江戸時代の臨済宗の僧。播磨国揖西郡浜田村(現,兵庫県姫路市網干(あぼし))の出身。17歳で赤穂郡随鷗寺の雲甫について得度,名を永琢(えいたく)/(ようたく)と称し,のち備前三友寺の牧翁の法を継ぎ,26歳のとき大悟した。その後,美濃玉竜庵,備前三友寺,肥前平戸の雄香寺,伊予大洲の如法寺,郷里網干の竜門寺,江戸の光林寺などに,あるいはとどまり,あるいはこれを創建して禅要を説いた。1672年(寛文12)妙心寺住持となり,退いてのちは多く竜門寺を拠点にまた各地を遍歴した。多くの庶民帰依者のほか,平戸藩主松浦鎮信,大洲藩主加藤泰興,丸亀藩主京極高豊も盤珪の禅に傾倒し厚く保護した。盤珪が各地に開創した寺,またその法嗣が開山に仰いだ寺は,世に盤珪寺といわれ,100余ヵ寺に及んだ。その唱導した独特の禅は〈不生禅(ふしようぜん)〉という。人は生まれながらにして不生不滅の仏心をもつと説き,形式的な座禅修行を否定し,日常生活そのものが座禅に通じると,通俗平易な言葉で人々にさとした。白隠と並んで,難解な禅を庶民に理解できる禅へ脱皮させた功績は大きい。盤珪の弟子は400余人に及び,そのうちとくに大梁祖教,節外祖貞,石門祖珉,大随祖壁,潜嶽祖竜,玲岳祖秀,圭堂祖心,徳岩祖卍(そまん)を門下の四天四傑という。1690年(元禄3)仏智弘済禅師の号を賜り,諡(おくりな)を正眼国師という。著述に《盤珪禅師語録》がある。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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