(読み)カン

デジタル大辞泉 「韓」の意味・読み・例文・類語

かん【韓】

中国、戦国時代の国。戦国七雄の一。しんに仕えていた韓氏が、氏・氏とともに晋を滅ぼし、領土を3分。前403年に諸侯に列せられて、現在の山西省南東部から河南省中部を領有。都は、平陽から宜陽ぎよう、のちてい。前230年、しんに滅ぼされた。
三韓さんかん
李氏朝鮮が1897年から1910年まで用いた国号大韓帝国」の略称。大韓。
大韓民国」の略。

かん【韓】[漢字項目]

常用漢字] [音]カン(漢) [訓]から
古代朝鮮の国名。から。「三韓
李氏朝鮮の国名。「大韓」
大韓民国。「韓国日韓

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精選版 日本国語大辞典 「韓」の意味・読み・例文・類語

かん【韓】

  1. [ 一 ] 中国、戦国時代に現在の山西省南東部から河南省中部を領有した国。晉に仕えた韓氏が、趙氏、魏氏とともに勢力を増して、紀元前四〇三年諸侯として認められ、晉を滅ぼしてその領土を三分。さらに鄭国を滅ぼして国都を鄭に移し、その後、戦国七雄の一つとして重きをなしたが、前二三〇年、秦によって滅ぼされた。
  2. [ 二 ]さんかん(三韓)
  3. [ 三 ] 李氏朝鮮が一八九六年から一九一〇年の韓国併合の時まで用いた国号。大韓。
  4. [ 四 ] 大韓民国。

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普及版 字通 「韓」の読み・字形・画数・意味


常用漢字 17画

(旧字)
17画

[字音] カン
[字訓] いげた

[説文解字]
[金文]

[字形] 会意
正字は(かん)に従い、(い)。〔説文〕五下に「井垣なり」といげたの意とし、は「其の(めぐ)ることを取るなり」というが、皮。金文の〔羌鐘(ひゆうきようしよう)〕に韓の字がみえ、その字はに従わず、旗竿の象。その旗竿に皮を巻くことがあり、韓の字が作られたのであろう。〔段注〕に〔説文〕の文を「井橋なり」とするが、それならば桔(きっこう)の意となる。〔説文〕三下に「(ゑん)は物を量る(ふくろ)なり。一に曰く、井を抒(く)むなり」とあり、井に皮革の器を用いている。韓がに従うのもその意であろう。

[訓義]
1. いげた、井垣。
2. 字はに従い、旗竿の象、あるいはつるべをかける柱であろう。
3. 古代の国の名。

[古辞書の訓]
立〕韓 カラ

[熟語]
韓娥

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「韓」の意味・わかりやすい解説


かん
Han

朝鮮古代の地域名。国名。部族名。古代朝鮮半島南部の状態を最初に最も詳細に記した文献『三国志魏志東夷伝の韓の条によると,「韓は帯方郡の南にあって馬韓辰韓弁辰 (弁韓) の3種に分れ,南は倭と接する」ことになっている。すなわち半島の南東部に辰韓,北西部に馬韓,馬韓に接して弁辰があり,それぞれがまたいくつかの国に分れていたようである。4世紀初め楽浪郡高句麗 (こうくり) によって滅亡し,これと前後して帯方郡も韓族らによって滅亡し,中国の朝鮮に対する支配力が弱化すると韓族統合の機運が起り,4世紀なかば頃馬韓の地に百済,辰韓の地から新羅が成立し,弁辰の諸小国はいわゆる加羅 (から) として倭 (日本) の直接統治下におかれた (→任那 ) 。しかし加羅諸国も新羅と百済によって相次いで分割され,真興王 23 (562) 年新羅によって残存の加羅も統合され,朝鮮半島は三韓から三国 (高句麗,百済,新羅) 対立の時代に移行する。なお「韓」の原義については諸説があり一定しない。また朝鮮王朝 (李朝) の末期 (1897) ,高宗 (李太王) は三韓の古名をとり一時大韓と号したことがある。さらに 1945年,日本から解放され成立した国家も,古名にちなんで大韓民国の名を称している。


かん
Han

中国,戦国の七雄の一つ。春秋時代初期,晋の韓武子が韓原に封じられたのに始り,晋の六卿の一つとして強力になり,前 453年趙,魏と晋を3分し,前 403年周の威烈王から諸侯として公認された。都は平陽。のち宜陽,陽 翟 (ようてき) と移り,前 375年,哀公が鄭を滅ぼしたのちに鄭 (河南省新鄭) となった。前4世紀中頃昭公が申不害 (しんふがい) を用いて国内を治め,外敵の侵入を防いだ頃が盛時であった。強国秦に隣接していたので絶えずその侵入を受け,襄王 14 (前 298) 年から数回,斉,魏などと協力して大反撃をしたこともあったが,次第に土地を侵略され,王安9 (前 230) 年秦の始皇帝に滅ぼされた。法家の代表者の韓非子は韓の公族である。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「韓」の意味・わかりやすい解説


かん

中国、戦国時代に山西省南東部から河南省中部にかけての地を領有した国。戦国七雄の一つ。王室祖先は春秋時代の山西の大国晋(しん)の一族。晋の勢力圏にあって魏(ぎ)氏、趙(ちょう)氏と並び称された。韓氏、魏氏、趙氏は、范(はん)氏、中行(ちゅうこう)氏など他の有力世族(せいぞく)をしだいに滅ぼして、その所領と権力を拡大していった。紀元前451年、晋の最大世族知氏を滅ぼして、晋の領地を三分し、前403年には魏氏、趙氏とともに晋を継ぐ存在として、周から認められた。韓氏の所領の中心は、春秋末の平陽から、宜陽(ぎよう)、陽翟(ようてき)へと移り、前375年には鄭(てい)を滅ぼして、そこに国都を置いた(河南省新鄭)。前356年、韓の昭釐公(しょうきこう)は申不害(しんふがい)を登用して官僚制を整備し、次の宣惠王(せんけいおう)は王を称するに至った。しかし、その後は西の秦(しん)、南の楚(そ)に圧迫されて振るわず、しだいに秦の侵攻を受けて前230年に滅ぼされた。その少し前、秦に使いして殺された韓非(かんぴ)(『韓非子』は彼の著とされる)は、韓の王族である。

[平勢隆郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「韓」の意味・わかりやすい解説

韓 (かん)
Hán

中国,戦国七雄の一つ。前403-前230年。晋の一族韓武子が韓原に封ぜられ,勢力を蓄え,春秋末には魏・趙・知3氏とともに晋の国政を握った。前453年魏・趙と知氏を滅ぼし,晋を三分し,事実上独立。前403年周王に承認された。はじめ平陽(山西臨汾県)に中心をおいたが,のち南移して宜陽(河南宜陽県)・陽翟(河南禹県)・鄭(河南新鄭県)と都をうつした。秦・魏・楚の強国と境を接し,たえず圧迫を受け,七雄の中でも終始弱体な国であった。前230年秦に滅ぼされた。
春秋戦国時代
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百科事典マイペディア 「韓」の意味・わかりやすい解説

韓(中国)【かん】

戦国七雄の一。の一族韓武子が韓原に封ぜられたことに発する。晋を3分して,前453年自立。前403年には周王により諸侯に列せられた。河南より山西にかけて領有,初め平陽(臨汾),のち新鄭に都した。前230年秦に滅ぼされる。
→関連項目金村古墓春秋戦国時代戦国の七雄

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旺文社世界史事典 三訂版 「韓」の解説


かん

①戦国の七雄の一国 前403〜前230
②朝鮮の国名 1897〜1910
晋 (しん) に仕える世族であったが,魏 (ぎ) ・趙 (ちよう) 両氏とともに,晋領を3分して独立した。河南・山西南部を支配したが,秦に滅ぼされた。
李氏朝鮮の高宗のとき(1897),清から独立したことを示すため,国号を大韓と改め,1910年の韓国併合まで続いた。

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【加羅】より

…加羅の用法には広狭二様あり,加羅諸国全体をさす広義と,加羅諸国中の特定の国(金海加羅高霊加羅)を呼ぶ狭義とがある。日本ではこのほか韓(から)と呼び朝鮮古代の諸国を,唐(から)と呼んで海外すべてを指すこともある。広義の加羅諸国も,時代により変動し,洛東江下流域を中心に,ときに中流域まで及んでいる。…

【朝鮮】より

…面積は約22万1000km2で,ほぼイギリス本国に匹敵する。1948年以後は,南半部の大韓民国(9万9000km2,人口は1996年現在,4523万)と,北半部の朝鮮民主主義人民共和国(12万1000km2,人口は1996年推計で2390万)とに分かれている。 朝鮮の名は,14世紀末から約500年間この地域を支配した李氏朝鮮王朝(李朝)によって広まったが,《史記》の箕子のくだりに朝鮮の名がみられるように紀元前にすでにこの名があったとされる。…

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