国民が直接に署名・投票行動などを通じて政治に参加し、国政・地方政治のレベルにおいてその意志を表明し立法や政策に関して決定できる制度。議会や代表を通じて立法や政策を決定する間接民主制、代表民主制、代議制に対する語。
[田中 浩]
直接民主制の代表的事例としては、古代ギリシアの都市国家における民会が有名である。ここでは地域的規模も小さく、人口も少なかったから、いわば「見える政治」が可能であり、全員参加の政治がうまく機能しえたものと考えられる。しかし、都市国家においては、自由民の成年男子だけが民会に参加し、奴隷には政治的権利が与えられていなかったから、その政治も現代国家におけるような完成された形での民主政治とはいえなかった。
中世になって、西ヨーロッパ地域に封建国家や絶対主義国家が登場したが、これらの国家では身分制階層秩序が厳格に守られていたから、国政に参加できたのは、僧侶(そうりょ)・貴族身分、富裕な市民層の代表に限られていた。近代国家は、この身分制度を否定し、国民主権の原理を高く掲げたが、国政については、代表民主制、代議制を採用した。その理由は、近代国家は都市国家とは比較にならないほどの広大な領域と数百万、数千万という巨大な人口を擁していたから、もはや、ルソーも述べているように「樫(かし)の木の下の民主主義」(直接民主制)を実施することはとうてい不可能であったためである。ただ、国民主権主義を前提とする近代国家の成立を説明するためには、ホッブズ、ロック、ルソーも、政治社会・国家の設立時における全員参加という直接民主制的な社会契約の思想を展開せざるをえなかったが、実際の政治運営に関しては、多数決による代表民主制の採用を認めているのである。したがって、近代以降についてみれば、フランス革命期に憲法制定に関して国民投票(レファレンダム)が実施され、あるいはまたナポレオン1世や3世が政権獲得の手段として人民投票(プレビシット)を行ったような事例があるが、国政レベルでは直接民主制が採用された事例は少ない。しかし、地方政治のレベルでは、建国時代のアメリカにおけるタウン・ミーティング、1874年以後のスイスの各カントン(州)における直接民主制の採用、78年のマサチューセッツ州における憲法制定に関する国民表決(投票)とそれに影響された他州における国民表決(投票)の採用などのように、かなり直接民主制が活用されているのをみる。
[田中 浩]
国政レベルで直接民主制的規定が初めて憲法に盛り込まれたのはワイマール共和国憲法(1919)においてである。ドイツ革命直後に成立したワイマール政権は、ドイツ社会民主党を中心とする連立政権であり、もともと社会民主党は、アイゼナハ(1869)、ゴータ(1875)、エルフルト(1891)綱領などにおいて直接民主制的政治を掲げていたこともあって、ワイマール憲法に直接民主制的規定が多数盛り込まれたものと思われる。たとえば、ドイツ大統領は国民投票によって選出され、議会は大統領を解職(リコール)するために国民投票にかけることができ、また有権者の2分の1で国民投票(レファレンダム)、同10分の1で法律発案(イニシアティブ)ができるなどの規定がそれである。
ではなぜ、20世紀に入って、ワイマール憲法にみられるような直接民主制的規定が、各国の憲法、選挙法、地方自治法などに広範に採用されるようになったのか。近代国家成立以降しばらくの間は、間接民主制が議会制の名と結び付いて最良の政治制度であると主張された。しかし、19世紀以降、直接民主制的な考え方が登場してきた。それが普通選挙権を要求する運動である。普通選挙権という考え方は、それ自体ではもちろん直接民主制的政治システムと結び付くものではないが、それが全国民の政治参加を求めているという点において、その思想は直接民主制的な性格をもった思想であるといえよう。
近代国家は、その成立当初において、国民主権主義を掲げていた。しかし、その政治の実態は、新たに支配層となった上層市民階級と旧地主階級との妥協の産物である寡頭制的な議会政治にすぎず、国民の大多数は「政治の世界」の局外に置かれていた。ルソーが『社会契約論』(1762)のなかで、「一般意志は代行できない」と述べていることばは、普通は代議制批判を意味するものとされているが、前述したようにルソーも、近代国家の政治運営に際してはなんらかの代表制システムによらなければならないことは認めている。とすれば、このことばは、全国民に政治参加の道を開き、全国民の意志を政治に反映させる方法としての人民主権論を主張したものと解すべきである。そしてこの主張こそ、古代における直接民主制の近代版といえないだろうか。
こうして、ルソーは、近代において初めて、間接(代表)民主制と直接民主制の調和を理論化した思想家としての栄誉ある地位につく。これ以後、各国において普通選挙権獲得の運動が始まるが、その際、運動の中心となったのは、当然に、いまだ選挙権をもたない中小市民層や労働者階級であったし、また普通選挙権の実現をもっとも熱心に推進した思想グループは社会主義者たちであった。古代直接民主制の思想は、近代においては、普通選挙権の実現という形で復興されたのである。
では、普通選挙権が実施された現代国家において、全国民の意志は十分に政治の世界で反映されているだろうか。この点については、なおさまざまな問題が残されている。まず第一に、資本主義国家における選挙制度の下では莫大(ばくだい)な選挙費用がかかり、国民代表は当然に富裕者階級から選出されることが多く、一般大衆の声を政治に反映させることはむずかしい。次に、現代社会においては諸階層の利益は多様化し複雑化している。こうした社会状況の下では、2~5程度の政党を通じて、また4~5年に一度行われる選挙を通じて、国民の多種多様な利益を政治の世界に反映させることは困難である。直接民主制的規定の採用は、こうした現代民主政治の抱える諸問題を解決する一助となるであろう。
[田中 浩]
戦後日本においては、国政レベルでは日本国憲法、地方政治レベルでは地方自治法のなかに、さまざまな直接民主制的規定が設けられている。たとえば、日本国憲法における直接民主制的規定としては、憲法改正に際して必要とされる国民投票制(96条1項)、最高裁判所裁判官に対する国民審査制(79条2項)、一つの地方公共団体のみに適用される特別法に対するその地方公共団体の住民投票制(95条)などがそれである。いずれも、その議決について慎重な配慮が必要とされる問題について、議会政治の民主的機能を補強したり、行政部の専権的行為を抑制する目的で定められた規定である。
地方公共団体は、住民にとってもっとも身近な政治が行われる場である。このため、住民の意志が直接に政治に反映できるような直接民主制的規定が地方自治法のなかに盛り込まれている。たとえば、第12条1項の「条例の制定または改廃の請求権」(イニシアティブ=国民発案)、第12条2項の「事務の監査請求権」、第13条1項の「議会の解散請求権」、第13条2項・3項の「議員・長・副知事もしくは副市町村長・選挙管理委員・監査委員・公安委員・教育委員の解職請求権」(リコール=国民解職)などがそれである。同法第2編第5章「直接請求」では、直接請求権行使の手続やその処置について詳細な規定がなされている。
[田中 浩]
有権者である国民ないし住民がみずから直接に政治決定をおこなう制度であり,国民ないし住民は政治決定をおこなう代表機関の構成員を選挙することをとおして政治決定に間接的に参加するにすぎない間接民主制indirect democracy,ないし代表民主制representative democracyと対置される概念である。
直接民主制には,直接民主政治と直接立法制という2種類のものがある。前者の直接民主政治とは,有権者である国民ないし住民の総会において討論・審議し,表決して,決定する制度である。古代ギリシアの都市国家における民主政治はこの直接民主政治であった。そして現代においても,スイスの自治体,ならびにアメリカ合衆国のニューイングランド地方の自治体の一部では,住民総会(タウン・ミーティング)によって自治がおこなわれている。この直接民主政治の形態こそが民主制の原型であり,また純粋型であることは,異論のないところであろう。だが,直接民主政治は,全有権者が一堂に会しうるような小社会,構成員が比較的同質的で討論による決定が可能な社会,議される案件が参加者すべてに理解できる単純なものであるような社会においてのみ実現できるものである。そこで,近代以降の国民国家とその自治体のような複雑・異質な大社会では,ごくわずかな例外を除いて,代表民主制が採用されているわけであるが,代表民主制に機能不全が現れるたびに,直接民主政治への郷愁・憧憬が繰り返し語られることとなる。ルソーが《社会契約論》において,代表民主制のもとでは国民は選挙のときにのみ自由であり,選挙のあとは奴隷であると批判し,〈カシの木の下の民主主義〉を称揚したのはその一例である。
これに対して,直接民主制のもう一つの形態である直接立法制とは,レファレンダム(国民投票ないし住民投票)の制度とイニシアティブ(国民発案)の制度とを総称したものである。直接立法制においては,国民ないし住民は議案を発議し議案を表決するが,直接民主政治におけるように一堂に会して討議・審議することはない。そして,この表決は選挙の際の投票をとおしておこなわれるのであって,直接立法制は代表民主制のもとで発達した近代的な選挙制度を前提にしているのである。直接立法制は代表民主制の機能不全に対する批判から生まれたものであるが,代表民主制のもとでこれを部分的に補正しようとするものにすぎず,代表民主制に代替しうるものではない。直接立法制は代表民主制と対置されるものではあるが,代表民主制に代置しうるものではない。
なお,論者によっては,上記の直接民主政治と直接立法制に加えて,リコール(解職請求),プライマリー・エレクション(予備選挙)の両制度をも直接民主制の形態に含めて論じることがあるが,これは適切とは考えられない。確かに,リコール,プライマリー・エレクションは直接立法制と並行して発達したものであり,直接立法制を採用したところではリコール,プライマリー・エレクションをも採用していることが多い(この逆は真ではないが)。そして,いずれも代表民主制を補完する制度である。しかし直接立法制は,有権者が代表者の選挙だけでなく議案の表決までおこなうものであり,しかも国民投票の表決をもって最終決定とするものであって,間接民主制と原理的に対立する要素を含んでいるのである。これに対して,リコール,プライマリー・エレクションはあくまで代表者の選挙にかかわるものであり,有権者が直接に政治決定をおこなうためのものではない。直接立法制は間接民主制ないし代表民主制を補正する(修正を加えて補完する)ものであるのに対して,リコール,プライマリー・エレクションは間接民主制ないし代表民主制そのものを補充する(補完して充実する)ものでしかない。
近代的な直接民主制というべき直接立法制は,ゲマインデ(市町村)における住民総会とか町村におけるタウン・ミーティングの伝統を有したスイスおよびアメリカ合衆国に生まれ普及したが,当初は社会主義者の推奨するところでもあった。すでにフランス革命のときにバブーフがこれを提唱していたし,ドイツ社会民主党のアイゼナハ綱領(1869),ゴータ綱領(1875),エルフルト綱領(1891)でも提唱されていた。だが,この制度には,討論と審議を通じて意見を調整し統合する契機,合意と妥協の領域を拡大する契機が欠けていること,複雑な案件を二者択一的な賛否で決してしまうこと,多数意思による少数意思の支配がなんらの抑制なしに赤裸々に現出すること,議院内閣制の作動原理と調和しにくいことなど,種々の欠陥もある。また,プレビシットと称されている事例に典型的に認められるように,直接立法制は独裁を基礎づける格好の手段にもなりうる。この制度が戦間期にはヨーロッパ諸国に普及したにもかかわらず,これらの国々で再びすたれてしまった最大の原因は,ヒトラーによるプレビシットないしレファレンダムの悪用にあったといえよう。
執筆者:西尾 勝
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