お‐しろい【白粉】
〘名〙 (「御白い」の意)
※
発心集(1216頃か)四「粉
(ヲシロイ)を施し、たき物をうつせど」
はく‐ふん【白粉】
〘名〙
※
西国立志編(1870‐71)〈中村正直訳〉三「これはその仮髣
(かつら)の中に、これを整理する為に用る白粉あるに由る、即ち一種の土なりと
答ふ」 〔王維‐為
画人謝賜表〕
② おしろい。
※
源平盛衰記(14C前)一七「白粉
(ハクフン)娼びを造れり」
しろ‐こ【白粉】
〘名〙
① 白い粉。
※
狂歌・
吾吟我集(1649)二「けふにあふ氷も
ちいのしろ粉をばひむろにうづむ雪とこそ見れ」
※
御湯殿上日記‐天正一七年(1589)一一月二四日「けふもしろこ御つけなさるる」
はふに【白粉】
〘名〙 (
後世「はうに」とも) 米の粉で作ったおしろい。〔十巻本和名抄(934頃)〕
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デジタル大辞泉
「白粉」の意味・読み・例文・類語
はふに【▽白▽粉】
《「はくふん」の音変化。後世「はうに」とも》米の粉でつくったおしろい。
「―といふもの、むらはけ化粧じて」〈栄花・御裳着〉
お‐しろい【白=粉】
《お白い、の意。元来は女性語》顔や首筋などにつけて肌を色白に美しく見せるための化粧品。粉おしろい・水おしろい・練りおしろいなどがある。
はく‐ふん【白粉】
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白粉
おしろい
顔や肌の化粧に用いる白い粉末。元来白いものの意で,その丁寧語「御白い」に基づく。粉白粉,水白粉,練り白粉の3種があり,粉白粉は便利であるが化粧くずれしやすく,水白粉は薄化粧に,また練り白粉は厚化粧に適しているとされている。固練り白粉,刷 (はけ) 白粉,紙白粉などの呼称も,いずれも前記3種の応用といえる。また原料には鉱物質と植物質があり,鉱物質には炭酸鉛 (鉛白) ,酸化亜鉛 (亜鉛華) ,硫化亜鉛,酸化錫,酸化チタニウム,滑石,陶土などがあり,植物質には麦粉,米粉,葛粉などがある。日本でも明治までは鉛白を原料とした京白粉 (ハウニなどと呼んだ) や水銀を原料とした伊勢白粉 (ハラヤなどと呼んだ) などが用いられたが,鉛中毒にかかるおそれがあるところから製造されなくなった。白粉の使用は西洋ではすでに古代エジプトにみられ,それを継承したギリシアやローマでも,白粉は紅と並ぶ重要な化粧料であった。中国でもすでに殷代 (前 15世紀) には鉛錫を焼いて白粉とした記録がある。日本でも,唐の化粧法によった鉛白の白粉が奈良時代から使われたが,7世紀末に僧観成によってつくられたとされている。
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普及版 字通
「白粉」の読み・字形・画数・意味
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白粉【おしろい】
肌をなめらかに美しく見せるための化粧品。もとは白く見せるために用いたが最近は自然色が好まれる。古く日本では米やアワの粉で白くしたが,中国から鉛白(塩基性炭酸鉛)がもたらされ,《日本書紀》によれば692年には国産品も造られていたという。鉛白はその後長く使用されたが有害なため1930年禁止された。現在は亜鉛華と二酸化チタンにタルク,硫酸バリウム,カオリン,デンプン,着色料,香料などが配合される。粉末の粉白粉が基本となり,化粧水に溶かした水白粉,グリセリンなどで練った練白粉,押し固めた固形白粉などがある。油性白粉はワセリンなどの油分で粉白粉を処理したもので,伸び・つきともによく最も普及している。
→関連項目犬張子
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おしろい【白粉】
肌に塗って肌色を美しくみせる仕上げ用化粧品。製品の形態によって粉,固型,水,練などの各種がある。歴史的には,洋の東西を問わず,清浄なもの,白いものを貴び憧れる観念から出発した。白色顔料は地域によって異なるが,白土,貝殻粉,穀粉,鉛白,甘汞(かんこう)などである。鉛白(塩基性炭酸鉛)は紀元前4世紀にギリシアのテオフラストスによって発明されたといわれ,化粧料として使われはじめた。やがてこれが肌を黒くし若死にさせる原因であることがわかり,多くの風刺詩作者たちがその害を説いたが,化粧効果のすぐれた白粉ができなかったので近代まで使われていた。
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白粉 (オシロイ)
植物。オシロイバナ科の多年草,園芸植物,薬用植物。オシロイバナの別称
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世界大百科事典内の白粉の言及
【伊勢国】より
…町自治体の中には信長配下によって一時占領されたところもあった。 最後に中世における伊勢の産業としては伊勢湾の水産,沿岸の製塩,鎌倉末期より盛んな伊勢茶のほか,とくに著名なものとして多気郡丹生(にう)の水銀と射和(いざわ)の白粉があげられる。水銀は〈みずがね〉として古来有名で,すでに713年(和銅6)伊勢水銀が献じられたことが記録に残っている。…
【化粧】より
…【鍵谷 明子】
【歴史】
[日本]
化粧は仮粧とも書き,〈けしやう(けしよう)〉〈けさう(けそう)〉〈けはひ(けわい)〉などと呼んだが,時代によって意味する範囲が多少異なっていた。平安初期以後の文学作品に見られる〈けしやう〉〈けさう〉は,紅,白粉(おしろい),鉄漿(かね)をつけることから身づくろいまでを含む広い意味をもっていた。また〈心けさう〉という使われ方にもうかがわれるように,精神的な分野にまで及んでいた。…
【化粧品】より
… これらの化粧品や化粧法の一部はギリシア,ローマから漢代の中国に伝わり,日本へは奈良時代に伝わった。日本の古代の化粧品としては
粉(ていふん)(ほお紅),粉(しろきもの)(米粉),白粉(はふに)(鉛白),黛(まゆずみ),沢(たく)(脂綿(あぶらわた)),澡豆(そうず)(洗粉)などがあった。平安時代に女性の髪が長くなると,洗髪には泔(ゆする)(米のとぎ汁)を使い,薫物(たきもの)で髪に香を薫きしめた。…
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