甲山城跡
こうやまじようあと
国兼川と西城川の中間に位置する甲山(三八一メートル)にある中世の山城跡。冑山城・嶋山城・兜山城ともいう。県指定史跡。
相模国山内庄(現神奈川県鎌倉市)を本貫地とした源家譜代の家人山内首藤氏は、地
庄その他の地頭に補任されていたが、正和五年(一三一六)山内通資は地
庄に移り、北部の恵蘇郡新市村(現比婆郡高野町)に蔀山城を築き居城とした(芸藩通志)。しかし通資はこれを弟の通俊に譲り、地
庄南部の本郷村甲山に居城を築いた。当時甲山には千手堂(のちの円通寺)があって観音道場として信仰の地であったが、元亨元年(一三二一)通資(甲山一世と称す)はまずこの千手堂脇に来住し、入道妙通庵主と号したとされ、城の完成は文和四年(一三五五)であったという(近郷古事漫筆「庄原市史」所収)。
甲山城跡
かぶとやまじようあと
[現在地名]穴水町甲 小甲
甲入海の南側海岸台地上に位置し、山麓部には内浦街道が通ずる要衝の地にあたる。台地の先端部に一辺約五〇メートルの方形の平坦面(郭)があり、これに伴う三重の空堀(内堀・中堀・外堀)が認められる。付近には城内に水を引いたと伝える用水路(隧道)が残されるが、詳細は未調査。天正(一五七三―九二)初年頃平楽右衛門尉が居城したとされ、同五年越後上杉氏の侵攻により攻め落され、右衛門尉は武連(現能都町)に逃れ、そこで殺害されたと伝える(能登志徴)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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