デジタル大辞泉 「白粉」の意味・読み・例文・類語
はく‐ふん【白粉】
2 おしろい。
肌に塗って肌色を美しくみせる仕上げ用化粧品。製品の形態によって粉,固型,水,練などの各種がある。歴史的には,洋の東西を問わず,清浄なもの,白いものを貴び憧れる観念から出発した。白色顔料は地域によって異なるが,白土,貝殻粉,穀粉,鉛白,甘汞(かんこう)などである。鉛白(塩基性炭酸鉛)は紀元前4世紀にギリシアのテオフラストスによって発明されたといわれ,化粧料として使われはじめた。やがてこれが肌を黒くし若死にさせる原因であることがわかり,多くの風刺詩作者たちがその害を説いたが,化粧効果のすぐれた白粉ができなかったので近代まで使われていた。甘汞(塩化第一水銀)は軽粉(けいふん)とも呼ばれ,古代中国で発明され,おもに薬として使われていた。ヨーロッパで軽粉が使われだしたのは16世紀からで,これも薬用であった。日本へは鉛白も軽粉も中国から伝わった。元興寺の僧観成が白粉をつくり女帝である持統天皇に献上して褒美をもらった,という《日本書紀》持統天皇6年(692)の条の記述が最初である。
平安中期の《和名抄》は粉(之路岐毛能)と白粉(波布邇)の2種類をあげているが,これについて江戸後期の漢学者狩谷棭斎は《箋注倭名類聚抄》(1827)でシロキモノは鉛白であるがハフニは米粉かもしれないと述べている。平安中期の《延喜式》にも,供御の白粉をつくるには〈糯米一石五斗,粟一石〉とあるから,当時は鉛白と穀粉の2種類あったのであろう。軽粉が白粉として使われたのは狂言《素襖落》に〈こなた様へは,めでとうお祓い,奥様へは伊勢おしろい〉とあるように室町時代以降のようで,それまでは薬用が主だった。伊勢の丹生(にう)で産出した水銀鉱を近くの射和(いさわ)で軽粉にし,これも近くの松阪で白粉に商品化し,伊勢参りの土産として販売していた。さらに伊勢の御師が全国の檀家まわりをしながら,土産物として伊勢暦などとともに配ったので,伊勢白粉は有名になった。江戸時代の白粉には,伊勢白粉,御所白粉と呼ばれた軽粉と,京白粉,生白粉,パッチリなどと呼ばれた鉛白の2種類があり,さらに生白粉は粒度の違いによって舞台香(中粒度),唐の土(粗粒度)にわかれていた(《都風俗化粧伝》1813)。また,他の白色顔料を混ぜて匂いをつけた調合白粉と呼ばれるものもあった。
明治初年に原因不明の乳幼児の死亡が問題になったが,これは当時乳房まで塗っていた鉛白粉を授乳時にいっしょに吸わせてしまうからであろうといわれていた。さらに1887年に歌舞伎役者の鉛白粉による慢性鉛中毒が社会問題になり,これを契機として無鉛白粉が研究され,89年ころから発売されだした。しかし鉛白粉は化粧仕上りのよいことと,1900年の内務省令《有害性著色料取締令》の中でも〈当分の内,化粧品として之を使用することを得〉という付則がつけられたので,鉛毒はなかなか減らなかった。1925年には鉛白粉が乳幼児の〈所謂脳膜炎〉の原因であることが平井毓太郎によって証明されたが,禁止されたのは30年の内務省令で,35年以降は市場から姿を消した。一方,軽粉のほうも梅毒の治療薬や虱(しらみ)取り薬として市販されていたが,これも52年を最後に製造業者が廃業したため,市場にはまったく見られなくなった。
なお,白粉はその名のとおり白い顔料であったが,江戸時代末期から紅入り白粉が現れ,明治に入って砥の粉(とのこ)白粉,肉色白粉というように有色白粉が現れ,さらに1917年資生堂が〈白,黄,肉黄,ばら,牡丹,緑,紫〉の〈七色粉白粉〉を発売して以来,多色白粉になった。現在の白粉はタルク(滑石末),カオリン(白陶土),亜鉛華,酸化チタン,金属セッケン,炭酸カルシウム,デンプンなどが主成分である。固型白粉は粘結剤として数%の油成分を配合し,固型化したものである。ファウンデーションは第2次大戦後,化粧品科学の発達とメーキャップの普及にともなって白粉から分化し発展したもので,クリームまたは乳液に粉白粉を混ぜたものである。
執筆者:高橋 雅夫
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…町自治体の中には信長配下によって一時占領されたところもあった。 最後に中世における伊勢の産業としては伊勢湾の水産,沿岸の製塩,鎌倉末期より盛んな伊勢茶のほか,とくに著名なものとして多気郡丹生(にう)の水銀と射和(いざわ)の白粉があげられる。水銀は〈みずがね〉として古来有名で,すでに713年(和銅6)伊勢水銀が献じられたことが記録に残っている。…
…【鍵谷 明子】
【歴史】
[日本]
化粧は仮粧とも書き,〈けしやう(けしよう)〉〈けさう(けそう)〉〈けはひ(けわい)〉などと呼んだが,時代によって意味する範囲が多少異なっていた。平安初期以後の文学作品に見られる〈けしやう〉〈けさう〉は,紅,白粉(おしろい),鉄漿(かね)をつけることから身づくろいまでを含む広い意味をもっていた。また〈心けさう〉という使われ方にもうかがわれるように,精神的な分野にまで及んでいた。…
… これらの化粧品や化粧法の一部はギリシア,ローマから漢代の中国に伝わり,日本へは奈良時代に伝わった。日本の古代の化粧品としては粉(ていふん)(ほお紅),粉(しろきもの)(米粉),白粉(はふに)(鉛白),黛(まゆずみ),沢(たく)(脂綿(あぶらわた)),澡豆(そうず)(洗粉)などがあった。平安時代に女性の髪が長くなると,洗髪には泔(ゆする)(米のとぎ汁)を使い,薫物(たきもの)で髪に香を薫きしめた。…
※「白粉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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