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かんHan

翻訳|Han

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


かん
Han

中国,戦国の七雄の一つ。春秋時代初期,韓武子が韓原に封じられたのに始り,晋の六卿の一つとして強力になり,前 453年と晋を3分し,前 403年周の威烈王から諸侯として公認された。都は平陽。のち宜陽,陽 翟 (ようてき) と移り,前 375年,哀公が鄭を滅ぼしたのちに鄭 (河南省新鄭) となった。前4世紀中頃昭公が申不害 (しんふがい) を用いて国内を治め,外敵の侵入を防いだ頃が盛時であった。強国秦に隣接していたので絶えずその侵入を受け,襄王 14 (前 298) 年から数回,斉,魏などと協力して大反撃をしたこともあったが,次第に土地を侵略され,王安9 (前 230) 年秦の始皇帝に滅ぼされた。法家の代表者の韓非子は韓の公族である。


かん
Han

朝鮮古代の地域名。国名。部族名。古代朝鮮半島南部の状態を最初に最も詳細に記した文献『三国志』魏志東夷伝の韓の条によると,「韓は帯方郡の南にあって馬韓辰韓弁辰 (弁韓) の3種に分れ,南は倭と接する」ことになっている。すなわち半島の南東部に辰韓,北西部に馬韓,馬韓に接して弁辰があり,それぞれがまたいくつかの国に分れていたようである。4世紀初め楽浪郡高句麗 (こうくり) によって滅亡し,これと前後して帯方郡も韓族らによって滅亡し,中国の朝鮮に対する支配力が弱化すると韓族統合の機運が起り,4世紀なかば頃馬韓の地に百済,辰韓の地から新羅が成立し,弁辰の諸小国はいわゆる加羅 (から) として倭 (日本) の直接統治下におかれた (→任那 ) 。しかし加羅諸国も新羅と百済によって相次いで分割され,真興王 23 (562) 年新羅によって残存の加羅も統合され,朝鮮半島は三韓から三国 (高句麗,百済,新羅) 対立の時代に移行する。なお「韓」の原義については諸説があり一定しない。また朝鮮王朝 (李朝) の末期 (1897) ,高宗 (李太王) は三韓の古名をとり一時大韓と号したことがある。さらに 1945年,日本から解放され成立した国家も,古名にちなんで大韓民国の名を称している。

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デジタル大辞泉の解説

かん【韓】

中国、戦国時代の国。戦国七雄の一。晋(しん)に仕えていた韓氏が、氏・氏とともに晋を滅ぼし、領土を3分。前403年に諸侯に列せられて、現在の山西省南東部から河南省中部を領有。都は、平陽から宜陽(ぎよう)、のち鄭(てい)。前230年、秦(しん)に滅ぼされた。
三韓(さんかん)
李氏朝鮮が1897年から1910年まで用いた国号大韓帝国」の略称。大韓。
大韓民国」の略。

かん【韓】[漢字項目]

常用漢字] [音]カン(漢) [訓]から
古代朝鮮の国名。から。「三韓
李氏朝鮮の国名。「大韓」
大韓民国。「韓国日韓

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世界大百科事典 第2版の解説

かん【韓 Hán】

中国,戦国七雄の一つ。前403‐前230年。晋の一族韓武子が韓原に封ぜられ,勢力を蓄え,春秋末には魏・趙・知3氏とともに晋の国政を握った。前453年魏・趙と知氏を滅ぼし,晋を三分し,事実上独立。前403年周王に承認された。はじめ平陽(山西臨汾県)に中心をおいたが,のち南移して宜陽(河南宜陽県)・陽翟(河南禹県)・鄭(河南新鄭県)と都をうつした。秦・魏・楚の強国と境を接し,たえず圧迫を受け,七雄の中でも終始弱体な国であった。

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大辞林 第三版の解説

かん【韓】

◇ 大韓民国。韓国。 「日-会談」
中国の戦国時代の七雄の一(前403~前230)。韓氏は晋しんの有力世族であったが、魏氏・趙ちよう氏とともに晋を滅ぼしその領土を三分、現在の山西省南東部から河南省中部を領有。紀元前230年秦しんの始皇帝に滅ぼされた。
三韓さんかん
朝鮮王朝が、1897年から1910年まで用いた国号。大韓。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


かん

中国、戦国時代に山西省南東部から河南省中部にかけての地を領有した国。戦国七雄の一つ。王室の祖先は春秋時代の山西の大国晋(しん)の一族。晋の勢力圏にあって魏(ぎ)氏、趙(ちょう)氏と並び称された。韓氏、魏氏、趙氏は、范(はん)氏、中行(ちゅうこう)氏など他の有力世族(せいぞく)をしだいに滅ぼして、その所領と権力を拡大していった。紀元前451年、晋の最大世族知氏を滅ぼして、晋の領地を三分し、前403年には魏氏、趙氏とともに晋を継ぐ存在として、周から認められた。韓氏の所領の中心は、春秋末の平陽から、宜陽(ぎよう)、陽(ようてき)へと移り、前375年には鄭(てい)を滅ぼして、そこに国都を置いた(河南省新鄭)。前356年、韓の昭釐公(しょうきこう)は申不害(しんふがい)を登用して官僚制を整備し、次の宣惠王(せんけいおう)は王を称するに至った。しかし、その後は西の秦(しん)、南の楚(そ)に圧迫されて振るわず、しだいに秦の侵攻を受けて前230年に滅ぼされた。その少し前、秦に使いして殺された韓非(かんぴ)(『韓非子』は彼の著とされる)は、韓の王族である。[平勢隆郎]

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世界大百科事典内のの言及

【加羅】より

…加羅の用法には広狭二様あり,加羅諸国全体をさす広義と,加羅諸国中の特定の国(金海加羅高霊加羅)を呼ぶ狭義とがある。日本ではこのほか韓(から)と呼び朝鮮古代の諸国を,唐(から)と呼んで海外すべてを指すこともある。広義の加羅諸国も,時代により変動し,洛東江下流域を中心に,ときに中流域まで及んでいる。…

※「韓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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