龍門寺(読み)りゅうもんじ

精選版 日本国語大辞典 「龍門寺」の意味・読み・例文・類語

りゅうもん‐じ【龍門寺】

  1. [ 一 ] 秋田県由利本荘市岩城赤平にある曹洞宗の寺。山号は禅勝山。明徳三年(一三九二)陸奥国磐城郡飯野郷(福島県いわき市)に開創。開山青岑珠鷹開基は岩城朝義。寛永五年(一六二八)岩城家移封とともに現在地に移る。
  2. [ 二 ] 奈良県吉野郡吉野町、龍門岳(九〇四メートル)の南側のふもとにあった寺。義淵の創建で、久米仙人が修行したと伝えられる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「龍門寺」の解説

龍門寺
りゆうもんじ

[現在地名]吉野町大字山口

竜門滝を中心に、竜門岳山腹の緩傾斜地を削平して建立された古代寺院。「大和志」に廃龍門寺として「在山口村上方大門故址下乗石尚存」と記す。現在も山口やまぐちに残る下乗石(背面に「元弘三年卯月八日」在銘)や旧伊勢街道沿いの大門跡の位置、また「三代実録」および「扶桑略記」の元慶四年(八八〇)一一月条などに諸大寺の一としてみえることから寺域の広さや有名度がうかがわれるが、今は荒廃して伽藍配置などもつまびらかでない。


龍門寺
りゆうもんじ

[現在地名]山形市北山形二丁目

江戸時代城下町であった皆川みながわ町にある。登鱗山と号し、曹洞宗。本尊釈迦如来。山形城下禅宗四ヵ寺の一寺。寺伝では山形城主最上義秋が文明二年(一四七〇)先代城主最上義春の菩提を弔うため城中に創建したのに始まる。寺領一八〇石を与え、朴堂良淳を開山とした。文明二年(一四七〇)の朴堂良淳覚書(寺蔵文書)に義秋建立のことがみえる。初代山形藩主最上義光が山形城を大拡張するに際して、二の丸南西にあった当寺を現在地に移転させたと伝える。最上氏時代城下絵図では馬見まみさき川を越えた城の北方に広大な境内地を与えられていたことがわかる。


龍門寺
りゆうもんじ

[現在地名]七宗町神渕 寺洞

葉津はづ川のほとり、小高い山の麓にある。神淵山と号し、臨済宗妙心寺派、本尊釈迦如来。開基は美濃守護土岐頼貞、開山は宋の禅僧一山一寧、延慶元年(一三〇八)の創建。もとは福光山と号して長良福光ながらふくみつ(現岐阜市)に建てられたが、戦国時代に兵火により焼かれ神淵かぶち寺洞てらほらに移され、神淵山と改称したという。「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)三月三〇日条に「美濃国龍門寺并寺領神淵郷之事、一乱以来守護方押領候」とある。また「梅花無尽蔵」の著者万里集九が応仁の乱を避けて龍門寺に滞在しているが、神淵郷移転後の龍門寺なのか断定しがたい。


龍門寺
りようもんじ

[現在地名]姫路市網干区浜田

揖保川分流のなか川左岸にある。天徳山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊は十一面観音。寛文元年(一六六一)盤珪の開基。寺紋は江戸時代の領主で境内地寄進者の讃岐丸亀藩主京極家と同じ四ッ目紋を用いている。盤珪は不生禅を唱えた名僧で、その語録(宝暦本・龍門寺本・丸亀本)は文学博士鈴木大拙によって海外にまで伝えられた。また当寺は千宗旦の四天王の一人杉木普斎との関係が深く、普斎作と伝える庭園が残る。堂塔伽藍二三棟。おもな諸堂は灘屋佐々木家の一族による建立で、茶室不生ふしよう庵・大珠だいじゆ庵は後年の追補。平安時代の作と伝える木造の千手観音立像・聖観音立像・釈迦如来坐像(付台座)は県指定文化財。


龍門寺
りゆうもんじ

[現在地名]いわき市平下荒川

諏訪下すわしたにあり、禅勝山と号し、曹洞宗。本尊釈迦牟尼仏。三春みはる(現三春町)天沢てんたく寺開山の栄峰覚秀とその法兄の青岑珠鷹がりゆうさわに龍沢庵という草庵を結んでいたが、岩城朝義が応永一七年(一四一〇)龍門寺と改称し、同家の菩提寺としたという。朝義の法号は龍門寺殿重祐禅勝大居士という。慶長七年(一六〇二)岩城氏が佐竹氏に従って出羽に移ったため寺運は傾いたが、近世にも寺領七〇石を有し僧録寺院として末寺を支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「龍門寺」の解説

龍門寺

秋田県由利本荘市にある寺院。曹洞宗。山号は禅勝山。1392年、福島県に開創し、1628年に現在地に移る。亀田藩主岩城家の菩提寺。

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