する火打石は有名で、「越前国名蹟考」に「此村(田頭村)の山より出る火打石福井木田町にて製する所のほくち軽易の品といへとも他国に比類なき産物といふへし」とあり、山中の所々に採掘坑が残る。

村の東、溜谷ためだににある溜池は桝溜ますだめと称し、村内だけの灌漑用水として使用されていたというが(棗村誌)、文化二年(一八〇五)の諸覚書(夏目家文書)に「田頭村地内ニ小幡・深坂・中山・石畠・領家五ケ村組合之用水溜池御座候処、最初始リハ寛文十二壬子年郡御奉行鈴木宇左衛門様用水方(田脱カ)頭村支配」とある。


田頭村
たのかしらむら

[現在地名]八尾町田頭

村の南方、大長谷おおながたに川上流右岸にある。飛州二ッ屋村ひしゆうふたつやむら道が通る。元禄一一年(一六九八)郷村高辻帳では内名うちみよう村の五町ほど南にある枝村新田としてみえ、高四六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android