物を高温で熱処理して性質を変化させるための装置。熱を逃がさないように囲いがしてある。窯と炉を総称して窯炉と呼んだり,窯と炉を区別することもあるが,この区別はあまり厳密ではない。窯を使う産業を窯業と称し,陶磁器,ガラス,セメント,耐火物などが窯業製品である。窯を作業面から分類すると,連続窯とバッチ窯とになる。
トンネル窯,ロータリーキルン(回転窯),タンク窯,竪窯(シャフト窯)がある。トンネル窯は,被焼成物を台車の上にのせ,入口から予熱部,焼成部,冷却部,出口へと移動させる。台車をつぎつぎと連続的に送り込むことができるので連続焼成に適しているし,この窯を使えば必ず同じ熱処理を行うことができるので,製品ごとの性質のばらつきがほとんどないという優れた特徴がある。陶磁器,電磁気用セラミックス,高級耐火物などがこの窯を使って製造されている。ロータリーキルンは傾斜をつけた円筒の上部から被焼成物が投入され,回転する円筒の内部をしだいに下部へ移動するにしたがい高温熱処理されるものである。均一な熱処理を行うことができるが熱効率が良くない欠点がある。ポルトランドセメントの製造の最終段階にロータリーキルンが使われる。タンク窯はガラスを連続的に製造するための窯で,原料投入部,溶解部,清澄部,作業部から成る。ガラスと耐火物との反応を抑制するため加熱を上部から行わなければならないので熱効率が悪い。竪窯は,頂部から原料と燃料を投入し下部から製品を取り出す立形の窯である。熱効率は良いが均一な焼成を行うには不十分である。セメント製造では前段階でこの窯を使用し,仕上げをロータリーキルンで行う。製鉄のための溶鉱炉もこの形式に属する。
窯の中に被焼成物を詰め込んで(窯入れ)から加熱し,冷却してから製品を取り出す(窯出し)形で作業が行われる回分式の窯である。陶芸作品,小規模の耐火物焼成などに使われている。バッチ窯にも単独窯と登窯の区別がある。丸窯および角窯は回分式焼成を行うのに最も簡便な単独窯で,これには,炎が下から被加熱物に当たる昇炎式と,ドーム形の天井に当たった炎が下向きに反射して焼く倒炎式とがある。一般には倒炎式のほうが熱損失が少ない。登窯は,単独窯の熱効率を向上させるために開発されたもので,倒炎式の窯を連ね高温ガスをつぎつぎ隣の窯に誘導している。陶芸作品を製造する際,窯の位置を変えると製品に変化をもたらすことができるおもしろさがある。
執筆者:柳田 博明
西アジアで現在知られる最も古い窯は,イラクのヤリム・テペで前6千年紀にさかのぼる。前5千~前4千年紀にはイランのスーサやシアルク,イラクのテペ・ガウラやテル・サラサートのものが知られている。いずれも日乾煉瓦を用いて地上に構築したもので,底面円形の釣鐘形を呈し,床は平たんで室内に水平な隔壁を設け,上部を焼成室,下部を燃焼室としており,天井に煙出しの孔をあけた典型的な垂直炎窯である。この形式の窯は,前2000年ころとされるパキスタンのモヘンジョ・ダロ遺跡でも発見されており,燃焼室と焼成室が横に並ぶ水平炎窯が高度に発達した中国,朝鮮,日本などを除き,広範な地域で用いられた。前2000年ころとされる古代エジプトの浮彫や,古代ギリシアの黒絵式の壺絵にも同様の窯がみられる。こうした窯はしだいに大型化してイギリスのボトルキルンbottle kiln(徳利窯)に発達した。この種の窯ではせいぜい800℃から1000℃が限度で,1200℃近い温度を要する磁器の焼成は不可能なため,現在でも素焼土器に限って使われている。近世にはドイツのカッセル窯のような,中国の水平炎窯に似た構造の窯も生まれた。さらに近代になって,大量生産が求められたため,連続窯,マッフル窯,トンネル窯など複雑な窯が考案された。
執筆者:吉田 恵二
炭焼窯(〈炭〉の項参照),石灰窯,ガラス窯,陶窯など,さまざまの窯のなかでも変化に富み種類が多いのは,土器や陶磁器を焼く陶窯である。世界のいたるところに分布し,またその遺跡(窯址,窯跡)は多くの場合放置されて土中に原形をとどめるため,考古学等の研究対象として近年とくに注目されている。古代でも現代でも,原始的な土器は特別の窯を造らず,半製品を地上に積み上げ,草や木で覆い,ときにはさらに泥で塗り固め,火をつけて焼きあげる方法が行われ,野窯と呼ばれている。しかし質の良い,よく焼き締まった土器や陶磁器を効率良く焼きあげるためには,さまざまのくふうが必要であり,これによって多種多様な窯が造られた。窯の形式は,立地条件,製品の質や量,燃料の種類などによって変化する。
現在知られている最古の窯は,新石器時代の裴李岡文化(前6000-前5000)の窯で,窯址の保存状態は悪いが,地面を掘りこんで造った小型の横穴式の窯(窖窯(あながま))とみられている。これに続く仰韶文化の西安半坡遺跡(前5000-前4000)では,横穴式,竪穴式など4種類の窯が発見されており,窯に対する関心が高まったことがうかがえる。さらに竜山文化(前3000-前2000)の初期の窯では,前の焚口からの炎が地下を通って円形の焼成室の下方に達し,その底部に設けられた小穴(火眼)から焼成室に入って,器物を焼くように造られている。この形式は中東やヨーロッパの古代の窯と似通っている。後期になると,焚口からの炎が焼成室の床に掘った数条の溝(火道)に導かれ,間に置いた器物を焼き締める形式があらわれる。この二つの形式は商・西周時代にも各地で引き続き行われたようである。
中国の窯が大きく変化したのは戦国時代で,平地の窯では焼成室の後方に煙突が設けられ,全体の規模も非常に大きくなる。また南方では傾斜地に築かれた細長い窯(竜窯,蛇窯)が出現する。これは炎の性質を巧みに利用する優れた窯で,改良されてさまざまの形式を生み,またひろく東アジア各地に普及した。漢代以後の中国では,北部の窯は平地に築かれた平面が馬蹄形の平窯,南部では傾斜地に築かれた竜窯系の窯が一般的であるが,製品の質や燃料の種類等によって変化があり,南北の差異は一概にはいえない。たとえば明・清代の景徳鎮窯は南方にありながら竜窯系の窯ではなく,基本は平窯で,平面は細長い形をした特殊な形式である(景徳鎮)。唐代後期以後,需要の増大とともに窯の規模は大きくなり,宋代の竜泉窯のように,幅が3m,長さが50mをこえる巨大な竜窯なども築かれた。
朝鮮半島の古い窯はよくわかっていないが,硬質の金海式土器では地面を掘って築いた傾斜窯が用いられたと推測されている。新羅時代の窯も傾斜地に造られたいわゆる蛇窯らしく,慶州付近にいくつかの窯址群が知られている。高麗時代の窯も初期は蛇窯で,幅1.0~1.5m,長さ10~20mほどであるが,後期には長さ40mをこえ,いくつも隔壁のある,いわゆる割竹式の傾斜窯となっている。李朝時代の窯は割竹式窯が主流で,後期になって一部に階段式登窯があらわれたとされている。東南アジアではタイの陶窯がよく知られている。窯体は細長い楕円形で,前に焚口,後ろに太い煙突があり,総体に丈が低い。焼成室は焚口より一段高くなっており,床面には緩い傾斜がある。
執筆者:長谷部 楽爾
窯の文字は中国において穴の中で羊を焚くことから生じたもので,最近では窑の字を用いている。これは穴の中で缶(ほとぎ)を焼成することを意味する。日本の竈は炊事のカマドから出ており,釜という字も用いられたが,明治以降は窯の字が一般化している。
日本では最古の縄文土器を焼成した窯はまだ知られていない。大阪府富田林市喜志遺跡で発見された土器焼成壙は弥生時代中期のもので,一辺2m,深さ40cmほどの浅い壙を掘り,周壁に粘土をはったもので,壁面は高温のため焼き締まっている。おそらく天井はなく,野窯の一種と考えられる。弥生土器の系譜をひく土師器(はじき)の場合,古墳時代のものは明らかでないが,奈良時代の古窯跡群として三重県水池遺跡が有名である。同遺跡では16基の焼成壙が発見されている。焼成壙は長さ2.6~4.2m,底辺1.2~1.8m,深さ20~45cmの二等辺三角形の平面をもつ浅い壙で,床面は水平に近い。上部の構造や焼成法は不明である。平安時代の土師器窯に石川県小松市戸津古窯跡群がある。多数の須恵器窯跡群の下方斜面に群在し,幅・奥行きとも1.5~2mの馬蹄形の平面の半地下式窖窯である。床面は水平に近く,なかには溝状の細長い煙道をもつものがある。古墳時代の埴輪焼成窯は関東から九州まで多数知られ,いずれも5世紀後半以降のもので,大阪府羽曳野市誉田(こんだ)白鳥窯跡群,茨城県勝田市(現,ひたちなか市)馬渡(まわたり)埴輪製作所跡などが著名である。いずれも須恵器窯の構造と同様で,丘陵斜面に幅1.5m,長さ6~7mの細長い溝をうがち,天井を架けた傾斜の緩い窖窯である。他地域では須恵器と併焼されている例が多い。
5世紀中ごろに伽耶,百済,新羅など朝鮮半島南部からの渡来工人によって生産の開始された須恵器は,日本で最初の高火度還元炎焼成による陶質土器であり,最古・最大の須恵器窯跡群として大阪府の陶邑(すえむら)古窯址群が著名である。窯は丘陵斜面に幅1.5~2m,長さ8~12mの細長い溝を掘り,すさ入り粘土で壁や天井をはった地下式の窖窯(不連続・横炎式)で,床面に傾斜をもつものと平たんなものと2種の形態がある。5世紀のものは床面傾斜が15度前後と緩く,燻焼(くんしよう)還元焼成が行われたが,のちしだいに傾斜を増し,8世紀末には35度をこえる傾斜の強い窯が築かれた。窯体は前庭部,焚口,燃焼室,焼成室,煙道の5部分から成る。東海地方の8世紀以降の須恵器窯には,燃焼室と焼成室の境に天井から障壁を設けた高火度焼成の構造が知られている。焼成室床面の水平な平窯は高い煙道をもつ掘抜式の窖窯で,7世紀中期以降に陶邑窯に出現した。また愛知県の猿投(さなげ)窯を中心とした9世紀以降の白瓷(しらし)窯(灰釉陶窯)では,焼成室床面に舟底ピットや移動式分炎柱を置いた例も知られている。10世紀後半以降には分炎柱が固定化した。なお畿内では10世紀末以降に壺・甕と碗・皿類の分業生産が始まり,碗・皿窯として京都府亀岡市西長尾5号窯のような,楕円形の平面で床面に多数の柱を立て,その上に貼床をして多数の小孔を設けた昇炎式の窯が築かれているが,他に例をみない。12世紀には兵庫県明石市魚住38号窯のような煙管状窯が,岡山県浅口市の旧鴨方町沖の店1号窯や北九州市屛賀坂窯など瀬戸内海沿岸に広がっている。焼成温度は低く瓦質のものが多い。三彩,緑釉など彩釉陶器の窯は,奈良時代の構造についてまだ知られていないが,平安時代には大阪府吹田市吉志部窯のような須恵器窯を小さくしたものと,亀岡市の篠,黒岩窯のような三角窯が知られており,緑釉陶器を焼いている。古代の瓦窯(がよう)には階段式窖窯と平窯の2形式がある。前者が古く,丘陵斜面に築かれた掘抜式のもので,焼成室床面が階段状につくられている。後者は奈良時代以降に用いられたもので,燃焼室から一段高くなった焼成室の床面に,数条の溝状の火道を設けたものである。
中世の陶器窯は瀬戸,美濃などの施釉陶窯,猿投,常滑(とこなめ),渥美などの無釉の締焼陶窯にみられるように,丘陵斜面をくり抜いて築いた窖窯で,燃焼室と焼成室の境に分炎柱を設け,焼成室と傾斜を変えた煙道部との境にダンパーの施設をもつ構造の窯が用いられた。この形式の窯は,越前,加賀から東北地方まで東日本一円に広がっている。不連続・横炎式の進化したものであり,大きいものでは長さ20mをこえるものがある。中世須恵器窯や北陸の珠洲(すず)窯では,古代の須恵器窯の幅を広くしただけの窯が引き続き使用された。やがて瀬戸,美濃では15世紀中期に新形式の窯が出現した。いずれも半地上窯で,瀬戸では焼成室の中央に狭間孔をもつ障壁を設けた小長曾(こながそ)窯が,美濃では分炎柱から上方に段を設けた大畑大洞(おおはたおおぼら)3号窯がそれである。16世紀に入ると,瀬戸,美濃両地域で大窯として完成された。その典型的なものは岐阜県多治見市の旧笠原町妙土窯で,全長7.8m,焼成室最大幅3.4m,床面傾斜23~26度の半地上窯である。分炎柱に接して一段高く焼成室床面をつくり,その前面に匣鉢(さや)を積み上げた小分炎柱を並べて狭間をつくっている。焼成室には中軸線に沿って立てられた4本の柱が天井を支えており,燃焼ガスは狭間孔から吹き上げられて柱の付近では半倒炎になる燃焼効率の高い窯である。この大窯で黄瀬戸,瀬戸黒,志野などが焼かれた。
16世紀末,佐賀県唐津では南朝鮮から導入された連房式登窯が築かれるようになった。この唐津窯をまねたのが慶長年間(1596-1615)初めに織部陶を焼きはじめた岐阜県土岐市の元屋敷窯跡で,燃焼室および14房の焼成室から成る全長25mの長大な窯である。この連房式登窯は江戸時代を通じて全国各地の陶磁器を焼くのに使用されたもので,半連続・倒炎式の窯である。各房から次房への燃焼ガスを送る狭間の構造によって横狭間式→(斜狭間式)→竪狭間式に変化し,各房の接続形式によって割竹形から芋虫形に変化した。18世紀に生じたこの変化は,各地にさまざまの地域色に富んだ窯体構造を生んだ。瀬戸,美濃における竪狭間連房式登窯は,各房の幅に対して奥行きの狭い,段差の強いもので,上に向かって大きくなってゆく傾向を示している。この窯体構造は瀬戸古窯(美濃窯)と呼ばれる陶器焼成窯として定着するが,19世紀以降に始まる磁器生産に対抗して,より焼成室が広く,より勾配の緩い大規模な本業窯が生まれた(瀬戸焼)。
1616年(元和2)佐賀県有田町の白川天狗谷窯に始まる磁器生産窯は,各房の幅3.5m前後であるが,16房あり,全長53mという大規模なものであった。有田(有田焼)においても18世紀以降,下房に対して上房の幅の広い,さらに規模の大きい窯体が築かれている。19世紀初めに瀬戸で始まった磁器生産窯は,有田のそれと同様な横狭間・倒炎式の連房登窯で丸窯系と呼ばれるものである。これとは別に,各房の幅は等しいが,器物を置く床面に段を有する京窯系(京都,信楽(しがらき),萩など)がある。1872年(明治5)ヨーロッパの進歩した輪窯(連続窯)が導入され,工業化への道を歩みはじめた。
→陶磁器
執筆者:楢崎 彰一
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…セラミックス分野では炉と窯の区別は明りょうではないが,炉にはfurnaceをあて,窯にはkilnをあてている。また,窯炉のように区別を避けた表現もある。…
…セラミックス分野では炉と窯の区別は明りょうではないが,炉にはfurnaceをあて,窯にはkilnをあてている。また,窯炉のように区別を避けた表現もある。…
…600~800℃程度の焼成は,平地か凹地に燃料と土器を積み上げて焼く野焼きで十分である。しかし1000℃以上の高温で焼くためには,壁,天井,焚口,焼成室,煙出しを備えた窯(かま)を必要とする。窯には,底から燃して上に並べた土器を焼く垂直炎(昇炎)の窯と,横から燃して炎が横か斜めに走って並べた土器を焼く水平炎(横炎)の窯とがある。…
※「窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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