直良信夫(読み)なおらのぶお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「直良信夫」の意味・わかりやすい解説

直良信夫
なおらのぶお
(1902―1985)

古生物学者、考古学者。1902年(明治35)大分県臼杵(うすき)町(現臼杵市)生れ。岩倉鉄道学校工業化学科卒業。はじめ物理学と化学を考古学に応用して縄文土器を分析。1931年(昭和6)兵庫県明石(あかし)市西八木(にしやぎ)海岸の更新世の地層から「石器」と人の寛骨(かんこつ)(明石原人)を発見し、日本に旧石器時代が存在したことを主張した。翌年から早稲田大学の徳永重康の指導を受けて古生物学を研究。化石だけではなく遺跡出土の獣骨、貝殻植物遺体を鑑定し、動・植物の生態観察を生かして古代人の生活の復原を試みた。著書は『日本哺乳動物史』『日本旧石器時代の研究』『日本産狼の研究』『野生動物観察記』などの専門書のほか、一般向けや子供向けの啓蒙書、随筆など約70冊に達する。1945年早大理工学部講師、1960年教授。「日本古代農業発達史」で文学博士

春成秀爾

『直良信夫『学問への情熱』(1995・岩波書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「直良信夫」の解説

直良信夫 なおら-のぶお

1902-1985 昭和時代の考古学者,古生物学者。
明治35年1月10日生まれ。昭和6年兵庫県明石市西八木海岸で洪積世地層から人類腰骨を発見。明石原人と名づけられたが,原人類のものかどうか疑問がおおい。7年から早大で徳永重康に師事,35年教授。その間,葛生(くずう)原人などの化石を発見した。昭和60年11月2日死去。83歳。大分県出身。岩倉鉄道学校卒。旧姓は村本。著作に「日本旧石器時代の研究」など。

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世界大百科事典(旧版)内の直良信夫の言及

【明石原人】より

…1931年,直良(なおら)信夫が兵庫県明石市郊外,大久保村西八木海岸(現,明石市内)の高さ約10mの断崖下で,満潮時汀線より1mの所で採取したヒトの左側寛骨。現物は45年,太平洋戦争中の東京空襲の際に焼失した。…

【旧石器時代】より

…しかしこれらの古い時期に関してはまだ不明な点が多い。
【日本】
 日本にも旧石器時代の人間が住んでいたのではないかという問題について,1911年にN.G.マンローが,そして31年には直良信夫が具体的な資料を提示したのだが,いずれも学界からは相手にされなかった。日本に旧石器時代は存在しないという長い間の学界の通説が破られたのは,49年,群馬県岩宿の関東ローム層中に包含されている石器を相沢忠洋が発見してからであった。…

【葛生人】より

…1950年,栃木県安蘇郡葛生町一帯の石灰岩にできた割れ目から発見され,直良(なおら)信夫が葛生原人として報告した一群の化石骨である。化石は葛生町大叶(おがの)第10丁場,第1洞穴から右側上腕骨下端部,左側上腕骨骨体部および左側大腿骨下端部の3個,また同町前河原北山上部洞穴から下顎骨,左腕上腕骨下端および右側大腿骨骨体部の破片3個,計6個である。…

※「直良信夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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