白土三平(読み)シラトサンペイ

デジタル大辞泉 「白土三平」の意味・読み・例文・類語

しらと‐さんぺい【白土三平】

[1932~2021]漫画家東京の生まれ。本名、岡本登。忍者ものを中心とする歴史漫画が絶大な人気を集めた。代表作忍者武芸帳」「カムイ伝」「サスケ」など。

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百科事典マイペディア 「白土三平」の意味・わかりやすい解説

白土三平【しらとさんぺい】

漫画家。東京生れ。本名岡本登。父は画家岡本唐貴。練真中卒。1948年紙芝居作家となり,のち指人形劇団太郎座に参加。1957年《こがらし剣士》で貸本漫画に転じ,同年の《甲賀武芸帳》により作風確立。1964年発表の《忍者武芸帳――影丸伝》は1960年代後半から1970年代初めの学生運動の中で広く読まれ,大島渚が同作品の原画を使った映画《忍者武芸帳》を制作した。1971年雑誌《ガロ》創刊号から《カムイ伝》を連載。江戸時代の武士,忍者,農民被差別民,野生動物らがおりなす重層的な歴史ドラマで,長期にわたって断続的に執筆されている。他に《サスケ》《ワタリ》などがある。
→関連項目漫画横山光輝

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白土三平」の意味・わかりやすい解説

白土三平
しらとさんぺい

[生]1932.2.15. 東京
[没]2021.10.8. 東京
漫画家。本名,岡本登。昭和初期のプロレタリア洋画家,岡本唐貴の長男。1947年都内の旧制中学校中退,紙芝居の模写などで生計を立てる。1957年に貸本用漫画『こがらし剣士』で漫画家としてデビューし,『甲賀武芸帳』(1957~59)で作風を確立。『忍者武芸帳』(1959~62)は劇画史を飾る作品となった。主要作品として,このほか『サスケ』(1961~66),アーネスト・トンプソン・シートンの作品を描画した『シートン動物記』(1961~64),『カムイ伝』(第1部 1964~71,第2部 1988~2000)などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「白土三平」の解説

白土三平 しらと-さんぺい

1932- 昭和後期-平成時代の漫画家。
昭和7年2月15日生まれ。岡本唐貴(とうき)の長男。はじめ紙芝居の原画や貸本屋用漫画をかく。昭和34年忍者を主人公とする「忍者武芸帳」で人気をあつめた。「ガロ」連載の「カムイ伝」や「サスケ」など長編歴史劇画のほか,エッセイも執筆。東京出身。本名は岡本登。

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世界大百科事典(旧版)内の白土三平の言及

【劇画】より

…60年代にはだれの眼にも明らかになった日本経済の復興を背景として,社会の表層をながれる明るい気分とうらはらな黒い怒りを主調とする劇画が,はじめは貸本屋に,後には少年週刊雑誌にあらわれた。百姓一揆を主軸にすえた白土三平《忍者武芸帳》全17巻(1959‐62),現代を支配する悪の力をえがいた水木しげる《悪魔くん》全2巻(1964)は,紙芝居のなかで育った貸本屋読者層におくられた劇画の代表作である。描法からいえば,命名者辰巳ヨシヒロが自著《劇画大学》(1968)でのべたように,劇画の特色は一つの行動をえがくのにコマ数を多くすることであり,映画の高速度撮影に似ている。…

【漫画】より

…紙芝居と貸本文化から出てきた絵物語作家は,笑わせることを目的とせず,むしろ怒りの表現として長大な物語を紡いだ。白土三平の《忍者武芸帳》《カムイ伝》を頂点とする劇画があらわれた。そのよりどころとなったのは長井勝一の主宰する《ガロ》(1964年9月創刊)という漫画雑誌である。…

※「白土三平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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