日本歴史地名大系 「由良浦」の解説
由良浦
ゆらうら
慶長二〇年五月二一日、大坂の陣の功により阿波徳島藩蜂須賀氏に淡路一国が加増された。蜂須賀氏は当初由良の地を淡路領有の拠点とし、閏六月二二日城を受取った。城代には稲田修理亮らが派遣された(阿淡年表秘録)。しかし由良浦は海上交通の要衝とはいえ島の南東に偏し、背後に山が迫っているため城下町を造る余地もないなど、淡路一国を支配する地にふさわしくないとされ、寛永七年(一六三〇)城塞・政庁の洲本移転を幕府に申請、同年七月幕府の承認を得た(「淡州御城之義ニ付御老中より之書状―右御控并中条次太夫言上書添」蜂須賀家文書など)。これに基づく城塞・政庁・武家屋敷・寺院・町家などの移転を由良引けという。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報