デジタル大辞泉 「白起」の意味・読み・例文・類語 はく‐き【白起】 [?~前257]中国、戦国時代の秦の武将。郿び(陝西せんせい省)の人。昭襄王のとき、武功により武安君に封じられたが、のち、宰相の范雎はんしょと不和となり、王の信を失って自殺させられた。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「白起」の意味・読み・例文・類語 はく‐き【白起】 中国戦国時代、秦の武将。郿(陝西省郿県)の人。昭襄王に仕え、韓・魏・趙・楚と戦って功があり、武安君と称されたが、宰相范雎の弾劾をうけ自決した。紀元前二六〇年に長平(山西省高平県の西北)で、趙の大軍を破ったのは有名。前二五七年没。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「白起」の意味・わかりやすい解説 白起 (はくき)Bái Qǐ生没年:?-前257 中国,戦国時代の秦の名将。郿(び)(陝西省郿県)の人。用兵にすぐれ,秦の昭王に仕えた。前294年に韓の新城を攻めて以来,魏の都を攻略し,趙の光狼城を陥落させ,また2度にわたって楚を破り都の郢(えい)を下すなど,連戦に華ばなしい戦功をたて,封ぜられて武安君と称された。この後も,秦の命運を決定づけた長平の戦(前260)で趙に大勝をおさめたが,彼の昇進をおそれた宰相の范雎(はんしよ)と不和になり,弾劾をうけて辺地に流される途中,自殺した。執筆者:永田 英正 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「白起」の意味・わかりやすい解説 白起はくきBai Qi; Pai-Ch`i [生]?[没]昭王50(前257)中国,戦国時代の秦に仕えた武将。漢中 (陝西省南部) のびの出身。昭王の将として昭王 14 (前 293) 年韓,魏を伊闕で破り,同 28年には楚を破って,楚都えん郢 (えんえい) を占領,同 30年にその功績により武安君に封じられ,引続き列国を攻めて七十余城を占領し,秦のため大功を立てた。特に同 47年長平 (山西省) の戦いで趙括 (ちょうかつ) を将とする趙軍を破り,その降伏者四十余万人を穴埋めにしたことで有名。やがて疑われて兵卒に落され,死を命じられて自殺した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by