盤珪(読み)ばんけい

精選版 日本国語大辞典 「盤珪」の意味・読み・例文・類語

ばんけい【盤珪】

  1. 江戸前期の臨済宗の僧。法名永琢勅諡は仏智弘済禅師・大法正眼国師。一七歳のとき雲甫元祥について出家し、のち長崎に赴き道者禅師のもとで大悟し、以後各地を遊歴した。熊沢蕃山と承応三年(一六五四備前国(岡山県)の三友寺で儒仏論争を行ない、これを説得したという。万治二年(一六五九郷里播磨国浜田(兵庫県姫路市)に龍門寺を開き、寛文一二年(一六七二勅命妙心寺にはいった。仮名法語二巻がある。元和八~元祿六年(一六二二‐九三

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改訂新版 世界大百科事典 「盤珪」の意味・わかりやすい解説

盤珪 (ばんけい)
生没年:1622-93(元和8-元禄6)

江戸時代の臨済宗の僧。播磨国揖西郡浜田村(現,兵庫県姫路市網干(あぼし))の出身。17歳で赤穂郡随鷗寺の雲甫について得度,名を永琢(えいたく)/(ようたく)と称し,のち備前三友寺の牧翁の法を継ぎ,26歳のとき大悟した。その後,美濃玉竜庵,備前三友寺,肥前平戸の雄香寺,伊予大洲の如法寺,郷里網干の竜門寺,江戸の光林寺などに,あるいはとどまり,あるいはこれを創建して禅要を説いた。1672年(寛文12)妙心寺住持となり,退いてのちは多く竜門寺を拠点にまた各地を遍歴した。多くの庶民帰依者のほか,平戸藩主松浦鎮信,大洲藩主加藤泰興,丸亀藩主京極高豊も盤珪の禅に傾倒し厚く保護した。盤珪が各地に開創した寺,またその法嗣が開山に仰いだ寺は,世に盤珪寺といわれ,100余ヵ寺に及んだ。その唱導した独特の禅は〈不生禅(ふしようぜん)〉という。人は生まれながらにして不生不滅の仏心をもつと説き,形式的な座禅修行を否定し,日常生活そのものが座禅に通じると,通俗平易な言葉で人々にさとした。白隠と並んで,難解な禅を庶民に理解できる禅へ脱皮させた功績は大きい。盤珪の弟子は400余人に及び,そのうちとくに大梁祖教,節外祖貞,石門祖珉,大随祖壁,潜嶽祖竜,玲岳祖秀,圭堂祖心,徳岩祖卍(そまん)を門下の四天四傑という。1690年(元禄3)仏智弘済禅師の号を賜り,諡(おくりな)を正眼国師という。著述に《盤珪禅師語録》がある。
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百科事典マイペディア 「盤珪」の意味・わかりやすい解説

盤珪【ばんけい】

江戸初〜中期の臨済宗の僧。名は永琢(ようたく)。諡(おくりな)は正眼(しょうげん)国師。播磨(はりま)の人。16歳のとき出家,のち長崎に明僧道者を尋ね,悟達した。大名で帰依(きえ)する者多く,その弟子は道俗5万人といわれた。郷里網干(あぼし)竜門(りゅうもん)寺などを創建。公案を廃し,不生不滅の仏性に直接参入する不生禅(ふしょうぜん)を説いた。白隠(はくいん)とともに庶民に理解できる禅を広めた。

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