相米慎二(読み)ソウマイシンジ

デジタル大辞泉 「相米慎二」の意味・読み・例文・類語

そうまい‐しんじ〔サウマイ‐〕【相米慎二】

[1948~2001]映画監督。岩手の生まれ。「翔んだカップル」で監督デビュー。カットを控えた長回し手法を用い、アイドル映画の名手として評価を得る。代表作セーラー服機関銃」「ションベン・ライダー」「台風クラブ」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「相米慎二」の意味・わかりやすい解説

相米慎二
そうまいしんじ
(1948―2001)

映画監督。盛岡市に生まれる。高校在学中より8ミリ映画を撮り始める。1967年(昭和42)中央大学法学部に入学するが中退、1972年に日活入社、助監督となる。おもに曽根中生(ちゅうせい)(1937―2014)に師事し、杉田二郎の名前で脚本も手がけた。1975年よりフリーとなり、大学時代から交友のあった長谷川和彦(1946― )の『青春の殺人者』(1976)、『太陽を盗んだ男』(1979)や、寺山修司の『草迷宮』(1979)などで助監督を務める。1980年、『翔んだカップル』で監督デビュー。『野性の証明』(1978)で子役として注目を集めていた薬師丸ひろ子(1964― )の初主演作であった。続いて手がけた薬師丸主演の『セーラー服と機関銃』(1981)が大ヒットしたため、相米は「アイドル映画の名手」という評価を獲得する。続く『ションベン・ライダー』(1983)も河合美智子(1968― )、永瀬正敏(1966― )らローティーンのアイドルを売り出す商業映画であったが、のちに相米のトレードマークとなる長回し(一つのシーンを編集せず一続きの長いカットで撮る技法)が随所に見られ、強い個性を打ち出し始めている。1984年、長谷川主宰の映画制作会社、ディレクターズ・カンパニーで、デビュー間もない工藤夕貴(ゆうき)(1971― )を主演に『台風クラブ』を撮り、翌年の第1回東京国際映画祭でヤングシネマ部門大賞を受賞。個性的な映画作家として一気に注目を集めた。1985年は余貴美子(よきみこ)(1956― )主演の『ラブホテル』をにっかつロマンポルノとして発表、第1回にっかつロマン大賞を受賞したほか、斉藤由貴(1966― )のデビュー作『雪の断章 情熱』も発表。1987年、ヤングシネマ大賞の賞金で『光る女』を撮った後も、若い俳優の名トレーナーとしての活躍は続き、『東京上空いらっしゃいませ』(1990)は交通事故で死んだ少女がふとしたことで現世に甦(よみがえ)る他愛のない物語でありながら、日本映画らしからぬ軽妙なリズムと繊細な心理描写とで主演の牧瀬里穂(1971― )を輝かせた。続く『お引越し』(1993)と『夏の庭』(1994)では小学生を主人公に据え、大人たちの円熟した演技との対比の中で活き活きと動き回らせた。『あ、春』(1998)では斉藤、河合、余ら相米のかつてのヒロインたちが再集結。『風花』(2001)では人生に疲れ始めたもう若くない男女を小泉今日子(1966― )と浅野忠信(ただのぶ)(1973― )に演じさせ、新たな境地を開いた。次回作として浅田次郎の小説『壬生(みぶ)義士伝』映画化の準備を進めていたが、肺癌のため53歳の若さで死去。

[常石史子]

資料 監督作品一覧

翔んだカップル(1980)
セーラー服と機関銃(1981)
ションベン・ライダー(1983)
魚影の群れ(1983)
ラブホテル(1985)
台風クラブ(1984)
雪の断章 情熱(1985)
光る女(1987)
東京上空いらっしゃいませ(1990)
お引越し(1993)
夏の庭 The Friends(1994)
ポッキー坂恋物語 かわいいひと(1998)
あ、春(1998)
風花(2001)

『相米慎二他著『相米慎二 映画の断章』(1989・芳賀書店)』『田中陽造著『雪の断章 情熱』(1985・東宝事業部出版)』

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20世紀日本人名事典 「相米慎二」の解説

相米 慎二
ソウマイ シンジ

昭和・平成期の映画監督



生年
昭和23(1948)年1月13日

没年
平成13(2001)年9月9日

出生地
岩手県盛岡市

出身地
北海道釧路市

学歴〔年〕
釧路江南高卒,中央大学法学部〔昭和47年〕中退

主な受賞名〔年〕
東京国際映画祭ヤング・シネマ大賞(第1回)〔昭和60年〕「台風クラブ」,三大陸映画祭監督賞(第8回)〔昭和61年〕「台風クラブ」,高崎映画祭作品賞(第8回)〔平成6年〕「お引越し」,キネマ旬報賞読者選出日本映画監督賞(平5年度)〔平成6年〕,芸術選奨文部大臣賞(第44回・平5年度)「お引越し」,ベルリン映画祭国際批評家連盟賞〔平成11年〕「あ、春」,キネマ旬報ベストテン第1位(平11年度)〔平成12年〕「あ、春」,ヨコハマ映画祭審査員特別賞(第23回)〔平成14年〕,毎日映画コンクール特別賞(第56回 平13年度),日本アカデミー賞(会長特別賞 第25回)〔平成14年〕

経歴
昭和47年契約助監督で日活入社。50年フリーとなり、寺山修司監督「草迷宮」や、長谷川和彦監督「青春の殺人者」「太陽を盗んだ男」にチーフとしてつく。55年に「翔んだカップル」で監督デビュー、第2作「セーラー服と機関銃」は大ヒットした。以後、58年「ションベン・ライダー」「魚影の群れ」と一作ごとに評価が高まり、60年「台風クラブ」で第1回東京国際映画祭ヤング・シネマ大賞を受賞。賞金(1億7千5百万円)をもとにして小檜山博原作「光る女」を製作した。57年長谷川和彦・大森一樹・根岸吉太郎ら8人の若手監督とともに企画製作会社、ディレクターズ・カンパニーを興す。ワンカット・シーンの長回しを特徴とし、演技経験の浅いアイドルを主役に起用し、撮影現場で厳しく指導、優れた演技を引き出すことでも知られた。平成13年NHK「朗読紀行 にっぽんの名作」でテレビを初演出。同年舞台「DEFILED」を初演出。他の作品に映画「お引越し」「夏の庭」「あ、春」「風花」など。

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百科事典マイペディア 「相米慎二」の意味・わかりやすい解説

相米慎二【そうまいしんじ】

映画監督。岩手県生れ。1972年中央大中退。日活をへてフリーの助監督として長谷川和彦,寺山修司などについた後,《翔んだカップル》(1980年)でデビュー。赤川次郎原作の《セーラー服と機関銃》(1981年)がヒット。ほかに鮪漁船の漁師たちを描いた《魚影の群れ》(1983年),第1回東京国際映画祭ヤングシネマ部門の大賞を受賞した《台風クラブ》(1985年),ロマンポルノ作品《ラブホテル》(1985年),《お引越し》(1993年),遺作となった《風花》(2000年)などがある。カメラの〈長回し〉によって俳優の肉体性を現出させる手法に特徴がある。
→関連項目夏目雅子

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「相米慎二」の解説

相米慎二 そうまい-しんじ

1948-2001 昭和後期-平成時代の映画監督。
昭和23年1月13日生まれ。日活などの助監督をへてフリーとなり,昭和55年「翔んだカップル」で監督デビュー。翌年薬師丸ひろ子主演の「セーラー服と機関銃」がヒット作となる。57年長谷川和彦らとディレクターズ・カンパニーを結成。60年「台風クラブ」で第1回東京国際映画祭ヤング・シネマ大賞。平成11年「あ,春」でベルリン映画祭国際批評家連盟賞。平成13年9月9日死去。53歳。岩手県出身。中央大中退。

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367日誕生日大事典 「相米慎二」の解説

相米 慎二 (そうまい しんじ)

生年月日:1948年1月13日
昭和時代;平成時代の映画監督
2001年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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