映画監督。盛岡市に生まれる。高校在学中より8ミリ映画を撮り始める。1967年(昭和42)中央大学法学部に入学するが中退、1972年に日活入社、助監督となる。おもに曽根中生(ちゅうせい)(1937―2014)に師事し、杉田二郎の名前で脚本も手がけた。1975年よりフリーとなり、大学時代から交友のあった長谷川和彦(1946― )の『青春の殺人者』(1976)、『太陽を盗んだ男』(1979)や、寺山修司の『草迷宮』(1979)などで助監督を務める。1980年、『翔んだカップル』で監督デビュー。『野性の証明』(1978)で子役として注目を集めていた薬師丸ひろ子(1964― )の初主演作であった。続いて手がけた薬師丸主演の『セーラー服と機関銃』(1981)が大ヒットしたため、相米は「アイドル映画の名手」という評価を獲得する。続く『ションベン・ライダー』(1983)も河合美智子(1968― )、永瀬正敏(1966― )らローティーンのアイドルを売り出す商業映画であったが、のちに相米のトレードマークとなる長回し(一つのシーンを編集せず一続きの長いカットで撮る技法)が随所に見られ、強い個性を打ち出し始めている。1984年、長谷川主宰の映画制作会社、ディレクターズ・カンパニーで、デビュー間もない工藤夕貴(ゆうき)(1971― )を主演に『台風クラブ』を撮り、翌年の第1回東京国際映画祭でヤングシネマ部門大賞を受賞。個性的な映画作家として一気に注目を集めた。1985年は余貴美子(よきみこ)(1956― )主演の『ラブホテル』をにっかつロマンポルノとして発表、第1回にっかつロマン大賞を受賞したほか、斉藤由貴(1966― )のデビュー作『雪の断章 情熱』も発表。1987年、ヤングシネマ大賞の賞金で『光る女』を撮った後も、若い俳優の名トレーナーとしての活躍は続き、『東京上空いらっしゃいませ』(1990)は交通事故で死んだ少女がふとしたことで現世に甦(よみがえ)る他愛のない物語でありながら、日本映画らしからぬ軽妙なリズムと繊細な心理描写とで主演の牧瀬里穂(1971― )を輝かせた。続く『お引越し』(1993)と『夏の庭』(1994)では小学生を主人公に据え、大人たちの円熟した演技との対比の中で活き活きと動き回らせた。『あ、春』(1998)では斉藤、河合、余ら相米のかつてのヒロインたちが再集結。『風花』(2001)では人生に疲れ始めたもう若くない男女を小泉今日子(1966― )と浅野忠信(ただのぶ)(1973― )に演じさせ、新たな境地を開いた。次回作として浅田次郎の小説『壬生(みぶ)義士伝』映画化の準備を進めていたが、肺癌のため53歳の若さで死去。
[常石史子]
翔んだカップル(1980)
セーラー服と機関銃(1981)
ションベン・ライダー(1983)
魚影の群れ(1983)
ラブホテル(1985)
台風クラブ(1984)
雪の断章 情熱(1985)
光る女(1987)
東京上空いらっしゃいませ(1990)
お引越し(1993)
夏の庭 The Friends(1994)
ポッキー坂恋物語 かわいいひと(1998)
あ、春(1998)
風花(2001)
『相米慎二他著『相米慎二 映画の断章』(1989・芳賀書店)』▽『田中陽造著『雪の断章 情熱』(1985・東宝事業部出版)』
昭和・平成期の映画監督
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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